良い筋肉だわ
「金貨5枚、確かにお預かりいたしやした」
住宅は最近の地価高騰のせいで、購入時より高く売れた。
おかげで手元に多少の金は残ったが……
俺は「返済」の魔法印が押された借用書を受け取って、深いため息をつく。
「しかし旦那、こんなこと言っちゃなんだが、いまさら転神教会に肩入れしたって未来は無いですぜ。
これからどうすんだい? まあ、あんたの腕なら食いぶちもあるだろうが……
それともどうだい、ウチで用心棒でもやらねーか?
給料は悪くねーから」
借金取りのチンピラ…… バルボットと言う名前のこの男は、話せばわかる奴だった。
教会での一件を詫び返済の話を進めたら態度が一変した。
まあ職業上そうなだけかもしれないが。
「ありがとう、考えておくよ」
しかし…… この先のことを考えると、金の問題は切実だ。
借金を返したはいいが、教会自体の収入が見込めない以上、ほっとけばまた同じ事態を招きかねない。
「乗りかかった船だからな」
シスター・ケイトの身の振りだけでもなんとかできればいいが。
++ ++ ++ ++ ++
「お疲れ様でした!」
俺が教会に帰ると、シスター・ケイトとばーさんが夕飯を食べていた。
「粗食ではございますが、ディーン様の分もご用意いたしましたので」
テーブルに並べられたのは、この辺に生えている雑草を煮込んだスープと、硬いパンのみ。
これじゃ、栄養失調になってしまう。
「今日屋敷を売り払って、借金を返してきました。
これがその証文です。
それから差し出がましいですが、しばらくの生活資金という事で」
銀貨3枚を証文の上に置く。
これで俺の手元には、銀貨2枚の金しか残らないが……
2月あれば、状況を変えられるだろう。
「そんな…… なにからなにまで」
シスター・ケイトは、祈りを捧げるように手を組んで瞳を閉じた。
「それでー、覚悟はできたのー?
今なら出血大サービスで、司祭職とケイトちゃんがもらえるんだけどー」
ばーさんが、ひひひと笑いながらスープを飲む。
「そう簡単に司祭になんてなれないでしょう。
俺には学が無いし、そもそも転神教会の教徒でもない。
祭辞ひとつ読めませんよ」
司祭は、ひとつの教会の責任者だ。
何年も修道院で学び、その後教会での実績が認められ、昇級試験をいくつもパスして……
やっと成れる職だと聞く。
「物事にはー、なんでも横道があってー。
2人以上の枢機卿クラスの推薦があれば、司祭ぐらい就任できるのよー」
「なおのこと無理じゃないですか?
いくら衰退したとはいえ、そのクラスの人物は今でも国政に関わるような重鎮ばかりだ」
帝国の国教からは外されたが、地方有力貴族や従属国の参謀を務める人物はまだ多い。
そんな連中から推薦をもらうなんて、夢のまた夢だ。
「それに、そんな話が上手く行ったとしても……
この場所での教会運営はもう不可能でしょう。
俺としては、今後のシスター・ケイトの身の振りを前向きに考えたいんだが」
シスター・ケイトを見ると。
「あたし手に職もありませんし、魔法も使えません。
孤児ですから後見人もおりませんし。
シスター以外の職は、夜のお仕事か……
――その、お、お、お嫁さんぐらいしか!」
手を組んだまま、熱い視線で見詰めてきた。
やはり彼女も夜の仕事は嫌なんだろう。顔も赤く、呼吸も激しい。
しかしこの粗食で、どうしてあんなに胸だけ育ったんだろう?
今も腕で挟み込まれたおっぱいが、その存在感を必要以上に強調してる。
上気した顔が、妙にエロいし。
目のやり場に困って、ばーさんを見ると。
「じゃー、こーゆーのはどうかしら?
今日知り合いのマーベリック伯爵に会いに行ったのよー。
そしたらー、お嬢さんが呪いの品の影響でー、部屋から一歩も外に出てこないって。
なんとか出来ればー、この教会のを援助しても良いって」
「マーベリックって、この領を治めてる……
知り合いなのか?」
このとぼけたばーさんが? 相手は大貴族だ。
「あのこがー、男爵だった頃に少しねー」
噂では前の戦の武勲を認められて、男爵家から成り上がった傑物らしい。
「しかし、俺にはそんな事はできん」
伯爵家なら、今まで多くの解呪師や魔導士を雇ってきたに違いない。
Fクラスの鑑定士が今更のこのこ出て行ったところで。
「まー、ダメもとで会ってみてら?
上手く行けばー、司祭の問題もー、お金の問題もー。
解決できちゃうわ」
ばーさんの不気味な笑みに、不安が残ったが……
確かに、やらないよりやった方がましだろう。
司祭云々は別としても、もし上手く行けばシスター・ケイトを救うことができるのだから。
「分かりました。
明日は引っ越しで仕事を休むことになってたから、早速行ってみましょう。
それから、今晩からここにお邪魔しますので、宜しくお願いします」
俺がそう言うと、2人は嬉しそうに微笑んだ。
雑草スープも硬いパンも、食べてみると意外と不味くは無い。
笑顔は最高の調味料と言うが……
――俺も何かに飢えていたんだろうか?
