良い子はもう寝る時間
コンコースの突き当り。
左に入れば搭乗口に行けるところで、右側の通路に入り込む。
そして、通路脇にある地下への入り口を、開錠用の金具で開けた。
さっき見た設計図では、この階段を降りると地下格納庫だ。
ここまで敵の気配はゼロ。
ルイーズの手紙には『備蓄機にて待つ』と書かれ。
ご丁寧に俺の名前が記されてあった。
手紙の匂いを確認する。
「前の招待状も、この手紙も、ルイーズと同じ匂いだ」
筆跡も同じだから、ルイーズが書いたのは間違いないだろう。
ケガや薬のせいで、汗をかいていたせいだろうか。
それとも元々なのか。
どちらにしても…… やはり体臭の強い女性は素晴らしい。
俺はそれを、大切にポケットにしまう。
美しいルイーズの寝顔が、苦悶に歪んでいた。
あの表情が、俺の何かを締め付ける。
「悪夢は、いつだって心の大切なものをえぐるからな」
もしそれを利用するような奴がいるのなら。
決して許される事じゃない。
俺は心の中でそう呟き……
――ゆっくりと、その階段を下りて行った。
++ ++ ++ ++ ++
階段を下りきると、もう一枚の扉があらわれた。
こちらは鍵もかかっていなく、半開きの状態だ。
中から異様な魔力があるれ出ている。
扉越しに背を付け、懐のナイフを確認していたら。
「待ち合わせの時間より随分早いね!
あの女を迎えに向かわせたんだけど……
キミひとりって事は、もう殺しちゃったの?」
子供の声が聞こえてきた。
感じからして5~6歳ぐらいの女の子にしか思えないが。
「良い子はもう寝る時間だ。
お母さんが見付からないんなら、いっしょに探してやろうか?」
俺の言葉に腹を立てたのか。
扉ごと炎系の魔術で焼き払ってきた。
身を低めて、部屋に滑り込む。
着弾が高かったのと、炎の性質から魔術が上昇したおかげで。
火傷はしなくて済んだが。
破損した扉の破片が、手足に刺さった。
「つまらない冗談は嫌いなのよ。
無駄口を叩くようなら。
そこにいる男たちと、同じ扱いになるけど」
なんとか建築資材の陰に身を隠す。
さっきの魔法から考えると、たいした盾になりそうにないが。
室内を確認すると。備蓄機の数は3つ。
高さ5メイルほどの大きさの卵型で。
それを4本の柱が、左右前後から支えるようになっている。
それが地下倉庫の最奥部に並び、手前にテーブル大の応用魔法計算機があり。
リリーがその上で縛られていた。
その前に佇む少女は……
真っ黒のローブを被り。顔すら確認できない。
背格好は、本当に5歳児ぐらいにしか見えないが。
手には自分の背丈の3倍はありそうな、大きな杖を握っていた。
その少女の前には、4人の兵士が倒れている。
人数も容姿も、リリーをさらった賊の情報と一致する。
倒れた男達は、身体が微動だにしていない。
「仲間を殺して、なんの得があるんだ」
「はじめから仲間なんかいないよ。
あの女も、あんたが始末してくれたんなら……
――手間が省けて、嬉しいぐらい。
そうそう、箱はちゃんと持ってきてくれた?
この子…… 今の状態でも丈夫過ぎて、生贄にできないのよ」
そして、リリーを杖でつついて。無邪気に笑った。
どうやら、きついお仕置きが必要そうだ。
距離は6メイルを超えている。後ろにリリーが居るのも不利だ。
せめてあと2メイル近づけないか悩んでいたら。
通気口の留め金が、ガタリと揺れた。
黒いローブの少女がその音に振り返ると。
「下僕よ……」
リリーの苦しそうな声が漏れた。
無策だが、突っ込むしかないと覚悟を決めかけたら。
「もうこれ以上、食えんと言っとるじゃろうが。
我を太らして、何をする魂胆じゃ…… ぐふふふふ」
微妙な寝言が室内を支配した。
どうやら本当に、いろいろと丈夫過ぎるようだ。
……もう、このまま帰っても良いような気さえする。
「ねえ、この子ってバカなの」
「それ以外の何に見える!」
通気口の金具がゆっくりと外される。
「まあ良いわ! 早く箱をちょうだい。
偽物じゃあ、上手く行かないのよ」
「そいつを渡したらどうなるんだ」
ひょっこりとライアンの顔があらわれ。
俺に目配せすると引っ込んだ。
「この子を燃料に変えて『龍の嘆き』を再現するの」
「そんなことをしたら、お前の命も無くなるだろう」
続いてルウルの顔が出てきて。
なにやらサインのようなものを送ってきたが……
――時間を稼げって? まったく。
「すぐに起動しないから安心して!
