第1話 佐助

 佐助の朝は早い。

 日の出る前に起床し、日が顔を出しきった頃には既に屋敷の玄関口の掃き掃除をはじめ、終わるとすぐに小太郎を叩き起しに向かう。朝の弱い小太郎は、佐助が何度身体を揺すっても、うんうんと唸るばかりでほとんど効果がない。毎日こうなのだからいい加減佐助もうんざりしているのだが、如何せん、朝食は皆でと決まっており、小太郎が起床するまでは佐助や藤原、喜一はもちろんのこと、姫様までもが御膳にありつけぬので、佐助はこれも修行の一環、と割り切って小太郎の世話をしてやっているのだった。



 屋敷に住むのは、姫様と見習いの四人だけである。

 使用人用の住居もあるが、大人の足で三十分はかかる場所にある上、藤原が極端に、外の者に姫様の姿を見せるのを嫌うので、姫様が十五になられた際に殆どの使用人を解雇にした。そのため、今はもう月に一度、五十年も天様の下に遣えているという老婆が屋敷へ顔を出すのみとなっているのだが、藤原はそれすら疎ましいと言って憚らない。

 姫様のお母上様であられる天様は、三年前から岩穴に閉じこもっていらっしゃる。何千年とある寿命の中、天様は何度も岩穴へ数年閉じこもるのだという。それが私の仕事なのよ、と天様はおっしゃる。しかしスマートフォンで毎日姫様と連絡をとられているので最早いったいそれが何の儀式なのか、佐助にはよくわからない。

 とんでもなくえらい神様の考えていることが、佐助なんかに理解できるわけがないのだ。



 朝食作りは恐れながらも姫様のお仕事。

 その他の料理は小太郎の仕事。

 掃除、洗濯は佐助と喜一がそのほとんどを行う。

 隣町の学校まで、毎日姫様を送り迎えするのが藤原で、奴はその他にも屋敷全般の管理や金勘定の役を負っていた。


 屋敷はここ三年ほど、表面上はなんの問題もなく時を刻んでいる。

 ただひとつ、佐助のこころにだけ、大きな問題があるのだけれど。




「佐助ー」




 薪を割っていると、背後から鈴の音のような美しい声が聞こえた。


 天女だ。


 姫様はきっと、自分と同じようにしてこの世に生まれた御方ではない。佐助は常々、そう思っている。

 先月、十八歳になられた姫様は、佐助の心を一層浮つかせている。佐助は四人の中で一番姫様と年齢が近い。だからなのか、姫様は佐助によくよく声をかけてくださる。そのたび、佐助の胸は、おおきくおおきく高鳴るのだった。



「ひひひひ姫様!おはようございます!」

「おはよう、佐助」



 姫様の長く美しい髪の毛から、なんとも言えない良い香りがする。

 姫様、姫様。

 手が震える。

 ひめさま。



「某に何の御用でしょう!」

「あのね、佐助。無理にとは言わないんだけど…、今日は藤原がお仕事だから、もしよかったら佐助が学校まで送ってくれないかな、と思って」



 申し訳なさそうに佐助の顔を窺う姫様に、俺はもう、どうしたらいいのだろう。

 姫様が好きだ。

 姫様が可愛い。

 かわいい。

 握っていた斧を下して、掌に血がにじんでいることにはじめて気がついた。

 俺はもう病気なのだ。

 姫様にしか治せぬ病。



「もちろん、某が送らせていただきます」

「本当…?助かる。ありがとう」

「もったいないお言葉です」



 佐助がそう言うと、姫様は恥ずかしそうに笑って、学校へ向かう準備のために屋敷へ戻った。



 佐助が天を仰ぐ。

 ああ駄目だ。

 このままでは俺はしんでしまう。

 姫様が悪い。

 姫様が佐助をたぶらかすのだ。

 呟く言葉は全て甘く佐助の脳を溶かすし、吐いた息すら佐助には毒となる。

 しかし、姫様は今日もまた、すこしずつ佐助を追い詰める。



 姫様、姫様。



 佐助はこのままでは、死んでしまいます。

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