夏の日の彼女 2
『いま私の心は静かでさわやかです。
決して誰かを憎んだり、陥れようとしている訳ではありません。
ただ、生きてゆくのが辛いだけなのです。
最後に、ひと時の安らぎを得て。
そして私は――― 』
手紙はそう続いて…… 文章はそこで終わっている。
あと2枚同じ紙があったが、白紙のままだ。
俺はメリーザさんに、その紙を返して。
「遺書なのかな」
小さく苦笑いした。
「ここに来る途中の道にパラパラと散らばってたの。
書いてる途中に落としたのかな?」
メリーザさんはもう一度その文章を読み返しながら、そう聞いてきた。
なにもかも失くしてしまったと思い込んでいたあの頃。
俺自身が死を考えたことがなかったかと言えばウソになる。
……ただそれは、切実なものではなく。
『それも悪くないかな』程度のやんわりとしたもので。
遺書を残し、死地に向かう者の心に。共感できるほどでもない。
「メリーザさんは、その手紙をどうしたいの?」
だからその時、正直『関わりたくない』と思った。
その気持ちに引っ込まれるのが怖かったのと。
なにより…… 手紙の内容が事実なら。
これを書いた人間を本当の意味で救うことはできないと、その時俺は確信していたからだ。
「もちろん助けに行くわ! だって……」
強く、メリーザさんが俺を見つめてきた。
その瞳にあったのが、哀れみなのか慈悲なのか。
――そしてそれが手紙の主に対してなのか、俺に対してなのか。
判別することもできない。
「学び舎の賢者たちに相談するか、ふもとの衛兵に相談した方が良い」
俺がそう言うとメリーザさんは落胆し。
「受付やってるから分かるけど、学生だって確実な証拠がないと。賢者たちは動いてくれないわ。彼らが冷たいんじゃなくて、帝国に対する不干渉を貫かないと。
何が原因で攻めてこられるか分かんないほど…… 今の情勢が不安定だからよ。
ふもとの衛兵なんかなおのこと。
――自殺志望者なんて、早く死んでしまえば良いって思ってるわ」
ぽつりぽつりと、そう呟いた。
「そうか、そうかもしれないな」
俺の言葉にメリーザさんが瞳をそらす。
震える肩と、その振動に合わせて揺れる胸元……
どう言葉をつないだらいいか困惑しながら。
――もう、これ以上誰かを傷つけたくない。
そんな思いがふと浮かび。
「じゃあこの手紙の主を探し出そう。そして、できるのなら説得してみよう」
例え結果がどうなろうとも。
この庵でいじけていてもしかたがないと。 ……覚悟を決めた。
「ありがとう、ディーンさん!」
メリーザさんが俺に抱きついて、嬉しそうにそう言う。
胸に押し当てられた大きな2つのふくらみに戸惑いながら……
――やはりこれは危険だと、俺は深く理解した。
++ ++ ++ ++ ++
メリーザさんの話だと、その紙は庵の付近に落ちていたそうだ。
「紙に濡れた後が無くて、街道の足跡は登り方向のものしか残ってない。
昨夜まで雨だったから……
今日の午前中にここを通った人のものだ。
この手紙の主はまだ下山してなくて。時間的に考えても山の奥。
たぶんあの温泉宿にいるはず」
庵の前で俺がそう言うと。
「今は夕刻でしょう? お昼過ぎってことはないの」
メリーザさんが不思議そうに聞いてきた。
「メリーザさんのブーツに泥はついてないし、街道の土もずいぶん乾いてるけど。足跡は全部、深くくっきりと残ってる。
ならここを通った人はまだ土が乾いてない時間帯の人ばかりだ。
それに手紙には『ひと時の安らぎ』って書いてあるから。
自殺の前に宿に泊まって。
それから死の谷を目指すのかもしれない」
「さすがディーンさん! 頼りになるわ。じゃあ早速向かいましょう。
その温泉宿って、露天風呂がある所よね。
あたしも1回いったことあるし。
ここからなら2刻とかからないでしょう」
いきなり山道に踏み込もうとしたメリーザさんを、俺は慌てて止めた。
「今からだと行きはまだ日があるけど。帰りはもう暗い。
その手紙を預かって、俺がひとりで……」
「もう、なにを言ってるんですか? こんな中途半端で手を引ける訳ないでしょ。目的地は宿なんだから今晩そこに泊まればいいし。
明日の仕事は休みだから、問題ないわ」
いえいえ、それだと他に問題が…… そう言いかけて、俺は野暮な言葉を飲み込み。庵からナイフと財布を持ち出して。
意気揚々と歩くメリーザさんの、プリプリとした可愛いお尻を追いかけた。
「おやディーンじゃないかい、珍しい。今日はなんのようだい?」
その温泉宿の女将は、人族で60歳を過ぎたばあさんだったが。
まだまだ足腰は元気で。セーテンがいた頃は「もう、のぞきに来るんじゃねーぞ!」と、ふもとの買い出しの行き帰りによく釘を刺しに来ていた。
