第11話 二つの感情
その日の夜の食卓は、賑やかだった。
つい、調子に乗って食べ過ぎたかもしれない。人の家に招かれたときは『腹六部』で止めるようにと父から教えられて育ったのだが、その戒めも破ってしまうほどに過ごしてしまった。
……まあ、でも。
雰囲気が楽しかったせいかもしれない。
マリアテールさんはとても話題が豊富で、面白い人だったし。一緒に食べていたオリゼも、静かな佇まいながら食卓の雰囲気に打ち解けていたように思う。今日のオリゼはなんだかんだで、いくらか口数が多いように思えた。
オリゼが話す各国の幽霊船や、怪談話。特に怪異や『ワイン泥棒が夜の街を徘徊した』という話しも面白いものだった。マリアテールさんも聞き上手で、少女のように驚き、また、少女のように笑っていた。
そして、楽しい時間はあっという間に終わって、寝室。
僕にとって一つだけ予想外だったことは、これだけ飲まされてトイレが近くなったということだった。
(…………、あー)
僕は、神経が妙に鋭くなってしまって、困っていた。
飲み過ぎている。これじゃあ眠れない、と僕はひとりごちて天窓を見上げていた。
うすく、月明かりの雫がこぼれ落ちている。
……。今日までにいろいろあったな。
僕は思い返していた。
魔導書を専門にする少女と出会い。僕は自分の問題を解決した。それから、彼女に連れられ、この辺境まできて、マリアテールさんに会った。あの人は偽物の書を持って亡き主人を探している。明日からも、きっと探すのだろう。
……果たして、消えた人は見つかるかどうか。
――そういえば、魔導書の最初は星占いだっけ。
星空を見上げながら思った。
アストレア国に伝わる伝説である。建国の王の隣には、いつも神言を与える女官の占い師がいた。遙か昔の王朝は、星の動きから国の興亡を占うらしく――。だからこそロマンチズムな星占いが人と人の繋がり、運命を司り、そして国王は占い師に信頼を置き、最後に妻に娶った。
星空を見るとき、その占いの神話と愛の物語を思い出す。
マリアテールさんは、果たして愛する人に会えるのか。もし、その人が変わり果てた姿で見つかっても――気持ちは、揺るがないのか。
現実を、受け止めきれるのか。
「…………」
僕は眠れない体を引きずりつつ、今夜何度目になるかというトイレに向かった。
一応、護身刀でもある『鞍馬』を持っている。士官学校の生徒であれば『剣はアストレア剣士の誇り』と厳しく教えられているので、普段の街歩きでも帯刀が原則であった。
トイレに向かうときも、食事のときも、習性は変わらない。
暗く静かな廊下は、しんみり冷え切っていた。
……ん……?
廊下の奥。
うっすらと光がもれる部屋があった。あれは、マリアテールさんの寝室……だろうか?
婦人の寝室である。男子たるものがみだりに近づいていい場所ではなかったし、アストレア国の紳士となればなおさらであった。僕が廊下の角を回って、そのままトイレへの回り道がないかと探していると、
――。――。
なにか。
途切れ途切れの、奇妙な声が聞こえてきた。
……なんだ?
ピタリと足を止める。まさか泥棒でも押し入ったわけではあるまいし、何かトラブルが発生したのなら悲鳴なり聞こえてくるはずだ。しかし、今までの屋敷の空気からはそんな気配は感じられなかった。
だが、もし。
万一のことがある。もし盗賊でも押し入って刃物で脅し、寝室の金目のものを荒らされていたとしたら……。僕は招かれた客人として、家主の危機を見過ごしていいのだろうか。
「……」
そっと、扉の隙間から様子をうかがうと。
僕は驚き、瞳を見開いた。
ベッドに座る女性は、ポロポロと涙をあふれさせて。顔中くしゃくしゃに、腕の中に握りしめた写真――きっと、ご主人が写っている――と、偽物と判断された書を抱きしめて、すすり泣いていた。
嗚咽。静かな屋敷に、細く裂くような声が響いている。
……そんなに……。
僕は、衝撃を受けた。
夕食のときのマリアテールさんは、ちっともそんな素振りを見せなかった。むしろ明るく笑って、僕たち客人のためにもてなしてくれていた。
――でも。本当は、悲しかったのだ。
主人を探すための『可能性』――。これに違いない、と思っていた魔導書が偽物だと判断されたことが。本当はずっと彼に逢いたくて、そのためにオリゼを屋敷に招いたのだ。
……子供には分からない、大人の〝感情〟。
顔で笑っているようでいて、心のどこかで、深い悲しみを隠している。
僕には分かるが、オリゼという書の〝専門家〟を探しだすことは並大抵のことではなかった。
不確かな都市伝説めいた噂話を集めて、ようやくたどり着けるかどうかなのだ。金も時間もかかる。彼女が〝オリゼ〟という幻影に近い少女を探し出したという事実は、それだけ懸命に望みを――〝一縷の希望〟を、少女に託していたことになる。
でも、ダメだったのだ。
オリゼにあっても主人の手がかりは得られなかった。どころか、希望を抱いていたはずの〝書〟まで偽物と分かった。
「…………」
僕は、そっと部屋を後にした。
胸をやりきれない苦しさが締め上げてくる。救いなんて、なかったのだ。もし僕たちが運良く主人を探し当てたとして。その馬に乗っていたはずの彼が、ボロボロな遺体で見つかったとしたら……?
そのときは。
僕たちは、ただマリアテールさんの苦しみを、引っかき回しただけになるのではないのか。
僕は、マリアテールさんの苦しむ顔を……。まともに見られるのだろうか。
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