3.伝説の木の下で
「じゃあ、行ってくる」
あー、はいはい。
「お姉ちゃん、がんばるから。和揮はそこで見守っててね!」
いてらーと、例の大イチョウからちょっと離れた木の陰から、僕はお姉ちゃんに見えるように手を振った。
なんで僕がこんなことをする羽目になったかってーと、今日の告白を隠れて見守って欲しいと、お姉ちゃんにゴリ押しされたからだった。
まあ、それも僕が昨日あれだけ脅かしたわけだから、その分の責任を取らなくちゃと言えなくもない。
と言うのは建て前で、本音はお姉ちゃんのことが心配で居ても立っても居られなかったからで、でもそれを気取られるのもなんかイヤ気がして、渋々の体で承諾したのだった。
しかし、大イチョウの近くにいい
よし、この木を『見守りの木』と名付けよう。
なーんて、てきとーなことを考えているうちに、大イチョウの下で待つお姉ちゃんの元に、背の高い爽やかスポーツマンが近づいて来た。
言わずと知れた、元バスケ部のキャプテン、三年生の天野先輩だ。
「ごめん、待った?」
「いえ、私も今来たところです」
そりゃそうだろ。今、ちょーど約束したオンタイムなんだから。なんて、お決まりの台詞の応酬に、意味のないツッコミを入れてみる。
なんだかなー
「で、話って、なに?」
いや、女の子がわざわざ呼び出してする話って、ひとつしかないだろ! このイケメンめ!
「えっと、あの……、っていうか」
うっわー、昨日は私って可愛いとか言って、みょーちきりんな自信で満々だったのに、天野先輩を目の前にしたら、緊張してぐだぐだじゃねーか!
「ううっ……(和揮)」
そんな捨てられた仔犬の目でこっち見たってダメだってば、お姉ちゃん!
「どうしたの?」
「その……、す、す……」
「す?
さすが受験をひかえた三年生! って、このシチュで、なんで天神様なんだよッ、天野先輩!
「す、好きです!」
その『好き』は、恐らくありったけの勇気を振り絞って吐き出したのだろう。
「好きです! 大好きです、天野先輩!」
お姉ちゃんの口から『好き』が零れ、でも、そのあとに続く名前を聞いて、僕の胸がズキンと痛んだ。
なんなんだよ、この気持ちは。
「君が俺のことを?」
「はい!」
なんでこんなに胸が痛むんだよ。
「好きです、先輩!」
これじゃあ、まるで
「そっか」
僕がお姉ちゃんのこと好きみたいじゃないか。
「はい!」
勇気を出して告白したお姉ちゃんの顔は、上気して真っ赤で、小さい頃初めて行った銭湯ではしゃいで、大きな湯船に浸かり過ぎてのぼせたときみたいだったけど、不思議と綺麗に見えた。
「俺も君のことが好きだよ」
「先輩――」
よっぽど嬉しかったのだろう。お姉ちゃんの目に涙が浮かぶ。
「えと、菜々美ちゃんだっけ?」
「あ、はい!」
「じゃ、ホテル行こっか」
「はい?」
爽やかスポーツマンの天野先輩にはミスマッチな単語に、キョトンとするお姉ちゃん。
「あのぅ、ホテルって?」
「ラブホだよ、ラブホ」
先ほどとはまた違った熱で、お姉ちゃんの顔が真っ赤になる。
「ラブホって……天野先輩ってまさか、ヤリチン?」
「ヤリチンはヒドイなぁ。まあ、そうかも知れないけど」
爽やかな笑顔で、頭を掻く先輩。
「好き合ってる男女がすることと言ったら、他にないだろ?」
「いや、でも……」
「それともあれ? 君って結婚するまではバージンを守ります系の人?」
「え?」
どこかで聞き覚えのある台詞に、お姉ちゃんの動きがフリーズする。
「じゃあ、バージンはいらないから、おしりいただくね」
「お、お……」
そして、フリーズが解け、
「おしりかじり虫ーーーーーーッ!」
お姉ちゃんはスタコラ逃げ出した。
その背中が完全に見えなくなってから、天野先輩はゆっくりと僕の方へと向き直った。
「これでよかったのか? 一宮」
