第14話 究明
「あら。お帰りなさい」
僕たちが帰ると、先に帰宅していたらしいマリアテールさんは微笑んで迎えてくれた。すぐに客間に案内して温かいお茶を淹れてくれる。
いつもの。優しい、マリアテールさんだった。
「寒い中、ごめんなさいね。主人の手がかりは見つかりました?」
「それは」
僕は、視線を隣に向ける。
オリゼは黙っていた。何か、気づいてはならない真実を知ってしまったように。
しかし、彼女はまだ何も言わない。オリゼが何も言わない以上、聞かされていない僕もあえて口にすることはなく、
「申し訳ないです。マリアテールさん。手がかりと呼べるものは、まだ」
「……そう。あまり気にしないで。私のわがままで付き合ってもらっているんですから。根気よく、私は探していくつもりです」
「これからも、ですか?」
「ええ。これからも、ずっと」
寂しそうに、彼女は。紅茶のカップを抱えながら微笑んでみせた。
〝ずっと〟――その言葉に、嘘はないのだろう。彼女がそうするだろうという根拠は今までさんざんに見てきた。
と、そこで。
ずっと黙っていたオリゼが、ようやく目を上げた。
「ミセス・マリアテール――。少し長くなってしまうけど、これから聞いてもらいたい話があるの」
「? ええ、構いませんが。ミス・オリゼフィール?」
どうしたのかしら。といった表情だった。
気になったのだろう。妙に改まったオリゼの表情が。態度もどこかよそよそしくなり、それはまるで――。そう、医者が病を患者へと打ち明けるような姿だった。
「……むかし、むかし。とある場所に、ある不思議な旅をする操り人形がいたの。その人形は、真理の書からこぼれ落ちた小さな雫。この世のものではないマリオネットは、雨風で風化することもなく、人間のように死ぬこともなかった」
オリゼが話し始めたのは、一見すると何の関係もない〝怪談話〟であった。
僕もマリアテールさんも、ただ黙って、その話を聞く。
壊れることもなく。
かといって、朽ちることもなく。
その操り人形は、心優しい『主人マスター』と旅をしながら、各地で子供たちに人形劇を演じていた、とオリゼは語った。ずっと、ずっと。大好きな主人と一緒だった。
マリアテールさんは、童話でも話すような彼女の話に聞き入って、
「……とっても、素敵なお話ね。人が聞いたら不気味と思うかもしれないお話だけど。……ううん、私は少し憧れちゃうかな。だって、それほど慕っている人と永遠を生きられるんですもの。これほどの幸せはないわよね」
「永遠では、ないの。このお話は」
オリゼの暗い顔は、変わらない。
そう。どんな物語にも、続きがある。
人形劇をしながら各地を歩いていた主人は、やがて病に倒れた。人形は看病したらしい。何夜も、何夜も、苦しむ老人のことを、もし自分が変わってあげられたなら――と思いながら。
でも、できない。
人形は人形で、彼は人間なのだから。
やがて老人の体も自然へと還り、月日が経っても――人形だけは超常の存在としてあり続けた。やがて、ある猟師が山で見つけた穴蔵をのぞいてみると、そこにあったのは、
〝白骨化した老人〟を世話し続ける『操り人形』があったという。
「…………」
「……永遠は、永遠でないの。マリアテール」
僕が、紅茶の温もりも覚めてしまうくらいゾッと身を竦ませていると。
オリゼは、静かな瞳でテーブルの向こうの依頼人を眺めていた。
「……。あの。でも、どうしてそれを私に……?」
そうだ。
僕も思った。オリゼは結論を出したように話を終わらせたが、それがマリアテールさんとどう関係があるのか分からない。
「一緒だからよ」
「……い、一緒?」
「あなた。いいえ、『花神』の魔導書――。あなたは人間なんかじゃないわ。自分が何物であるかも忘れて、悲しい記憶を消して、ずっとこの場所で閉じこもり、生き続ける――あなたの正体は魔導書なのよ」
……まさか。
僕は目を見開いた。
だって、この人は……。マリアテールさんは、人間じゃないか。どこからどう見ても、人間だ。書なものか。
僕たちが笑うと一緒に食卓で笑っていた。悲しいときは、嗚咽をもらしながら隠れて涙を流す……僕たちとなにも変わらない。人間のはずだ。
なのに。
「あなたは、魔導書よ。マリアテール。……思い出して。あなたは、一体いつ生まれたのかしら? この世にあり続けたのは、いつ? 生まれはどこの地方? アストレアの国内かしら、外かしら? 年代も言ってみて」
「……わ、私は」
それから。マリアテールさんは。
テーブルに手をつき、頭痛が襲ったようにこめかみを押さえていた。すぐにでも答えが返ってくると思っていた僕は、驚きの顔が隠せなかった。
「ま、マリアテールさん……?」
「う、ううん。違うの。……違うのに。私は、人間のはずなのに……。頭が痛くて、思い出せない……」
そんな。
僕は次の言葉も出なかった。
だって、マリアテールさんは……昨夜も、僕たちと一緒に楽しそうに話していたではないか。食事だって、していたではないか。美味しい夕飯を作って、一緒に食べていたではないか……!
