6

 狩人が女の容態を確かめるべく町へ戻ると、平和ボケした門番の姿がなかった。


 ゴブリンの群れが襲ってくるかもしれないというのに、門番が持ち場に戻っていない。


 加えて、道中の山賊旗と町まで続いていたゴブリンの血の臭い。狩人の危機察知能力が警戒域に達するには十分だった。


 足音を消して町の中心部に向かうと、厳しい顔つきの男たちと町民たちが向かい合っていた。すでに数人の町人が、血溜まりのなかに横たわっている。


 平和ボケをしていたのは自分の方だった。頭のどこかで、自分の手の届かないところは仲間のサポートがあると思い込んでいたのだ。


 パーティーで行動していたのであれば、少なくとも僧侶が女の治療のために残っただろう。正義感が人一倍強い僧侶なら、命を賭してでもこんな事態にはさせない。


 けれど、今は一人なのだ。攻勢に転じれば、守勢は疎かになるのは自明のこと。


 ゴブリンの群れも山賊も、町で守りに徹していれば容易に防げた。


 狩人は自身の頬を張った。悔やんでいても仕方がない。これ以上の犠牲者が出ないよう務めるだけ……。


「お、お前らなんて、村に来てる勇者様がぱーっとやっつけちゃうんだからな」


 山賊に首根っこを掴まれた子どもの叫び声が響き、狩人は手のなかの武器を下ろして口もとを押さえた。


 夜の暗がりだけが唯一の利点で、狩人にとって状況は非常に不利だ。


 山賊は優に30人を超え、遮蔽物のない広場の中央に陣取っている。しかも、子どもの人質というおまけ付き。


 挙句の果てに、今の一言で山賊たちは未知の存在に対して警戒を始めた。本当に勇者が来るとは考えていないだろうが、子どもが大口を叩く程度の腕利きはいると捉えたようだ。


 子どもの戯言と油断してくれない。ゴブリンの件といい、それなりに頭の回る連中だ。


 まずは不意打ちで人質を取り戻そうとしていた狩人からすれば、子どもが放った虚勢は状況打破の難易度を引き上げたといえる。


 とはいえ、態勢を立て直す暇はない。悠長にしているあいだに、地面に転がる町人の数が増えていくのは明白だったし、夜明けも遠くない。


 強硬手段をとるしかない。


 狩人は今が由々しき状態であると意識づけるように嘆息して、笑いを堪えた。


 人質を守り、道具屋の男や倒れている町民の仇を取るという大義名分ができた……などと思ってはいけない。


 弓矢などの目立つ武器を置いて、堂々と姿を晒し山賊たちへ近づいていった。


「おい、止まれ。なにもんだ」


「こういうものだ」


 狩人は勲章を無造作に外し、山賊たちへ向けて放る。山賊の一人が訝しげに投げられたものを松明で照らすと、慌てふためいて巨躯の男に報告する。


 その大男が一味の頭領なのであろう。切れ味よりも大きさを重視しているであろう鉈を腰に下げ、外見と相まって威圧感を放っている。


 大男は一度頷くと進み出て、狩人に問う。


「見たところ、手ぶら。我々に敵対するつもりはないということか」


 狩人は軽薄な笑みを返す。


「故郷へ帰る途中でね。縁もゆかりもない町のために命を張るつもりはない」


 狩人の動向を固唾を呑んで見守っていた町人たちからは、落胆と失望のうめき声が上がる。


 大男は狩人と町人たち――とくに人質の子どもの様子をじっくりと観察し、このやり取りが演技ではないと確信した。


「よし。英雄様を傷つけて、世界中のお尋ね者になるつもりはない。だが、拘束はさせてもらおう。こっちへ来な」


 狩人は素直に頷き、落ち着いた様子で山賊たちに近づく。その姿に町人からは容赦のない悪態が向けられたが、狩人は涼しい顔で聞き流す。


「おかしな動きをしないという証明に、両手を上げさせてもらう」


 狩人の提案を殊勝な態度と認識した山賊たちは勝利を確信し、下卑た笑いを上げた。


「へっ、英雄様は聞き分けがいいな」


「俺たちでも魔王を倒せたんじゃねーか」


「違ぇねえな」


 狩人はゆっくりと両腕を上げて、左腕が人質を抱えているヒゲ男の顔と同一線上になるところで動きを止めた。


 そして、右手で左腕の袖を軽く捲くるような、誰も違和感を覚えない自然なしぐさで、極細のワイヤーを引く。


 ヒゲ男が狩人の仕業と気づくのと、その脳が機能停止するのは、どちらが早かっただろうか。右目には、深々と手のひら大の矢が突き刺さっていた。


 矢を放ったのは、手首に装着できるほど小さなボーガン。商人から譲り受けた暗器だ。


