第4話 アストレア士官学校



 翌日になると、僕はアストレア国の『士官学校』の立派な門の前に立っていた。

 教会学校セミョリは、軍事演習場も兼ねた、白壁の回廊に囲まれた四角形の中庭を有する場所である。屋根には、王冠をかぶったような丸みをおびた半ドームの特徴的なシンボルがある。



 紛れもなく国立であり、ここは学習の場としてだけではなく、公共の礼拝堂としても機能していた。市民が立ち入ることを許された場としては、図書館に次ぐ規模がある。

 そこに、僕が待ち人を待っていると、



「……。あら、早かったのね。レディを待たせないのは偉いわ」


 白い上衣を着た、特徴的なオリゼが現われた。


 占い師の格好である。彼女の外出着か。

 墓地に出現する幽霊のような佇まいであったが、やはり彼女も街の空気は寒いらしく、白い波のようなロングスカートに厚手の手袋をしている。少しだけ出た白い素肌が、冷たそうに青白くなっていた。



「ああ。初対面のとき怒られたからね。僕だってアストレアの紳士である自覚があるんだ。きみという立派なレディを待たせるなんてミスはしないよ」

「……そう」


 そっけなく返事されたので、ひょっとして逆に怒らせたかな……。と横顔をうかがってみる。

 しかし、その返しは少女を満足させたらしく。顔には出さないが、寒そうな白い頬に少しだけ赤みが差していた。


「では、行きましょう。あなたがどうしても叶えたい望みとか聞きながらね」


 僕たちは、並んで歩いた。

 この士官学校。通常の教科(数学、歴史、神学)を習うほかに、剣技やマスケット銃器(※長身銃。先込め式の筒鉄で、先進国で長弓や石弓に代わって急速に広まりつつある遠隔武器。筒に螺旋刻がないため発弾時のブレがひどく、有効射程は100ヤード(=91.44 メートル)程度。対・歩兵用武器としては最も強く、一発撃てば近接を許さない強みはあるが、一部の生徒は剣で戦闘したほうが強い、とされる)の扱いも習得する。専門の教官たちが在籍し、僕の父親もここの『剣技』の教官を務めていた。僕自身、ここの生徒でもある。


 建築構造は、回廊を中心とした多柱式がメインである。大きな外周で支えるようにして、中央の吹き抜けの礼拝堂を囲んでいる。重厚にして荘厳、オリゼは物珍しそうに廊下から眺めていた。


 ここには同級生も多いし、ライバルも多い。

 僕にとって思い入れのある場所であった。


「――教官の息子。ということもあって、僕はここで妙な目で見られたこともあったよ。もちろん親しくしてくれる友達も多かったけどね。『アストレア国の外から来た』という父親の遍歴のおかげで、差別的な目で見られることが多い。悪い生徒に目をつけられやすいんだ」

「……ふうん」

「でも、一度たりとも屈したりはしなかった。自分でいうのもなんだけど、父の教えがあるからね。『苦境は、屈強な精神ではじき返す』という体に染みついた習性があるんだよ」


 僕は、身振り、手振りも交えて熱っぽく語る。

 少女は、わりとどうでもよさそうな顔をしていた。


「悪くいう生徒は、片っ端から試合で打ち負かした。ここ、アストレア国は『剣技』という非常に繊細かつ伝統のある国柄だからね。負けた生徒は、僕から見ても潔く身をひいてくれたよ。今までは、それでよかった」

「……? 今は、違うの?」


 少女が、会話の流れに引っかかる。

 今までの会話と、向かう先から、どうやら結末が見えてきたようである。



「……なんというか。買っちゃったんだよ。『魔導書』を」


 重苦しく口にする。

 そこから、僕の不幸――もとい、〝呪い〟が始まっていた。



「魔導書なんて、そうそう簡単に手に入るようなものじゃない――ってことは。僕も百は承知だ。でも、実際にそれを売ってきた人物がいたんだ。……いや、話を持ちかけられたのかな。行商人でね。『誰にも名誉を傷つけられない書がある。興味はないか?』って持ちかけられた」