そんなこと、魔導書にできるのか。
が。しかし。
それなのに、そのはずなのに、否定の言葉がマリアテールさんから。マリアテールさんという〝人間〟の口からでてこなかった。生まれ、育ち。故郷。何でもいい。何か一つあれば、それだけで否定できるはずなのに。
オリゼは、
「――あなたは、本当はここにいてはいけない存在なのよ。魔導書。主が消え、年月の流れにも残され、ときの淀みの中に存在している。……ここの家は、本当はご主人が亡くなったときから荒れていくはずだった。でも、あなたが『待ち続ける』という行動で、家を保っていた」
少女は、告げる。
まるで終末の鐘を鳴らすように。
――馬のいない家。
それは主人が亡くなってから、彼女が世話していた馬が天に召されるまでの年月が過ぎていることを示していた。親戚が訪ねてこないのも当然だ。すでに知り人も、彼女たちを慕った領民も、この世にいないのだから。
柵も老朽化して、壊れていた。
「……あ、ああ……」
「あなたは、気づいていない。――いえ、気づきかけるたびに、記憶を封印してきた。『書』に力がないのは、なにも偽物だったからではない。あなたという〝中身〟が、書を抜け出して外へと顕現してしまっていたのだから」
「…………」
「孤独に、なりたくなかったから。……あなたは、そうやって自分も屋敷も、最初からこのままの状態だったと思い込もうとしている」
少女は、続けた。
経過した歳月も、十年や、二十年ではないという。マリアテールさんはいつまでも『主人の亡くなった翌年』を繰り返し、ずっと帰りを待ち続けていた。季節も移ろい、建物も古びて、郷の風景も風化し――彼女たちがいたこの土地からは人が離れていった。
アストレア国の中央への人口の推移とともに荘園だったこの土地からは人が消え、さらに年月が経ち、村は草原となり森になった。
彼女のいる『屋敷』をのぞいて自然へと還っていったのだ。
彼女本人が、――〝自分がどういう存在なのか〟すら忘れてしまうほどの歳月の中で。
「書よ――」
オリゼは。
テーブルに置かれた『偽物』の書を、手に取り。開く。そのページに力を込めるように、〝呪い〟――あるいは、〝祝福〟へと向き合う。
「本物の姿に、戻って。もう、苦しまなくてもいい――。探さなくても、いいの」
目を閉じる。
光が、渦巻く。
マリアテールさんの周囲で、不思議が起こった。眩しい銀の光が渦巻いたのだ。
それは彼女が『書』の中に封じていた記憶が戻っていくような光景であり、表紙から離れて浮遊した文字が、銀の煌めきとなって彼女に吸い込まれていく。
マリアテールさんの頬を。涙がつたった。
同時に、部屋も光った。
僕の耳に、声が聞こえてくる。
どこからか、誰かが交わす声。とても温かくて、優しく呼んでいるような気さえする。やがて部屋を包み込んでいた光は『風景』となり、肌に触れる風、若草の匂い――その一瞬の景色を、〝記憶〟を、僕はのぞき見てしまった。
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