 ヒゲ男が崩れ落ち、周りの山賊たちが異変に気づいたときには、狩人は二射目を放っていた。


 正確な射撃は、ヒゲ男のとなりで首を傾げていた肥満体の山賊を絶命させた。


「剣士、やっぱり奇襲が一番だろ」


 続けざまに狩人はベルトに収納している愛刀を抜き、横一閃に振るった。


 いかな長刀でも届く間合いではなかったが、その得物は剣の規格を超える代物だった。


 白刃。もともとは薄刃という名であったが、いくら振るっても血のりも付けずに敵を切り裂くことからこう呼ばれ始めた。


 大別すれば鞭になるだろうその武器の正体は、極限まで薄く鍛え上げられた刃。幾人もの達人がこの武器を扱おうと試みたが、あまりにも長く薄い刀身ゆえにろくに振るうことも叶わなかったという。


 だが、刃筋を立てて振るうことさえできれば、不可視のかまいたちのように対象を切り裂く。


 狩人が舞い遊ぶかのように白刃を振るうと、半数の山賊が瞬く間に屍となった。いずれも自身に何が起こったかもわからず、半端な表情のままで。


「くそっ、突っ込め、全員で突っ込め!」


 大男が号令をかけつつ先陣を切ると、皆もそれに続いた。狩人はその練度に舌を巻く。


 旋風のような白刃といえども、実体を持つ刃。大挙して押し寄せる人の波をすべて切り捨てるには無理があった。


 山賊たちは狩人を射程に捉えるまでに、さらにその半数を白刃の餌食として捧げた。武器の性質から、肉薄すれば勝利をもぎ取れると確信していたからである。


 その勝算を裏付けるように、狩人は白刃を手放した。


「そうだ! 諦めが肝じ――」


 大男は勝鬨を上げるように叫んだが、それが最後まで声になることはなかった。


「諦めが、なんだ?」


 狩人の手には護身用にも心もとないような、小ぶりのナイフが握られていた。


 大男の首から鮮血が吹き出す。最小限の切り口で、最大限の出血。大男は大鉈を取り落とし傷口を押さえるが、なんの慰めにもならなかった。


「あ! あ! あ、ああぁぁぁ」


 湧き水のように止めどなく血は流れ、やがて大男は足腰の力を失い、地面に突っ伏した。痙攣とともに地に広がっていく鮮血が、大男の絶命を物語っていた。


 残された山賊たちは、ちんけな武器で頭領をやられたことが余程の衝撃だったようで、武器を手放したりへたり込んだりして、戦意喪失を表した。


 戦いの様子を呆然と見守っていた町民の一人が、呆然と誰に向けるでもなく話し始めた。


「勇者様たちが凱旋されたときの席で、パーティーのなかで一番手合わせをしたくない人は誰かという質問が投げかけられたんです」


 狩人は手近に転がっていた長剣を拾い上げると、戦意を失った山賊たちに近づいていく。


「暗器がお得意な商人様や、一騎当千の火力を誇る魔法使い様は、自分の力を見せる前にやられてしまうからという理由で、狩人様とお答えになられました。そして、あの剣聖と呼ばれる剣士様も狩人様の名前を挙げられたんです」


 狩人がすれ違うたびに、山賊たちの首や胸などから血しぶきが上がる。


「どうして狩人様なのかと、質問が重ねられました。皆、勇者様の名前が挙がるものと思っていたから。すると、剣士様が『純粋な剣の戦いなら負けません。しかし、あの神速ともいうべき鞭術と多様な武器を駆使されれば、私とて防ぎきれるかどうか』と説明してくださいました」


 狩人はおもむろに足元の石を拾うと、紐状の布を巻きつけて投擲した。石は矢に負けず劣らずの速度で、物陰で弓を構えていた山賊の頭蓋を砕いた。


「さらに弓兵様も『俺もあいつとはやりたくないね。あいつの技は自然のなかで培われたもんだ。戦で磨いた俺とは技の本質が違う。遠距離でも足元を掬われそうだ』と、言葉を継ぎました」


 時間にしてほんの数分。そこに広がるのは、まさに死屍累々。


「こ、こんな、英雄が皆殺しなんて……」


 最後に残された山賊が、涙を浮かべて辺りを見回す。


「そうだな。剣士や僧侶あたりなら、なんとか殺さずに鎮圧しようと奮闘する。私だって、最初はそう心がけた。けど、あいにく……私は畜生を屠殺することに躊躇いがない性質でね。お前たちは、やり過ぎた」


 芋虫のように這って逃げる山賊の背に向けて、狩人は容赦なく刃を突き立てた。

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