「どんな人?」

「南の砂漠の国から、ここアストレアに旅をしてきた人らしい。浮浪者みたいに熱帯の砂塵を越えられる分厚い上衣の格好をしていたよ。話した感じ、普通に骨董商として交易をしながら歩いていたみたいだね」


 ラクダがいて、街路樹に手綱を結ばれていたが。隊商〈キャラバン〉とは違うみたいだった。個人で旅しているらしい。


 種類は、骨董売りである。


 ガラクタばかりを集め、それが人によっては宝の山になり得る。別名は〝珍品売り〟。

 貧しいが、旅先、旅先で珍しい道具を集めては回収し、別の土地で転売することで利益を集めているらしい。ここ、アストレアは周辺国からの交通の要衝ということもあり、北から南から、そういった行商たちが流れ込んできて一大経済を生み出していた。

 僕が通りかかったのは、そんな商人たちに開かれた『交易通り』。絨毯を広げていた露店の一つである。



 店の先には『東国の刀』があった。

 それだけで僕は興味をそそられたし、この地方での刀はひどく珍しかった。一応、僕も士官学校の生徒として腰に刀を佩はいているが、繊細な切れ味と外見は美術品としてもアストレア国で愛されており、よく本国の刀を見せてくれと頼まれる。

 僕は本国の品ということもあり、他にもいろいろと品揃えがありそうな店に立ち寄って、その行商と話し込んでしまったのだ。



 意気投合した彼は、貴重な書だという『悪の律法〈デーモン・トーラー〉』を僕に勧めた。



 文字もかすれていて、中身も不明だったが。それは確かに何かしらの力を僕に感じさせた。

 由緒は分からないが、商人が旅をしてきた地方には伝聞が残り、それによれば『――名誉を守り、誰にも誇りを傷つけられない勝利の力』が備わっているという。


 僕は魅惑的に感じて、どうにも手放せないものを『書』から感じてしまった。商人と交渉し、そこそこな高値で書を買い取ってしまったのだ。



「……ふーん。間抜けね」


 ぐ。さんざん聞いといて、一刀両断しないでくれ……。


「それで? その後のあなたは、書の意外すぎる効果に驚いてしまうわけね。なにせ敵意を持つ相手に『不幸』を起こす書だもの。今まで正々堂々と勝負していた相手が、次々と自然に負傷していく」


 まるで、見てきたように銀髪の少女は口にしていた。



 そうだ。

 剣闘技場で、僕が『対決』を誓った相手は、なぜか三日後までには謎の災厄に見舞われていた。


 ――ある者は、階段より転落し。

 ――ある者は、街でふっかけられたケンカで腕を折られ。

 ――ある者は、銃の暴発に巻き込まれ。


 とても、自然の災いで片付けられないほど連続しすぎていた。僕自身も不気味に思ってたし、同級生たちも次第に僕を不審な目で見るようになった。



「――ふうん。相手を蹴り落とす書だもの。遠回しには間違ってないんじゃない?」

「かも、しれないけどさ! 僕にとっては、正面から正々堂々と決着がつけられないことがどれほど不名誉なことか……。我慢のならないことなんだよ! 寝ても覚めても、食事をしていても後味が悪いんだよ。こう、喉につかえるモヤモヤがあって……!」

「そんなに悔しいの?」

「悔しいさ。当然だよ! 反省もしている。悔いてもいる。こんな『書』を買い取ってしまったばかりに……! 僕は、剣士だ。父の息子だ。剣で決着がつけられないことなんて、あるはずがないのに」


 僕は、つい関係のないオリゼにも食ってかかってしまっていた。それだけ熱くなってしまっていた。


 だって、そうだ。

 僕はずっと『剣』で生きてきていた。東の本国でいうところの『刀』だ。幼い頃より血の滲む思いで稽古し、鬼の教官だった父の元で剣技に励んだのだ。簡単なことではない。誰にも負けない自信がある。


