第4話:命の天秤

しかしロコの顔は晴れない。ジズは何をそんなに心配しているのか不思議に思いつつ、ほら行こう、と促す。彼は頷くと黙ったまま再び二人に先立って歩き出した。


それからどれぐらい歩いただろうか。同じような道が続いている上に明かりも一定なものだから、時間感覚も鈍ってくる。ジズが小さな懐中時計取り出して見ると、地上はちょうど朝御飯を終えて仕事が始まるような時分となっていた。小屋を出たのが夜半過ぎなので、かれこれ三刻ほどは経っているようだ。


ふいにロコが立ち止まる。


「空気の流れが変わったな」


言われてみれば確かに澱みが大分薄くなった代わりに、頬を叩く風に冷たさが増してきているのがわかった。地中は少し蒸した空気が流れていたので、突然の風に思わず鳥肌が立つ。


「……本当だ、それにこれは雪の香り?」


「あぁ、どうやら運はこちらに向いているようだな」


雪が降っている、ということは雲が厚く、陽の光が弱いということだ。《陽光過敏症》の二人にとっては好都合である。


「イリア、《ツェクーペのマント》着てる?」


「うん、バッチリだよ」


「じゃあしっかりフードも被っておいてね」


ジズの言葉にイリアは元気よく頷く。《注射》の効力は問題なく続いているようだ。


さらに行くと、《ヤコウソウ》とは異なる光が先の道から差し込んできた。どうやら出口のようである。やっとか、と息を深く吐き出したジズを突然ロコが手で制した。


「待て、まずは危険がないか私が見てくる。また襲撃されては敵わんからな」


ジズの返事を待たずに出ていくロコ。二人はその背中を黙って見送ってから壁面に背中を預けるようにして座り込んだ。


「やれやれ、長かったな。イリア、平気?疲れてない?」


「ちょっと疲れたけど、大丈夫だよ。ジズは?」


「俺はもうヘトヘト……。ちょっと休ませて」


ふぅと息をついてまぶたをおろすと、疲れがドッと湧いてくる。それはそうだ、ずっと気を張りっぱなしなのだから。しかし、それはロコも同じこと、彼は大丈夫だろうか?


「ジズ、少し寝た方がいいんじゃないかな……。あんまり寝てないんでしょ?」


「ん、でも、イリアを守らなきゃ……」


「僕は大丈夫。だから、ね?お願いだから少し寝てよ」


心配だよ、と続けるイリア。一方のジズはそれほど疲れている実感はないので、薄目を開けて不思議そうにイリアの顔を見た。


「……わかった。ロコが戻ってきたら起こしてくれる?」


「大丈夫、ね?おやすみ」


イリアがそう言うと不思議とまぶたが重く感じてくる。言霊かなにかだろうか、言葉に魔力を乗せて万物を操る力をイリアも有していたのか。ダメだ、思考が働かない。想像以上に疲れているみたいだ。少し眠ろう。


ジズの意識は沈んでいき、やがて微かな寝息を立て始めた頃、ようやくロコが戻ってきた。


「やっと寝たか」


「うん、悪いけど眠ってもらった」


これ以上起きていたら危ない。とイリアは深刻そうな顔で言った。その言葉に対し、そうだな、と同意を示すロコ。現にジズの顔色はかなり悪かった。


「もしかして、僕にしてくれた《注射》が……」


「いや、それ以前の問題だ。これだけ《陰》の気に当たれば、こいつの《種》が成長していてもおかしくない」


イリアの言葉を否定しながら、ロコはジズの額に手を置く。彼は大丈夫、と言っていたが、微熱があった。自覚があっての先程の態度なら良いが、無自覚であったなら非常にまずい。


それはずっと懸念していた事態だった。巡礼中にジズが倒れること。最悪、彼の命が散ってしまうこと。気づかぬうちに体内の《花》が咲いてしまえば一巻の終わりだ。


「先程ギルドへアゲハを飛ばした。こいつが受ける《陰》の気を最小限にできるような魔法具を手配するよう伝えさせた」


「それがいい。じゃないとジズ、死んじゃうもの……」


「滅多なことを言うな」


ロコがそうたしなめる。イリアは頷いてからごめん、と口にした。ややあってから、彼は一番の目的である《メルディ》について訊ねる。ロコは続けた。


「《メルディ》は発見した、無事だ。どうやら小屋を拠点に動くのは間違いないようだな」


「じゃあお祈りに……っ!」


「待て。まずジズの処方した薬を飲んでからにしろ。いくら陽光が弱いといえど、地上はまだ昼だぞ」


「うっ、そうだった」


イリアは外に行こうとはやる気持ちを抑え、ロコから借りたキセルに火をつけてジズからもらった《ファテラピロン》の煙を飲み始める。


すると、一回、二回……、と煙を飲んでは吐き出すうちにイリアの頭にある考えが浮かんできた。リスクは高いが、確実に巡礼を成功させられるような考えが。


「ロコ、お願いがある」


「なんだ」


続いて口にされたイリアの言葉にロコは驚き目を見開いた。


「ダメ、かな……。きっとジズもこれ以上苦しまないと思うんだけど」


何かを堪えてに絞り出すように出された声。ロコは言葉を失ったとみえ、すぐに返事ができなかった。


しばしの沈黙。それを破ったのはロコだった。


「……いい考え、とは言えないな。すまないが、叶えることはできない」


それは確実に《月慈の民》が、そしてジズが、望まぬ方法だった。だから、ロコはイリアの気持ちを理解しつつも首を横に振った。


イリアも焦っているのだ。早く巡礼を終わらせなければジズの命が危ないと気がついているから。だからこそ、ロコの言葉にイリアは悔し涙を流しながら、なんでだよ、と口にした。


「巡礼が大事なことはわかってる!でも、ジズの命だって大切なんだ!」


イリアの怒号をロコは黙って受け止めた。彼の気持ちはわかる。だが……。


「だったら、巡礼を続けろ……。こいつが生きるために必要なのは《ナディ》の花粉。恐らく《メルディ》の幼木に咲く花の花粉だ。お前がここで巡礼を終わらせれば、こいつの死はより現実味を増す」


ジズが《ナディ》の正体に気がついたように、ロコもまた《ナディ》が《メルディ》の幼木であることを確信していた。《メルディ》を成長させなければ《ナディ》は生まれない。故に巡礼の中断はジズの死の遠因になってしまうのだ。


イリアは絶句し、しばらく二の句を告げなかった。ややあってから掠れた声で言う。


「そ、そんな、だったらなおのこと、僕を……っ」


「断る。これは、私ではなくそこで寝てるジズの意思だ」


馬鹿なことを考えるな。


イリアはその言葉を受けていっそう悔しそうに涙を流したのだった。



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