第2話 藤原

 藤原は隠さない。


「姫様、姫様は今日も美しい」


 藤原は隠さない。


「姫様の愛らしさに勝るものは存在しません」


 藤原は隠さない。


「誰よりも愛おしく思っております、姫様」





 藤原は、隠さない。







「姫様、足を」

「藤原!自分で履ける!」



 膝を抱えて、断固として抗議された。

 藤原の右手には黒いタイツ。

 姫様は制服姿でベッドの上に蹲っている。

 このまま二時間くらい、姫様に睨まれているのも悪くないが、あまりやりすぎると、泣き出すので止めておく。姫様が涙をこぼすと、きまって喜一が現れるのが、藤原は気に食わないのだ。

 姫様の世話を焼くのは藤原の役目だが、姫様の一番のお気に入りは昔から変わらず喜一である。姫様が生まれる前から天様に遣えていたらしいが、正確な年数までは分からぬしそもそも年齢すら知らない。知りたくもないが。とにかく、得体のしれぬ喜一のことが気にいらない。いなくなればいいとさえ思っている。



「では姫様、こちらを」



 タイツを差し出すと、ひったくるように奪われた。猫みたいだ。

 姫様の白い肌や黒髪の美しさは、まさしく人間離れしているのだが、言動がそれに伴っていない。藤原は姫様のそういうアンバランスなところを特に気に入っているので、ついやりすぎてしまうことが多いのだ。



「では、準備が整いましたらお呼びください」



 いつでも。








 やるべきことはたくさんある。

 藤原にとって、佐助は子供だし小太郎は無能。喜一にはあまり近寄りたくないので論外として、とにかくこの屋敷には、まともに仕事ができる奴がひとりもいない、というのが、膨大な量の仕事を日々孤独に淡々とこなす理由だった。

 神様の財産にだって、税金がかかる。法律関係の書類に向き合って、投げ出さずにいられるのは藤原だけだろう。金勘定だけでも佐助か小太郎にやらせてみようと思ったこともあったが、まずパソコンが使えないというのだから話にならなかった。


「どいつもこいつも使えねえゴミだな」


 週に三回はそう思う。

 そして、週に二回は直接言う。



 多忙な毎日に追われる藤原の唯一の癒しといえば姫様に口づけを強請ることだった。

 藤原が強請れば、姫様はほとんどそれに応じる。

 それは三月が藤原のことを愛しているからではなく、信じられないくらいに押しに弱い女であり、考えられないくらいに藤原のことを信頼していて、更に、絶望するほどに「家族」だと思われているからであった。

 姫様の唇を奪うのは、拍子抜けするほどに簡単だった。

 部屋にいた姫様を抱きしめて、頭の後ろをつかんで唇を押しつける。驚き見開かれた瞳は、幼き頃と変わらぬ純粋さを秘めていた。姫様は変わらない。

 そっと唇を離したのち、罵られるのを覚悟して言葉を待ったが、聞こえてきたのは思いがけないものだった。



「藤原…、どうしたの?」



 まさか、口づけの意味も知らぬ子供でもないだろうに、姫様はきょとんと藤原を見つめるばかりだ。

 藤原はこの時、悟る。

 自分が姫様の「家族」であるということを。

 神の世界では、血を分けた者に唇を寄せることは珍しくない。そうすることにより、お互いの血をより一層濃いものとするのだ。

 藤原のキスは姫様にとって「家族」としてのキスであるらしかった。もちろん、藤原にそのつもりはなかったのだが。




 それ以来、藤原は姫様に唇を強請る。

 血などつながっていない。

 藤原の口づけは、親愛の証などではなく、もっと、欲望に満ちた、生々しいものだったが、姫様は何の疑いも持たずそれに応じる。




 それでいいのだと、藤原は思う。

 今はまだ、それでいい。

 気がついた時にはもう既に遅いのだ。

 姫様はもう私のものだ。

 頬をそめて息を漏らす姫様を、私だけが知っている。

 姫様。

 ひめさま。


 早く気が付け。


 はやく。



「姫様、」

「ん、ふじ、わら…」

「ひめさま…」

「や…、っ」




 藤原は、隠さない。




 

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