 なのに、自然と『見えない法則』で決着がついてしまう――。戦うこともなく。まるで、自然現象が相手を打ち倒していくように。対戦を誓った相手が杖をつきながら包帯姿で現われるのだ。


 これほどの無力感と、屈辱は今までにないことだった。



 僕は、『――どうやらこの出来事は、『書』を受け取ってから始まったらしい』と気づいた。交易していた砂漠の行商を探したが、すでに街にはおらず。それから僕は、ずっとこの呪いを解除する方法を探していた。


 そう、〝呪い〟なのだ。

 これは本人にとっても、強力な祝福であるはずがない。



「……どうかしら? 案外、敵対する相手が自然消滅してくれたほうがあなたにとって幸せな世界かもしれないわよ。正々堂々と戦う必要なんてないもの。魔導書は、どんなときだって人間にとって優位に働くものだから」


 だとしても。


 僕は、こんな結果は受け入れられなかった。それなら、負けて陰口をたたかれたほうが百万倍マシだった。嫌われまくったほうが、まだいい。そのほうがよほど僕の人生の名誉を守れる。


 ……父も、おそらくそのほうが喜ぶはずだ。


「東人の考えることは、よく分からないわ」

「分からなくてもいいよ。とにかく、僕はやるんだ」


 握り拳を持ち上げていた。


 と。廊下の先から、目つきの悪い集団が現われた。

 反対側から歩いてくる。僕はとっさに『嫌な奴らが現われた』と道を変えようと思ったが、隣にオリゼがいた。事情を説明している時間はないだろう。


 無銭飲食。乱暴。賭博。……アストレアの街でも、札付きの悪党として嫌われる生徒たちだった。その集団を引き連れるのは、さらに目つきの悪い大柄の男。



 ……こんなときに、嫌な奴と会った。



「――おう? これは、これは。誰かと思えば、鬼の教官殿の威を借りたチビなご子息殿下ではありませんか」

「……。パリオット、か」


 軽薄そうな、唇をアヒルのようにぱくぱくさせて。

 金の短髪。巨漢の男は、僕を見下ろすような格好で薄く笑っていた。


 ――女好き。決闘好き。


 試合であれなんであれ、容赦なく相手の腕を折るという悪賢い鷹のような性格をした男だった。僕を見て、『ここで会ったが百年目』という嬉しそうな顔だ。


「本日は、どうされたので? ……おやおや、これは街中でも見かけない麗しの美少女を連れて……。羨ましいですな。ご紹介にあずかりたいもんです。とても、」


 そこで、男は薄く笑って、


「――とても、対戦相手を次々と貶めて。汚いやり口で『名誉』を守っている卑怯者とは思えない羽振りです」

「……なんだと?」


 聞き捨てならないセリフだった。

 手下のような取り巻きも、口々に汚い声で笑いかけてくる。僕を囲む。『臆病者』『腐れ東国人』と顔をのぞき込み、黄色い歯をみせてくる。


 僕はパリオットを睨み上げていた。


「……誰に向かっていってるんだい?」

「俺の子分たちを、三人も病院送りにしてくれた『東国の疫病神』さまにいってるんですがね。チビな猿は、お耳も遠いのかなァ?」

「ふざけるな」

「おお、怖い怖い。俺まで階段から突き落とされちまう」


 僕の手から、剽げた動きで逃げる。

 男が肩をすくめてみせると、他の取り巻きがどっと笑う。こんなの、ちっとも面白くなかった。


 イライラする僕の横で、きょとんとするオリゼ。


 パリオットは、彼女にも手を出そうとして、「――この子と、俺たちは遊んでみたいなァ」と無遠慮に尻を触ろうとする。僕は手を払い、彼女の前に立ちふさがった。


「……いい加減にしろよ。彼女は、関係ない」

「おっと。危ねえ。お前に触れると『不幸』がうつっちまうからな」


 口調がようやく元に戻る。

 道化た表情が消え、かわりに目を据えたこの男本来の――獣のような眼光に戻った。


「前々から気に入らねえんだよ。東国のチビ公が。オヤジが鬼の教官で、俺らのことをこってりと絞りやがる。……アイツには勝てねえ。本能が告げてる。でも、お前はどうだ。弱い」

