第13話 詠唱鬼(ヴァンドール)



 ――詠唱鬼ヴァンドール?


「実はね……私がここまできたのは、二つ目的があったのよ。一つは消えた旦那さんの手がかりを何か拾って、私の疑念にヒントを得るため……。でも、もう一つはもっと大事で、人に見られないよう『あること』をするため」


 少女は、本を抱える。

 きりかぶに座り、森を背に佇む姿は、まるで何かの神に祈る聖女のような姿だった。旅の巡礼が、ここで一つ、一掴みの『小さな世界』の力を使う。


『――今はもう、ほとんど存在していない『魔導書』を食べながら生きていく一族の末裔なの。書の文字を、血に変えて、知識として保存する――そう、私は文字どおり『化物』なの。人にあって、人ではない』


 それは、彼女の出生の秘密だった。

 そしてオリゼが、どうして『専門店』を開いてまで魔導書を買い取り、そして貯蔵しているのかを物語る事実。


「……。始めるわ」


 オリゼは、『それ』を始めた。

 マリアテールさんから預かった『偽物』とされる書を、一部だけ吸収するらしい。本の背表紙に噛みついて、普段は表に出さない鋭い八重歯で、軟らかい肉でもかじるようにめり込ませる。


 それは、まるで。

 人が人の叡智を食べる、少し薄ら寒い光景であった。



「……文字が……!」


 僕は、驚いた。

 表紙や、ページに書いてある文字が。いきなり虫のように蠢きだした。文字は躍り、宙に浮き、それから彼女の口元に――ゾゾゾゾゾ――と消えていく。

 ごく、ごく――。と、白い喉が動く。


 ……飲んでいる。いや、食べている……?


 あまりにも常識から外れた行動に、僕は手足を硬直させていた。見入るしかない。

 瞬間、微かに見えていたページの文字が消えていき、彼女は酒でも飲んだように顔の色に火をつけた。


 緑だった瞳は、熔岩のように赤く染まる。銀色の髪も森からの風になびきながら煌めき、銀色の光を放っていた。


「…………」


 僕が士官学校で見た『銀の光』は…………まさに、これだったらしい。


 彼女が《詠唱鬼ヴァンドール》の力を使うと銀の光を放ち、それが明るく周囲を染め上げる。まぶしい光は、僕が士官学校の回廊で見たものと同じだった。


 あの時は、彼女が――書の呪いを、解除する――と言ってくれていた。


 でも、真相は彼女が《詠唱鬼ヴァンドール》という一族で。その本の中身を、『飲む』という行為で吸収しているのだ。マリアテールさんから預かった書の一部が、文字の抜け落ちた空白になってしまった。


「…………分かったわ。すべて」


 それから、彼女は目を上げた。

 まるで、長い夢から醒めたように。


 小さな世界から、抜け出てきたように。


 瞳から鉄が冷えるように色が戻った少女は、いつもと変わらない佇まいで森の獣道を見つめていた。眼差しの先には、僕たちが出てきた屋敷の屋根が微かに見える。



「この魔導書――『花神』は、本物よ。偽物と同じように、すべてしまい込まれていた。力も、その存在も――。そして。過去も」



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