こんな奴だったっけ?
運ばれてきた2つのチャーシュー麺は、美味そうな匂いをまき散らしていた。
クライは『わりばし』と呼ばれる木製の食器を、パチンと音をたてて割る。
「早速本題に入るが…… 帝国は今回の魔法陣の攻撃対象が聖国なら。
基本的に干渉しない構えだ」
そして器用に、麺をすくい上げた。
「それは大方、見当はついてたよ」
俺は大きなチャーシューに手間取りながら、なんとかフォークで麺をすくう。
やはり、『はし』を覚えた方がらーめんは食べやすそうだ。
「政治ってやつだ、悪く思わないでくれ。
だが帝国としては、根源を断つことに全力を尽くす。
その気持ちは本物だ」
俺も『はし』に挑戦しようか考えたが。
やはりフォークとスプーンで食べることにする。
もう、冒険したい歳でもないしな。
「気持ちだけでもありがたい」
クライにも立場があるんだろう。俺達は、もうそんな歳だ。
良くも悪くも、勢いだけで突っ走れない。
「問題はその後起こった、宰相襲撃の件だな。
連中の狙いは、聖国との関係悪化だ。
帝国は、それを望んでる訳じゃない。
だからお前がかくまっている司教を、どうこうする気はないそうだ。
このまま秘密裏に聖国まで送ってくれれば。
――後はあちらの問題だ」
「助かるよ。それで、犯人の目安は立ってるのか?」
「お前と言うエサをぶら下げて、ご招待したんだが……
到着が遅れてるようだ」
「30過ぎのおっさんじゃ、エサとして不味かったんじゃないか」
「そうでもないさ、お前ほどの色男は滅多にいない」
ラララの件もある。
俺はクライの言葉を、そのまま言い返してやろうかと思ったが。
丁度その瞬間『のれん』をくぐって、背の高い痩せた男が入ってきた。
黒いローブを着こみ、顔はよく見ても印象に残らない。
――あれは、記憶を混乱させる高度な魔術がかかっているのだろう。
クライは慌てる様子もなく。
「ディーン、つまらん物だが。 ――プレゼントだ」
俺が冒険者時代に愛用していた。
6連式タイプのナイフ・ホルスターを、ごとりとテーブルに置いた。
ガードは純度が高そうなオリハルコンで。
革の部分は、最高級とされるグリズリー・ベア独特の深みがある。
鑑定士時代にこんなものを見たら。
あの支店長も、きっと喜んだだろう。
しかもホルダーにはクライ特性の魔術がかけられた。
ナイフが実装されている。
グリップにも、高価な魔法石が埋め込まれていた。
ケチなクライからは、考えられない豪華仕様だ。
「司祭服の上からじゃ、似合わんだろ。
それに、お前がプレゼントなんて…… どっかで頭でも打ったのか?」
俺が呆れかえると。
「安心しろ。それは、ちゃんと経費で落とした」
何食わぬ顔で、クライが答える。
――大丈夫なんだろうか? こんなやつが隊長で。
北壁騎士隊は……
「あ、ありがとう。受け取っとくよ」
「ほんの気持ちだ」
経費で友情を伝えたのだろうか? それとも……
これが帝国の本気なんだろうか。
俺が真剣に悩んでいると。
薄ら笑いの店員が大声で叫ぶ。
「ご新規様、オーダー待ちでーす!」
厨房からも、それを復唱する声が聞こえ。
それと同時に、クライがパチンと指を鳴らし。
――店が暗闇に包まれ、テーブルも椅子も一瞬で消えた。
覚悟はしていたが、ここはクライの
A級クラスの魔術師でも。
机やテーブルの大型家具をトラップに変えれば、一流と言われるが。
クライは馬車ひとつ丸ごと。部屋ひとつ全部。
昔から、トラップに変える事が出来た。
天井も壁も、魔法陣がぎっしり書かれた閉鎖状態に変わるのを見て。
事前に説明のひとつもしてくれと、心の中で呟きながら。
俺は半分以上残ったらーめんを……
――そっと床に置いた。
++ ++ ++ ++ ++
らーめんを諦め、ナイフ・ホルスターを肩に掛けながら戦況を確認する。
痩せた黒ローブの男に先制攻撃を仕掛けたのは。
店員服のライアンと、カウンターにいたルイーズだ。
2人の剣は、確実に急所を捉えたように見えたが。
男は、その体制のまま反撃に出た。
抱え込むように脚を上げ、身体のヒネリでそれを一気に放つ独特な蹴り。
その体術に、俺は息を飲んだ。
――あれは。
「下がれ! 敵は黒使徒ではない、奴だ!」
クライの指示でライアンとルイーズが剣を引き、距離を取る。
蹴りを受けたルイーズの足元が怪しい。
その後ろに、厨房にいた3人の店員姿の魔術師。
反対側に、客のふりをしていた土木作業員姿の剣士が男を囲む。
間合いを取る男を確認すると。
魔術師のひとりがルイーズに駆け寄り、回復魔法をかけた。
「やはりエサが良かったようだ……
――大物がかかったよ」
クライはそう呟くと、杖を取り出し詠唱に入る。
復活したルイーズと土木作業員姿の剣士が、時間稼ぎに入った。
3人の連携も剣術も、かなりのレベルだったが。
剣は簡単に腕で払われ、時折男が入れる独特の蹴りで。
剣士達は、逆に追い詰められていた。
「下がれ!」
魔法完成のタイミングを計っていたライアンが叫ぶ。
同時に、クライの火炎魔法が男にヒットした。
「はぁああ!」
控えていたライアンが、まだ燃え盛る男にこん身の突きを打ち込む。
しかし、駅で戦った幼女と同じように。
ライアンの剣は黒い上着を、むなしく突き刺すだけだ。
クライが壁や天井の魔法陣を確認する。
幾つかの魔法陣が点滅を繰り返し、方角と位置を示した。
「よし、ネズミが付着した!
