第4話 合宿旅行

第4話 <1> 序

国鉄松鹿線こくてつまつしかせん

 長野県松川町〜大鹿村を結ぶ予定だった未成線。昭和8年に工事開始したが日中戦争の勃発などもあり工事は遅々として進まず、昭和17年凍結されて敷設済みだった4kmの区間の線路は一旦撤去されて樺太鉄道に転用された。

 昭和22年に工事が再開された。小渋までの約9.5kmの区間が昭和27年に暫定開業した。駅は4.5kmポスト地点の伊那生田駅のみ。2kmポスト付近に松生信号所がありスイッチバックが設けられている。

 昭和34年水害で松川橋梁・橋脚(7連6脚・全長240m)の一部(第3・第4橋脚と第2・第3・第4橋梁)を流出したが1年後復旧した。

 昭和36年小渋ダム建設では資材運搬列車が運行された。昭和44年小渋ダム完成でこういった需要はなくなった。ダム工事の影響で延伸工事は止まっており再開される事はなかった。

 決定打となったのはモータリーゼーションの到来で木材搬出などの輸送がなく収支は大幅赤字となった事が引き金で昭和49年廃線になった。


 昭和54年に小渋ダムから工業用水を送るパイプラインが設けられ、その際に天竜川残っていた松川橋梁が水道橋に転用された(このような利用法が考えられていたので撤去されなかったと言われる)。


 松鹿線の鉄道遺構の多くは撤去されている。目立った形で残っているものは松川町の伊那大島駅の東側に見られるプラットホームと待避線のあった空き地と天竜川の松川橋梁ぐらいであろう。


伊東哲郎「決定版:鉄道未成線・廃線紀行」新技術創造社、第2版第1刷2024年4月1日発行より抜粋

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