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壁にもたれ掛かり船を漕いでいた門番に声をかけると、文字通り飛び上がって背筋を伸ばした。
「え、あ、狩人様! どうして……って、道具屋の若女将じゃねーか! こりゃ大変だ」
「道中でゴブリンに襲われたらしい。すぐに手当てをしてやってくれ。私は旦那のほうを助けに向かう」
「ひゃっ、ひゃい。お気をつけて」
門番は狩人の顔を見るなり竦み上がり、裏返る声でなんとか返事をした。
今朝方に夫婦が向かった方角と、先ほど女が歩いてきた方角は同じだった。闇夜と手負いで足取りが不確かだったことを差し引いても、街道沿いに進めばゴブリンの群れを見逃すことはない。
女の仇を見るような視線が蘇る。
旦那のほうを助けるなんていうのは方便だ。なんとか逃げ出したのであろう女があの負傷では、男が生きながらえているとはとても思えない。
犬歯が下唇に刺さり、血の味が広がる。
それでも、行かなければならない。自分が始末をつけなければいけないことだ。
しかし自身の落ち度は認めつつも、どうも腑に落ちない。
狩人の顔を識別して、逃げ帰る程度には知性をもつゴブリンが、昨日の今日で狩人を逆なでるようなことをするとは考えにくい。
夫婦からゴブリンに危害を加えた?
いや、女を諌めたあの男には似つかない行為だし、そんなことをするだけの力があるなら今朝方も襲われていないだろう。
思索にふけるなかで、違和感を覚えた。
血の臭い。
負傷した女が歩いてきた道を逆行しているのだから当然のものと意識していなかったが、なにか別の……より嗅ぎ慣れたものが混じっている気がする。
この状況がひどくもどかしい。
狩人のパーティーでの役割は、人並み外れた鋭敏な感覚で問題解決のヒントを集めること。
揃った手札から最善手を打ち出すのは、膨大な知識をもつ魔法使いや駆け引きを生業とする商人の役割だった。
ずっと一人で生きてきた自分も、いつの間にか仲間に頼るのが当然になっていたことに気付かされる。
狩人は苛立ちに近い感情を抱えたまま走り、思いがけず全ての疑問を氷解させるものに行き当たった。
旗だった。
それは街道沿いに不自然に突き立てられており、旗の穂先にはあるものが括り付けられていた。ゴブリンたちが道行く人間を襲うのに、充分な理由になるだろう。
旗印は見たことがない。どこぞの野盗どもが掲げる、海賊旗ならぬ山賊旗とでも言ったところか。
道中に漂っていた臭いの原因にも得心し、仄暗い喜びを感じる。これで、わかりやすくなった。
狩人はうろ覚えの詠唱で火を熾し、旗を焼き払う。さらに詠唱を重ね、灰になるまで念入りに火を焼べた。
そこからまた街道沿いを進むと、ガシャリガシャリと金属をぶつけ合う音が響いてきた。確かめるまでもない。ゴブリンどもの威嚇、あるいは勝鬨のつもりだろう。
狩人はほどなくして、刃こぼれも気にせず斧や長刀を打ち鳴らすゴブリンの群れに邂逅した。何時間か前に言葉を交わした男の変り果てた姿――必要以上に解体された――も目に止まる。
そしてここでも、道中で発見したのと同じ山賊旗を発見した。旗は折られ倒されていたが、穂先に乾き始めた血糊がこべりついているのを確認できた。こちらの旗にも、同じ物が括り付けられていたと伺える。
この旗には低劣な悪意が込められ、ろくでもない目的のために立てられていた。それを見て怒り狂ったゴブリンたちは同族の血を辿って進軍し、夫妻は不幸にも猛るゴブリンたちに行き会ってしまった。
ゴブリンたちは狩人の姿を認めると、カラスの鳴き声を野太くしたような雄叫びを上げて騒ぎ出す。
この群れに今朝方逃した2匹のゴブリンはいるのだろうか。頭だけとなって穂先に括り付けられていたのが、あの2匹だったのだろうか。狩人にはゴブリンの顔の見分けがつかないので、それを知る機会は二度と訪れない。
「お前らの行いは否定しないよ。怒りはもっともだ。だけど、お前らが人に対して敵意を向けるなら、排除しなければならない」
自身の最速の技でゴブリンたちを躯に変えたのは、苦痛を感じさせないため。人間としてのせめてもの誠意のつもりだった。
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