残りの控え兵と、西壁騎士団に連絡。
賊は西の
クライが指示を出しながら、壁をこつんと叩いた。
「まさか……」
俺はらーめんレストランが消えるのを見ながら。
驚きが隠せなかった。
「クライ、この店だけじゃなくて。
この辺り一帯がトラップなのか?」
「ああ、この再開発地域すべてがトラップで、俺の魔術制御下にある。
これから北壁騎士隊18名と、西壁騎士団3千5百人が追撃に入る。
――これが帝国の本気だ」
クライはそう言うと。
魔法石を幾つか放り投げ、それをエネルギーに魔法陣を複数展開させた。
そして、逃げた賊をモニターしながら指示を出す。
「……凄いな」ついつい言葉がもれる。
区画一帯を制御下に置くなんて。
いったいどれだけの技術と精神力が必要なのか、想像もつかない。
しかしクライは、豊富に使える
「帝国の財力を甘く見るな」
そう言って、ニヤリと笑った。
こんな奴だったっけ?
久々の旧友の姿に……
――俺は微妙な不安を抱かずには、いられなかった。
++ ++ ++ ++ ++
クライの的確な指示により、賊は未舗装の通りの中央に。
西壁騎士団によって、囲まれていた。
俺がこの道を歩いた時に見た建物は。
すべて建築途中の骨組みだけの姿に戻り。
街灯もネオンも、存在すらしていない。
「さすがにこの軍勢を、たったひとりで蹴散らすのは不可能だろう。
大人しく投降すれば命までは取らん。
観念したらどうだ!」
俺達が駆け付けた頃には、西壁騎士団の団長だろうか。
目立つ応用魔法鎧を身にまとった男が、ひとり佇む賊に最後通知をしていた。
痩せた黒いローブの男は、特にあせった様子もなく。
俺達の存在に気付くと。
「ここまで追い込まれるとは思わなかったよ。
さすがに地区ひとつ
――想像の範囲外だった。
ディーン、これはキミの発想かい?」
初めて言葉を発した。
そして顔に展開していた隠ぺい魔法を解く。
俺がそれを見て、身を固めると。
「ディーン、やはり奴は…… レイヴン・ナイトなのか」
後ろからそっと、クライが聞いてきた。
「クライ、どうしてその名を」
まだ、目の前で起こっていることが信じられない。
「医学、薬学の知識。応用魔法学を極めれる程の教養。
そしてずば抜けた魔力と…… 動機。
消去法と状況証拠だけだが。
――奴の名前は、当初から上がっていた」
クライがそう答えると、男は嬉しそうに笑って。
「まあいいや、本当はキミとゆっくり話をしたかったんだけど。
これじゃあ、邪魔者が多すぎる。
今日はもう、帰ることにするよ」
腰にぶら下げていた1メイル程の棒を取り、クルクルと回し始めた。
「クライ、全員に撤退命令を出せ!」
俺は大声でそう叫びながら、全力で男に駆け寄る。
もし本当にあれがレイヴンなら……
――あの棒は。
ホルダーからナイフを抜き、棒を握る手にピンポイントで投擲する。
「相変わらず判断が早くて、的確だね」
男は棒で軽くそれをかわすと。
「
そう唱え、魔力を棒に流し込む。
しかし術式が完成する前に、ナイフが起爆した。
中途半端な状態で起動した『ニョイ』は。
西壁騎士団の背後にある、建築途中の塔にまで延び……
一撃で粉砕した。
男が棒を通常サイズに納めても。
建物が倒壊する地響きが、鳴りやまない。
クライの指示が騎士団に伝達されたのだろう。
派手な鎧姿の男が撤退命令を出しながら、距離を取り始める。
「面白いナイフだね。でも、次はない!」
男は棒を2メイルに伸ばし、楽しそうに俺に向かって構えた。
俺は、左手で逆持ち、右手で正持ちした2本のナイフを握り。
ゆっくりと腰を落とす。
後ろには、クライが立ち。
さらにその後ろには、ライアン達が控えている。
あんなバカげた棒は『ニョイ』しかありえないだろうし。
あの棒術も、大賢者セーテンと瓜二つ。
ならもう、どう考えても…… あれはレイヴンだ。
稽古でも実践でも。あいつに勝ったのは一度だけ。
出来れば逃げ出したいが。
やはりここは、友情を信じて……
――戦うしかないのだろうか。
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