夏の日の彼女 3
山の斜面に切り立つように建てられたこの宿は、入り口が1階と2階を兼ねている。つまり、正面から見ると1階が入り口で、地下1階が存在し。
裏側から見ると、通常の2階建てに見える仕組みだ。
もう少し手前に通常の露天風呂もあり、温泉だけの利用客はこちらを使うが。
「泊り客用の露天は裏側の斜面にあって、死の谷が一望できる。
あんた入ったことないだろう? 楽しんできな」
女将の話だと、そうらしい。
俺の計画を女将はこころよく了解してくれたので。
宿帳を確認して、配膳の時間を聞き。 ――その温泉に足を向けた。
受付の横の階段を降り、下に位置した客室を抜け。
『温泉→』の看板に従って廊下を進むと。
50代と思える、痩せた男とすれ違った。宿帳にある「カグレー」さんだろう。男性客はひとりだったから、俺はそうあたりをつけた。
かるくお辞儀をすると、彼は疲れたようにそれに応じる。
宿帳の文字はみな走り書きで、丁重に書かれた遺書と比べるのは難しかった。
あの手紙の文字は女性らしく見えたが、先入観は危険だろう。
俺はそう考えながら。
『男湯』の戸を開けた。
++ ++ ++ ++ ++
脱衣所を出ると、『内湯』『露天』の2つの案内看板があったから。
女将に進められた『露天』へ足を向ける。
夕闇はすでに終わり、空には星がチラホラ輝き始めていた。
明かりの無い湯船を手探りで進み、奥の柵ごしに外を見たが。
残念ながら、暗すぎて死の谷を見ることはできない。
俺はため息をついて、肩まで湯につかる。
「あら? 男性客はひとりだって聞いて、さっきの人が出ったから。
安心してこっちに来たけど…… あなた、男よね」
慌てて声の方を見ると、20代半ばほどの女性の先客がいた。
「あっ? えっ? どうして……」
「女将から聞いてなかった? 内湯は男女別々だけど、露店は混浴だって」
楽しそうに笑う女性は。
頭に大きな狐耳があり、白銀色の美しい髪を後ろで束ねていた。
切れ長の特徴ある瞳と、キリリと通った鼻すじ。
妖艶な美しさが漂ってて……
「す、すみせん! 知らなくて。あ、俺もう出ますから」
――どこか寂し気な印象があった。
「あはは、いーわよ。あなた人族ね。こんな暗さじゃろくに見えないんだろう?
それにあたいは、人族からすればオバサンだから。
若い子と温泉に入れるなんて、こっちが役得よ」
だけど、暗闇に目が慣れてくると。
透明度の高い湯ごしに、その美しいプロポーションが徐々に見えてきた。
胸はそれほど大きくなかったが、獣族特有の躍動感ある肢体。
ほとんど脂肪がなく、くびれたウエスト。
――しかし柔らかい雰囲気が、大人の女性の色気にあふれていた。
赤くなる顔を自覚しながら、視線をそらし。
あがろうか、このまま会話を進めるか…… 悩む。
泊り客はあと2人。『マリス』さんと『キュービ』さん。
ここで話ができれば収穫があるかもしれないが。
初対面で裸と言うのはハードルが高すぎる。やっぱり出て行こうと決めて、腰を上げようとしたら。
「湯治? じゃあないわよね…… 賢者会の学生さんかな?
夏休みのアルバイトとか」
むこうから話しかけてきた。この後配膳に行くから、適当に頷くと。
「羨ましいわ、まだ可能性と未来が輝いている頃ね。しっかり勉強して、失敗しない大人になってね」
苦笑いしながら、彼女はそう呟いた。
「失敗しない大人ですか…… どうしたら、そうなれるんだろ」
その言葉に、ふと。数か月前に賢者会で起きた一連の出来事が頭をよぎった。
――俺は、どこで失敗したんだろう。
なんど考えても、明確な答えが出てこなかったし。
例え正解が分かっても…… 時間をさかのぼって、やり直すことはできない。
いつものように、また考え込んでしまうと。
「ごめんね、無責任なこと言っちゃって。 ――そうね。失敗しちゃった大人からの助言で良ければ。そこから何を学べるか…… かもね。
取り戻しがきく前なら、そこが分かれ道になるから」
彼女はそう言って、立ち上がった。
水音に、俺はついついそちらを向いてしまう。
そこには……
月の光を一身に浴び、まるで
かたちの良い胸はツンと上を向き。くびれた腰は薄っすらと筋肉が浮き。さらにその下で視線が止まってしまうと。
彼女は恥ずかしそうに、少し足を開き。
「生きてれば辛い事もあるけど、楽しいこともたくさんあるわ。
あんた吸い込まれるように死の谷を見てたから、ちょっと心配だったんだ。
これはお姉さんからのサービスよ…… 生きるための活力ってやつかな?
