第一夜 ③

 

 12月25日0時13分、アパートメント5C号室のドアノブがゆっくりと回った。

 扉が細心の気遣いを表すように慎重に外へ開いていく。

 そして廊下の光と共に顔を覗き込ませてきたのは、ジェレミーの弟ベンだった。


「……ッ!?」

 パーティーをしていたはずなのに何一つ音が聴こえず、鼓膜には静寂しか伝わってこない。

 しかしベンが顔をしかめた理由は別にあった。

 室内の空気が漏れ出してきた瞬間、それと一緒にこれまで嗅いだ事のないむせ返るほどの濃臭が押し寄せたのだ。

 思わず外に退避しそうになり、その寸前に室内の色に気付く。

 電気は明々と点いていたが、あまりに一面が塗り替えられていて一瞥では認識できなかった。

 いくらクリスマスでも悪趣味以外に感想を述べようのない真っ赤な壁、床、さらに天井。どこからこれほど大量のペンキやスプレーを持ち込み、どうやって塗ったのか…いや、ぶちまけたとしか思えない異様さだ。しかもそれは今もポチャリ…ポチャリ…と断続的な音を立てながら天井から雫を落としているのだ。


「なに…これ……?」


 床に至っては、赤いだけでなく、何なのか判別できない細かな物体を点々とさせていた。

 綺麗なハンカチで口元を覆いながら、どうもまるで乾いていないペンキに滑らないよう注意をはらって廊下へ踏み入る。靴底越しに伝わる感触はお世辞にも良いとは言えない。

(……?)

 一番近くに落ちている『何か』を拾い上げようと思った。思ったが、途中で手が止まる。

(これって、まさか…………血?)

 床のぬめり、壁の照り返し、そして嗅ぎ慣れないこの臭い。

 これは血液ではないか?

 ……じゃあ何の? 誰の?

 その『何か』に視線を落とす。もしも一面の液体が血液なら、この点々と散らばっているは……?


 這いあがってくる震えよりも先に、ベンはリビングへと駆けこんだ。

 そして足を滑らせて倒れ込むと紅い液体を花のように咲かせた。右手から買い物袋が吹き飛び七面鳥ターキーが転がり出る。

(血だ……!!)

 確信して恐怖に衝き上げられながら上体を起こした。


「 ―――――。」


 すぐ目の前に、『誰かの指先』が引っかかった『兄の携帯電話』。

 そして広い部屋に満ち溢れていたのは、悪夢に喰い散らかされた聖なる晩餐会の跡。


 ベンの絶叫が響く数秒前……聖誕祭の夜は静かに世界を包み始めていた。

 


                                                               第一夜 幕。

 

 

 

 

 

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