俺が苦笑いしてたら、メリーザさんが例の手紙を取り出し。
「はい実は、街道でこんなものを見つけて。ここのお客さんじゃないかって」
元気よく女将に話しかけた。
女将はそれに目を通すと。
「あー、また死の谷の客かい。そういや、うちの旦那がさっき『谷への柵が壊されてた』って文句言ってたなあ」
メリーザさんが、おどろきの表情で俺を見た後。
「あたしたちそれを止めたいって、ここまで来たんです」
もう一度女将に向いてそう続けた。
「それなら協力するのもやぶさかじゃないが。
あんたらどうすんだい? 泊まるんなら料金はとるよ」
女将は俺とメリーザさんを見て、ニヤリと笑い。
「それに今日の宿泊客は3組でね…… うちは4部屋しかないんだが?」
そう付け加えた。
「もちろん大丈夫です!」
元気よく答えるメリーザさんに。
女将は「ふぁふぁふぁ」と笑いながら、鍵をとりだし。
「毎度ありがとう」と、深々と頭を下げた。
商売人根性って立派だと……
――その時、感心したのをよく覚えている。
++ ++ ++ ++ ++
メリーザさんは部屋をキョロキョロ見回し。
「じゃあ、まずは作戦会議ね!」
照れを隠すように大声でそう言った。
思ったよりもキレイで広々とした室内には、でーんと……
――ダブルサイズのベッドがひとつ。
その横に小さなテーブルと、椅子が2つ。
テラスにもテーブルと椅子があり。この宿が小高い位置にあるせいか。森を見下ろす景色も美しく、下を流れる沢の音も心地よい。
とりあえず俺は、できるだけベッドを見ないようにして。
テーブル横の椅子に座る。
「今日の客は3組だって話だけど、その客の宿帳を後で見せてもらおう。
それから直接会うチャンスが欲しいから。
――それをどうするかだけど」
「そ、そんなにのんびりしてて大丈夫なのかな?
もういっそのこと、一部屋ずつ突撃した方が……」
「そんなことしたら、逆に怪しまれて証拠がつかめないし、自殺を急がせるかもしれない。手紙の主の狙いが死の谷なら、決行は明日の朝以降だ。
あの道は暗闇ではとても進めないし。柵を壊したのが手紙の主なら、計画性があるやつだから」
「どうせ死ぬ気なんだから、無理してでも夜に移動することがありそうな……」
「その可能性はとても低い。死の谷は、『噴煙の幻覚作用で楽に死ねる』って言う噂のせいで、自殺の名所になったんだ。
なら、手紙の主は少しでも恐怖が無い状態で死にたいって考えてる。
――わざわざこんな山奥まで来るぐらいだし。
その考えは、強固なはずだ」
それに、柵は主人が直したようだし。
暗闇に紛れて柵を壊したり、別の道を行くのはかなり難しい。
「そ、そうね。やっぱりディーンさんに相談して正解だったわ!
じゃ、じゃあ…… この後、ど、どうしよう」
メリーザさんはもじもじしながら、たまにベッドに目をやって。
落ち着かないようすだ。
また二の腕で胸をはさむようなしぐさをするから……
おっぱいがけしからんことになっているし。
「さっきの女将の説明だと、あと2刻すれば夕飯だそうだから。
その配膳を僕たちでしようか。
そうすれば、手紙の主に不審がられず会うことができるし。
部屋を見れば、なにか証拠がつかめるかもしれない」
「め、名案ね! じゃあ…… それまで…… どうしよう?」
メリーザさんの声がだんだん小さくなって、もう顔が真っ赤だ。
あれだけ猛烈にアタックしてきたけど、直前でおじけづいたか。
それとも本当に俺を励ましたかっただけなのか。
むしろメリーザさんが焦れば焦るほど、俺の心は冷静になった。
きっと心のどこかにジャスミン先生がいて、ブレーキをかけたのだろう。
「せっかく温泉に来たんだから、風呂に入りましょう。山道を歩いたせいで、汗だくだし。そのついでに今の話を俺が女将にしておきます。
――まずは、そんな所で」
俺がそう言うと。
「そ、そうね。温泉に来たから、風呂に入る…… 名案よね」
コクコクと頷きながら、微妙なことをおっしゃった。
そしてメリーザさんは、なんどもその透き通るような青い髪を手ですき。
「じゃ、行ってきますです」
ぎこちない動きで、部屋を出て行った。
この森はセーテンと一緒に修行をしてた、俺の庭のような場所だ。
今は夏だし、なんども野営したことがある。
谷までの道を見張るとか、適当な言い訳をつけて俺は外に泊まればいいし。
手紙の主も最悪明日の朝、現場で取り押さえればいいだけだから。
あの時は確か、この後あんなことが起きるとは想像もしてなくて。
メリーザさんのけしからんおっぱいを思い浮かべながら……
――俺は夕闇に沈む森を、のんびりと眺めていた。
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