「僕は、強い」

「どうだか。対戦が決まった相手のことを、秘密裏に診療所送りにしている卑怯者のセリフだ。信用ならねえな」

「それは違う。僕がやったんじゃない!」

「そうか? お前は、『疫病神』だからな。もしかしたら手を触れずとも相手を突き落としたりできるかも――しれねえな」


 どっと。また周囲が笑う。


 …………要するに、そこに行き着くわけか。


 僕は言葉が出なかった。半分以上は事実だし、その冗談は僕の身に起こる『書』の事実と一致していたからだ。


 僕だって、本当は正々堂々と勝負したい。それなのに……!


「――今度は、違う。パリオット。誓おう。今度はきっと対戦相手がケガすることはない」

「どうだかな」

「もし何か起きたら、僕の『負け』でいい。完敗で。ボロボロに僕の名誉のことを罵ってくれて構わない。嘲あざけってもね」

「……ほう」


 ここでやっと、パリオットは真剣な顔になった。面白い、と目が好戦的にぎらつく。


「……文句は、ねえんだな?」

「ない。今までだって、それくらいでいいと思っていたんだ。試合する前から相手連続でケガするなんて、アストレア国の剣士として本来あるまじき姿だ。不名誉とすべきことだ」

「……。よく分かってるじゃねえか。まあ、そうこなくちゃなあ」


 ゴシゴシ。アゴの無精髭をしごいて不敵に笑う。


 この男も、根は闘争好きなのだ。

 俄然、気合いが違っている。先ほどまで退屈そうに取り巻きと歩いていた表情が嘘のようだった。


 ――そして、強い。

 この男は、『実戦』で立ち会わせると掛け値なしに強かった。



「よーし。ミヤベ。今回は特別に俺様自身が立ち会ってやる。……気合い入れてこいよー? 腕の一本も吹っ飛びかねねえからな。対戦相手が数秒で闘技場の床の血になっちまったんじゃあつまんねえ」

「…………勝てば、僕に対する不名誉な噂は取り消してくれるんだろうな?」

「ああ。勝てば、な」


 まるで、その未来はない。というように。


 パリオットは鼻を鳴らすと、取り巻きを連れて去って行った。足音は、いつも重装備の甲冑のように重々しい。それだけ体躯が発達し、丸太のような腕の筋肉から振り下ろされる剣は、瓦礫をも粉砕する。

 いかにも、アストレアの平和に倦んだ、戦至上主義の彼特有の足音だった。


 野次を飛ばしながら去って行く子分たちを見送りながら、


「……と、まあ。そんな風になったんだけど」


 僕はオリゼを振り返った。


「ええ。心配ないわ。私は魔導書の専門家だもの」


 少女は、少し怒っていた。どうやら、先ほど尻を触られそうになったことに腹を立てているらしい。

 それでも、オリゼは書の専門家としての顔で、


「でも。『書』を手放して後悔はしない?」

「――しない。僕にとっては、魔導書こそが足かせになっていたんだから」


 僕ははっきり、答えていた。


 一時の勢いや、迷いではない。

 僕の望みは剣の道に生きることだ。自分ではない『何かの力』を頼って叶える望みなんて、武人の運命を、可能性を自ら狭めることだ。そんなの生きている意味がない。潔く斬られて散ったほうがいい。


「絶対に、勝つんだ」


 僕は、誰もいなくなった回廊を睨んだ。


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