そう考えながら、心の中でニヒルに失笑した。
++ ++ ++ ++ ++
この領の主要産業は観光と牧羊だった。
しかし山間部に湧水が多い事と流通の便が良いため、今では応用魔道具の工場が立ち並び、街は景気で湧いている。
また、ここは温泉が出るため、大きな施設には必ず大浴場が設置されている。
観光客がその温泉を目当てにやってくることも多いからだ。
この教会にも大浴場があった。
手入れが行き届いていないせいで少々古ぼけてはいるが、それを独り占めできるのはこの上ない贅沢だ。
壁には大きな彫刻が施され、伝説の「聖人ラズロットと龍姫リリー・グランドの出会い」が描かれている。
近付いてみると、残念なことにあちこち剥がされた跡がある。
たぶん、金目のものは全て持って行かれてしまったんだろう。
俺が湯船から立ち上がり、そっとその部分に手を触れると。
「ディーン様、はあ、はあ。
お着替えの匂いを嗅いでいたら…… ああ、違いました。
お着換えの用意をしていたら、遅れてしまいました」
タオル1枚の姿のシスター・ケイトが話しかけてきた。
「どうして、ここに?」
風呂に入ると言ったら、着替えを用意してくれるとは言ってたが。
「その…… いろいろとお世話になってますし。
せめてお背中だけでもお流ししようと」
大きな目がランランと輝いて、俺の身体をなめまわすように見ている。
「やっぱり素敵な筋肉ですね。お店でお会いした時から、そうじゃないかって思ってたんです。服に染み付いた加齢臭も最高でしたし……」
筋肉? 加齢臭??
なにか聞き間違いをしたんだろうか。
野獣が獲物を見つけたような顔立ちのシスター・ケイトは、身体に巻いていたタオルをズラしはじめ。
「も、もう…… 我慢できません」
大きな胸をあらわにして、湯船に突進してきた。
トロンとした目に、半開きの口。
大きな下唇には、よだれが垂れてて……
「ど、どうしたんだ?」
俺は思わず後ろに下がり、壁に背をついて逃げ場を失った。
「そんなお顔でおびえられると、嬉しくなってしまいます!」
俺の首に手をまわして妖艶に微笑むシスター・ケイトは、まるで別人のようだ。
なんとかこの場をおさめようとシスターの手をどかそうとしたが、力が入らない。
大きな2つの膨らみが、俺の胸に押し付けられると……
――不意に、ユニーク・スキルの条件が整う。
『アンティーク・ウィスパー』
どんな強力な呪器だろうが魔法具だろうが、会話をもとに制御が可能になる絶対スキル。
そして俺は、こいつを『俺に好意を持った女性に対し、俺が欲情する』状態でしか発動できない。
「なんじゃ、我はもう眠いのだ。明日にしてくれぬか?」
昨夜から聞こえなくなっていた幻聴が、後ろから話しかけてくる。
俺はワラをつかむ思いで、そいつに訴えた。
「この状態をなんとかできないか」
「うむ…… お楽しみだったのか?」
「見ればわかるだろう、そんなんじゃねえ!」
「そのシスターからは、微かにだがサキュバスの匂いがするな。
――どうじゃ、取引をせぬか?
我をこの戒めから完全に解き放てば、その願いをかなえてやろう」
シスターの唇が、俺の口のすぐ近くまで迫ってきた。
「わかった! その戒めとやらはどこにあるんだ!」
「お主の背中のラズロット像じゃ」
古龍リリー・グランドを解き放ってもいいかどうか悩んだが……
本物かどうか別として声の少女に悪意は感じなかったし、俺のスキルが次にいつ発動するかなんてわからない。
少女が出たいというのなら、解放してやろう。
それに、今の状態は切羽詰まっている。
「ラズロット、悪いがその戒めを解いてくれ!」
魔力のこもった俺の声に従って、なにかが外れる手ごたえがあった。
「流石は我の下僕じゃな! 良かろう、その娘を少し大人しくしてやる!」
その声と同時に、シスター・ケイトが意識を失う。
俺がなんとかシスターをタオルでくるんで脱衣所まで運ぶと。
「あらあらー、良い所だったのにー、なんでやめちゃうのかな?」
ばーさんが隠れて覗きをしていた。
「おい、ばーさん。見てたんなら止めてくれれば良かったのに」
「人の恋路を邪魔するほどー、野暮じゃないからー」
さっきの状況からして、シスターになんらかの事情があるのは確かだろう。
しかも、ばーさんの驚いていない態度からして。
「知ってたんじゃないのか?」
「そーね。でもー、たいして強い力じゃないし。本人の強い意志で制御できてたからー、心配はしてないかな」
「こうなってるのにか?」
こんなおっさんを襲うようじゃあ、とてもそうだとは思えない。
「バカねー、それも本人の意志よー。
多少過激に走るぐらい、いーじゃない。チャームポイントだと思えば」
「こんな綺麗な娘が暴走したら、なにが起こるか分かんないだろう」
世の中、悪い男は掃いて捨てるほどいる。
「何度も言うけどー、本人の意志だって。
好きな人じゃない限り、そんなことしないでしょー。
それにケイトちゃんはー、自分で気付いてないよーだけど。
人の心も多少読めるみたい。だからー、騙されることはないよ」
そう言って笑うばーさんは、やっぱりくえない。
「問題はこっちよりー、あっちかな?」
浴槽の壁を見て、さらに楽しそうに笑う。
「シスターを介抱してやってくれないか? こんな格好じゃ、風邪をひきかねない」
シスター・ケイトを渡すと、ばーさんは軽々と受け取った。
やはり詠唱も応用魔道具も使わずに、常に魔法を使っている。
かなり高度な魔力操作だ。まったく…… 得体が知れないばーさんだ。
そして、俺の身体をまじまじと見て。
「確かに良い筋肉だわー」
顔を赤らめ、ぽそりと呟いた。
大丈夫だろうか? この教会……
――どうりで落ちぶれる訳だと、俺は心の中で深く納得した。
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