よーく見て、覚えておきなさい」
そして髪を解くと、くねるようにそれをかき上げ。
「あたいはキュービって言うんだ、12号室に泊まってる」
またさみしそうな笑みを浮かべると。
キュービさんは、大きなお尻と2つの尻尾を揺らしながら。
月明かりの陰に、去って行った。
俺は何が起きたかよく理解できないまま、湯船に釘付けになっていたら……
「わあ、きれい!」
ザブザブと湯船を歩く音がして。
「あれ? なんで!?」
全裸のメリーザさんがあらわれた。
ゆさゆさと揺れる健康的な爆乳を眺めながら。
俺は大人の女性の魅惑的な色気と、若い女性の可愛らしい美しさと言う……
――大人の男の悩みを知った。
++ ++ ++ ++ ++
「ああ、あの。さきほどはつまんないものをお見せしてしまって……」
配膳のために給仕服を着たメリーザさんが申し訳なさそうに謝る。
ここは昔、貴族の別荘だったそうで。男女そろいの給仕服があり。
実際にもう少し後の夏の書き入れ時には、バイトも雇うこともあるそうだ。
「手伝ってくれるんなら、これに着替えな」
女将に渡された服は、俺には問題なかったが。
メリーザさんの体の一部はサイズが合わなかったようで。
彼女が頭を下げると、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた胸元があらわになって。
さっきバッチリ見てしまった、健康的で張りのあるおっぱいを。
……どうしても思い出してしまう。
「あやまるのは俺の方だし、悪いのは何も言わなかった女将だ」
なんとか声を絞り上げると。
「あの、見ました?」
あの時メリーザさんは慌てて引き返したけど。
眼もすっかり暗闇になれてたし、しっかり記憶に焼き付いている。
「いや、暗くてはっきりとは……」
だけど、ついついごまかしてしまう。
メリーザさんは、上目使いに俺をジッと睨むと。
「んー、ま、いっか。どーせ見せるんだし」
不審なことを小声でおっしゃって、ニコリと微笑んだ。
はて? さっきので踏ん切りがついてしまったんだろうか。
ならいよいよ今夜は野宿か……
そう考えていたら、ふとキュービさんの言葉が脳裏をかすめる。
あれは、やっぱり誘われたんだろうか?
「ねえディーンさん、なに考えてますか。
そうそう、聞きそびれてましたけど。露天風呂に先客がいませんでした?」
急に怖い顔になったメリーザさんに。
「そうだ、冷めないうちにとっとと配膳しよう」
おれは言い訳するように、そう呟いた。
部屋は4つ。俺たちが泊まったのは2階の『21号室』
部屋番号は1階から『11号室』『12号室』
そして2階が『21号室』『22号室』と振り分けられていた。
「11号室はマリスさんね」
メリーザさんの声に頷き、俺が部屋をノックすると。
「はーい、夕食? 開いてるから入ってきてー!」
元気な女性の声が聞こえてきた。
2人でワゴンを押して入室すると、部屋の造りはまったく同じで。
マリスさんは、テラスで書き物をしていた。
「テラスまでお持ちしましょうか?」
俺がそう聞くと。
「あ、ここ散らかってるから。部屋の中でいいよ!」
あまり近付くと怪しまれそうなので、遠くから確認すると。
植物性の紙を数枚テーブルに置き、その横にペンや辞書が散乱していた。
念の為ゴミ箱を掃除するふりをして、中を確認したが。
とくに怪しいものはない。
マリスさんはなにかに追われるように、必死でペンを進めているが。
それ以外に気になる所はなかった。
どこにでもいる人族の20代の女性…… そんな印象だ。
配膳を終え、2人で礼をして部屋を出ると。
「どうだと思う?」
メリーザさんが聞いてきた。
「可能性は高いね…… 紙も見た感じ同じもののような気がしたし」
ただ何か違和感がある。
「書いてあるものが確認できれば一番だけど…… あと2部屋、まず見てみよう」
俺は特にその事には触れず、メリーザさんと次の部屋へ向かった。
続いて『12号室』に入ると。
キュービさんはテラスでひとり、外を眺めていた。
「テラスまでお持ちしましょうか?」
俺がそう聞くと。
「そこに置いておいて」
室内のテーブルを指さした。
メリーザさんが食事をテーブルに並べる間、俺はチリ取りとほうきを持って。
さっきと同じように、部屋を見て回った。
荷物は小さな安物の旅行鞄ひとつ。
その中から特に何か出したようすもなく、部屋はキレイなままだ。
テラスまで行くと。
「ねえ、あの可愛らしい女の子は彼女?」
キュービさんが小声でささやいてきた。
「いえ、その。違いますが」
「仕事は何時に終わるの?」
「これが済んだら、もう終わりです……」
シドロモドロで応えていたら。
「日付が変わる前なら、あたしはまだ眠らないから。
――訪ねてくるなら早くしてね」
キュービさんは楽しそうに、そう言って微笑んだ。
配膳が終わって部屋を出ると。
「怪しさ満載ですね!」
メリーザさんがすねたように呟く。
「確かに…… 自殺しそうなイメージがあるけど」
そう言ったら、メリーザさんがキッと俺を睨み返し。
「もー、いろいろと。怪し過ぎです!」
怒ったように、先に行ってしまった。
急いでメリーザさんを追いかけ。
「とにかく後ひとり、22号室のカグレーさんだ。
この人は常連さんで、女将の話だと。ふもとの街の大商人だそうだ」
なんとか話しかける。
「なら今回の件からは関係なさそうね!
遺書は女性の字っぽかったですし、そんな裕福な人が自殺なんて」
「そうとも言えないだろう、女性っぽい字を書く男は沢山いるし。悩みは必ずしも、お金と関係がある訳じゃない」
俺が引き留めると。
「ごめんなさい、つい。
そうですね、ディーンさんの言う通りですし。
その、やきもちを焼いただけです。あの人でしょう? 露天風呂で出くわしたの」
メリーザさんは、そう言って謝った。
「ああ、そうだよ。その、ちょっとからかわれてるみたいで」
俺もメリーザさんに頭を下げて謝ると。
「まー、ディーンさんって可愛いから。からかいたい気持ちも分かります。けど、変な誘惑に乗っちゃ嫌ですよ?
あー、でもでも。強引にお願いして正解でした。久々に元気なディーンさんの顔が見れて嬉しいです。やっぱり真剣に何かに打ち込むディーンさんて素敵ですね」
メリーザさんは楽しそうに笑った。
その可愛らしい笑顔に。
今晩俺はどうしたら良いのか……
――謎は深まるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます