第32話 〈現在〉

 目を開けると見慣れない天井が見えた。


 全身が痛む。骨が軋んでいるのがわかるほど身体を酷使した。


 ベッドに手をついて上体を起こした。上半身は裸で包帯でぐるぐる巻きにされていた。頭にも腕にも、足にも包帯が巻かれていた。


「目を覚まされたのですね、魔王さま」


 てててっと、ドルキアスが駆け寄ってきた。


「ああ、なんとかな。リオはどうしてる?」

「疲れて寝てしまいましたよ。相当魔力を消費したみたいなのでしばらくは起きないでしょう」

「そうか。まあ、無事でよかった」

「良くないですよ! もう、無理をして……」

「俺が無理しなかったことあったか?」

「そう言われるとなにも言えません。が、魔王さまも魔力をかなり消費されました。しばらくは大人しくしていないと本当に死んでしまいます」

「死ぬことはねーだろ。魔王勲章と繋がってるんだから」

「魔王勲章は崩れた魔王城の下敷きですよ? さすがに繋がりがかなり薄くなっています。最悪は死んでしまいますって」

「最悪にならなきゃいいんだろ? じゃあなんとかなる」

「こっち的には最悪の一歩手前も最悪なんですけどね……」

「ランドールとその他大勢はどうしてる?」

「軍部で事情聴取中ですよ。ダレットも一緒に」

「アイツもグルだったか……でもこれで、帝国内も少しは良くなるだろ」

「多少は良くなるでしょうが、まだまだこれからって感じですよ。反帝王派がどれだけいるかわかりませんからね」

「反帝王派、か。俺をここまで陥れたんだ、いつか償いをさせてやらなきゃな」

「そうそう、償いで思い出しました。魔王城の再建が決定しましたよ。それと魔王さまの釈放。全部帝王さまがやってくださいました」

「さすが我が友マティアスだな」

「ですが、このままだと魔王さまの命が危ない。これはきっとアナタも理解しているはずです」

「そんなことはない。傷は負ってるが俺はピンピンしてるぞ」

「騙されません。あの時、暴走したリオの魔力を無理矢理自分の魔力で押さえ込みましたね? 減りつつある自身の魔力のことを理解しながら、アナタはその魔力を使ったのです」

「そりゃ、お前らにはバレるか。ちょっと訊きたいんだが、リオの魔王適正はどんな感じだ?」

「魔王適正Bです。アナタの後継者になる資格を持っています。ただしまだ幼いので、もう少し時間は必要でしょうけど」

「そうか、それならよかった。アイツなら俺の意思を継いでくれる」

「今言ったように、まだ彼女には時間が必要です。彼女が大きくなるまではアナタが魔王を務めなければいけない。そのためには魔力の枯渇で死ぬ、なんてことは言語道断なのですよ。魔族は人間とは違う。人間よりも遥かに高い魔力を有していますが、魔力が枯渇すれば死にます。今、アナタは死の淵に立つ瞬間なのです」

「だがまだ――」

「いいえ、もう時間です。ワタクシたちはアナタの側で、一連の事件を解決したのです。それによって、ご子息の側に我々がいる必要もなくなった。おわかりですよね」


 エリックは目を閉じ「うーん」と唸った。


 ドルキアスがなにを言わんとしているのか。それは理解しているつもりだ。だが、納得はできなかった。


「お前はそれでいいのか?」

「アナタに奉仕できた。アナタの側でいろんなものを見せてもらった。もう、それだけで充分なのですよ」


 ドルキアスがそう言うと、他の七天将が部屋に入ってきた。


 鳥のユーフィ。


 蛇のラマンド。


 虎のキオル。


 鼠のゼレット。


 兎のカーミラ。


 ムカデのオズワルド。


 そして、犬のドルキアス。


 七匹は一列に並び、一礼した。


「今こそ、魔蝕魂縛バンドを開放する時なのです。アナタの従者であるワタクシたち七人、すでに準備はできておりますよ」

「魔蝕魂縛バンド、か」


 七匹の従者には、色が違う首輪がつけてある。これはただの目印でもなければ、従属の証でもない。


「魔王城が襲撃された時、ワタクシたちは一度死にました。いや、死にかけました」

「ああそうだ。一本の細い糸で繋がった魂を、俺はお前たちのペットに移し替えたんだ。本当にやるべきかどうか迷ったが、お前たちの力が必要だったからだ」

「魔蝕魂縛バンドは、契約者が魔力を供給し続けることで、その魂を別の入れ物に拘束することができる。しかしその魔力供給量が強大であるため、前魔王も自分にしか使えないだろうと、魔王さまのお部屋に置いてあったものです。アナタはそれを使い、ワタクシたちを生かした」

「怖くて訊けなかったが、お前らはこれで良かったと思うか? 俺がやったこと、正しいと思うか?」


 全員が首を縦に振った。


「ワタクシたちは全員、魔王さまに感謝しているのですよ。だからもう大丈夫です。アナタの魔力を奪ってまで生きたくはない」

「十一年前にアイーダが死んで、俺が生き残った。そして今回、お前らが死んで俺が生き残った。なんで俺は誰かの命の上でしか生きていかれないんだ。なんで失うことでしか魔王を続けられないんだ」

「それはアナタだけではありません。皆、そうなのです。アナタには次期魔王を育てるという義務ができました。本当はこういう言い方は卑怯なのですが、そのために、また玉座にお座りくださいませ。アナタが玉座に座っている姿を見ると、我々は安心するのです」

「誰かのために、また生きろというのか」

「ワタクシたちが言わなくてもわかっているのでしょう? アナタはずっとそうしてきた。それが、アナタの生きる道であり、アナタが生きていく糧でもあります。ワタクシたちが止めても、アナタはきっとそういう生き方しかできないのです。さあ、魔蝕魂縛バンドの契約解除を」

「……わかった」


 エリックが右腕を前に出す。握りこぶしを作って魔力を込めると、七本の糸が紡がれた。糸は一本ずつ七天将へと伸びていく。


「お前らには助けられてばっかりだったな。一番最初に七天将になったのはオズワルドだったか。俺よりも年上で、頼りになる父親みたいな男だった。この歳までよく頑張ってくれた」


 オズワルドがニコリと笑った、ような気がした。


「次にカーミラか。いつも若作りしちゃいるが、歳は俺と変わらないんだよな。皆をよくまとめ上げてくれた。感謝している」


 カーミラが耳を立てた。


「ラマンド。お前は単騎での潜入が多かった。無茶振りにもちゃんと対応して、なんだかんだ言いながらも任務はしっかりこなしていた。根本にある誠実さ、俺は評価してるぞ」


 ラマンドが身体をよじらせた。


「ユーフィはよく晩酌に付き合ってくれたよな。俺よりずっと若いのに、俺の愚痴を聞いてくれてた。年の割に大人びていて、時に友のように思っていたぞ」


 ユーフィが翼をばたつかせた。


「キオル。お前はまだ入ったばっかりだったな。ゼレットよりもちょっとだけ年上で、でも小さな少女のようだ。寡黙で文句一つも言わない。しかしなにかあれば、俺が言う前に行動に移していた。お前は目立たないが、俺はちゃんと見ていたし、だから七天将にも抜擢した。よくやったぞ」


 キオルが身体を縮め、寂しそうに床を見た。


「ゼレットは一番若くバイタリティに溢れていた。間違っていることを間違っていると、声を大にして正そうとしていたな。お前のような有望な若者がこれからも必要だったのだが、俺のせいでこんなことになってしまった。すまんな」


 ゼレットがキオルの腕にしがみついて泣いていた。


「そしてドルキアス。お前とはオズワルド、カーミラの次に付き合いが長い。けれど七天将になったのはユーフィよりあとだ。魔王適正のないお前を七天将にするかどうかは、正直迷った。けれど今ならば、その判断が正しかったと誇れる。十歳の時からよく俺に尽くしてくれた。その献身さに、俺はいつでも助けられていたよ。友であり、弟であり、息子のようであった。今まで、ありがとうな」


 ドルキアスはゆっくりと一つ頷き、キリッとした目でこちらを見ていた。


「魔蝕魂縛バンドよ、今その力を解き放つ。そして契約を破棄する。我が魔力の供給を、中断せよ」


 繋いでいた魔力の糸がプツリと切れた。従者たちの身体から白いモヤのようなものが抜け出ていく。小動物たちは力なく、ゆっくりと地面に伏せた。


その姿を見て、エリックは敬礼のポーズを取った。


「感謝してもし足りない。さらばだ、同胞たちよ」


 白いモヤは天井へと上っていき、そして、消えた。


 あとに残った動物たちもまた絶命していた。魔王の強大な魔力を摂取し続けたのだ、こうなっても仕方がない。


 近くにあったボロボロの緑のコートで、従者であった者たちの亡骸を包み込んだ。


「帰ったら弔ってやる。それまでは、これで我慢していてくれ」


 そう言って、コートの上から抱きしめた。


 自分の身勝手で蘇らせてしまった従者たち。そのせいで死んでしまった動物たち。なにが正しくてなにが間違っているのか。エリックにはいまだにわからなかった。


 コートに染みができていく。それは徐々に大きくなり、動物たちの身体を濡らした。

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