僕もそれに応えて、『見守りの木』の陰から姿を現す。
「はい。ありがとうございます。天野先輩!」
僕は先輩に深々と頭を下げた。
「無理を言って、すみませんでした」
「まあ、代わりに今度の公式戦に助っ人として試合に出てもらうんだから、安いもんだ」
「でも、部員でもない僕が公式戦に出ていいんですか?」
「なに、うちの部は人数が少なくてな。三年生が引退した今じゃ、レギュラーが怪我でもしたら交代要員もままならない状態だから大助かりだよ」
「そうですか」
「なんなら、そのまま入部して、レギュラーになってもいいんだぜ。球技大会での君のプレーは本物だったかね」
「それは、買いかぶり過ぎです」
「いやいや、まぐれで五連続スリーポイントは決められないさ」
それから天野先輩は、スポーツマンらしく爽やかに笑った。
「そう言えば、君がスリーポイントを決める
「ええ、まあ」
「随分とショックを受けてたみたいだけど、大丈夫か?」
「はい、先輩にまともに振られるよりはマシです」
「もっとも、彼女持ちの身としては、断るより他の選択肢はないんだけどな」
つまりは、そういうことだ。
僕は、前々から天野先輩にバスケ部に誘われていて、何度か話しをするうち先輩がバスケ部の女子マネと付き合っているのを聞いていたのだ。
このままじゃ、お姉ちゃんの告白は完全なる玉砕に終わる。
そう思った僕は、先輩に頼み込んで、バスケ部の助っ人を務める代わりに、わざとお姉ちゃんに嫌われるよう芝居を打ってもらったのだ。
「先輩には無理なお願いを聞いていただいて、感謝してます」
「なに、助っ人の件は渡りに船だったし、それに、あんな顔して頼まれたんじゃ断われないだろ」
あんな顔?
「あんな真剣で、せっぱ詰まって泣きそうな顔で頼まれちゃあな」
僕ってそんな顔して頼んだんだ。
すると天野先輩はもうひとつ、今まで気がつかなかった、一番大事で、一番決定的なひと言を僕に突きつけた。
「好きなんだろ?」
え?
「君は、あの
いや、そんな、僕はただ、お姉ちゃんが振られるのがわかってたから傷つかないようになんとかしようと思っただけで、それに、お姉ちゃんは僕のことなんか弟としか見てなくて――
「好きじゃなきゃ、あんな顔をして頼んだりしない」
きっぱりと言い切った先輩の台詞に、僕はひと言も返すことが出来なかった。
小さいときから、いつもいっしょにいたお姉ちゃん。
大きくなって、時折見せる表情にどきどきして、告白するって聞いたときはイライラして、お姉ちゃんの口から『好き』って言葉が出たときには、ズキンと胸が痛んで。
そっか、僕はお姉ちゃんが好きなんだ。
僕は、お姉ちゃんに恋してるんだ。
だから、あんなにどきどきしたり、イライラしたり、胸が痛んだりしたんだ。
「しかし、またゲスい台詞を言わせてくれたもんだな。『おしりかじり虫』って、なんだよ」
「いや、あれはお姉ちゃんの勘違いで……ス、スミマセン。先輩にご迷惑はおかけしませんから」
「頼むぜ。俺も彼女がいる身だからな。変なウワサが彼女の耳にでも入ったら、彼女に怒られちまう」
「大丈夫です。お姉ちゃんは僕がうまく言いくるめときますから」
「ま、俺もどっちかってーと、おしりの方が好きなんだけどな」
「え?」
「あ……」
「…………先輩」
「……………………」
しばしの沈黙。
刹那、僕と先輩の間に妙な風が吹いた。
そして、
「冗談だよ、冗談!」
と、笑う天野先輩。
その笑顔の裏を、僕はあえて見ないように目を伏せた。
マ、マジだよ、この人。
「で、あの
「ええ」
僕は先輩にひとつ頷いてから付け加えた。
「お姉ちゃんの行動パターンは、わかってますから」
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