まあ、この子の命はなくなっちゃうけどね。
ちゃんと言うこと聞いてくれたら。
あなたの命は助けてあげても良いわよ」
「よし、その話乗った!
今から箱を渡すから、そっちから近づいてきてくれ」
しまった!
時間を稼ぐつもりが、ついつい本音が半分漏れてしまった。
「ねえ、いったい何を考えて……」
黒ローブの少女がこちらに1歩踏み出した瞬間。
通気口から、ライアンとルウルが飛び降りた。
援護のために、俺も機材の陰から飛び出し。ナイフを3連投する。
「ちっ!」
ナイフは3本とも杖で払われたが。
そのスキにライアンが、リリーを縛るロープを剣で切り裂く。
反撃を試みた少女に向かって、ルウルが吠えた。
「ま、まさか…… 狼族?
――滅ぼしたはずなのに」
完全に動きを止めた少女に向かって、ライアンと俺が同時に切りかかったが。
「逃げられたようですね」
ライアンが脱ぎ捨てられた黒いローブを睨んだ。
「ありゃー、黒使徒だ。
逃げてくれて、助かったのかもな。
いちど襲われたことがあるから、よく覚えてる。
――間違いないよ。
あたいの『遠吠え』を正面から受けて。
少し体が止まる程度の奴なんて…… そうそういやしないしね」
そしてルウルがへたりと座り込んでしまった。
「大丈夫か?」
「やたら準備に時間がかかるし、一度使うとしばらく動けないんだ」
神獣は、退魔の『神技』を使えると聞いたことがあるが。
今のは、そのひとつなのだろうか。
「黒使徒…… 初代魔王の12人の高弟のことか」
「本物かどうかまではしらねーけど。
あたい達はそう呼んでた。奴らの実力は本物だよ。
仲間が、何人も殺されてるしな」
俺が考え込んでいたら。
ライアンが、まだ寝コケてるリリーと。
動けなくなったルウルを見比べ。
「それでディーン様。
私はどちらを運べば良いのでしょう?」
薄ら笑いで、手をワキワキとさせた。
ルウルが凄く嫌そうな顔をしたから。
「リリーを頼むよ」
そう言って、ルウルを持ち上げると。
「変なとこさわんじゃねーぞ!」
思い切り睨んできた。
そのくせ、階段を上がる途中で。
「落ちそうだ」
と、俺の首に手をまわしてきたり。
やたら胸を押し付けてきたりしたから。
あの平らな板の方にしときゃよかったと……
――少しだけ、後悔した。
++ ++ ++ ++ ++
コンコースの隅に寝かせておいたルイーズに近付くと。
彼女はまだ苦しそうに、寝息を立てていた。
「どうすんだい?」
ルウルはもう立ち上がれるようなので、適当に手を放すと。
なぜかまた睨んできた。
「敵の気配もないようだし、ためしたい事もある。
念の為、周りを見張っててくれないか」
ライアンは頷くと。
ガラス細工でも扱うように、リリーをそっと床に寝かした。
「女ってのは、ああやって扱うもんなんだよ」
不貞腐れたルウルを横目に、リリーを見たら。
幸せそうな寝顔で、お尻をポリポリとかいた。
あれが女かどうかは別として。
寝顔は、やっぱりそうあるべきだろう。
もう、あの野郎とは話をしたくなかったが……
俺はもう一度「回復の祭辞」を述べ。
聖人ラズロットの名を呼び。
ルイーズの苦し気な寝顔まで手を差し伸べた。
「やあ、覚悟は決まったかい?」
優し気で、しかし、どこか抜けてそうな男の声が聞こえてくる。
「覚悟なんか必要ないさ。
ただ俺は、後悔したくないだけなんだよ」
俺の言葉に、その男はクスリと笑う。
「なかなかの色男だね、キミは。
苦しむ女性は見捨てられない?
まあ、思ったより早く呼んでくれたから、僕は嬉しいけど。
じゃあ約束通り、キミの鍵を少し外させてもらうよ。
安心して…… その子はちゃんと助けてあげるから」
そして俺は……
――ルイーズの記憶の中に、落とし込まれて行った。
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