第29話

 アイーダと入れ替わるようにしてドルキアスが帰ってくる。その手には水筒と、氷が入ったビニール袋を持っていた。


「あの方はたしか宿屋の……」

「お前知ってたのか。アイツから水をもらったんだ。あとで礼を言わないとな。おい、なに笑ってんだよ」

「いやー、魔王さまも男なんだなーって」

「別にデレデレしてないぞ」

「そうですね、どっちかというとちょっとスッキリした顔してます」

「なにもスッキリしてねーよ。頭はいてーし熱いし具合が悪い」

「じゃあもうちょっとだけここにいますか」


 背中からうちわを取り出したドルキアスは、そのうちわをパタパタと仰ぎ始めた。


 少しずつ日が落ちていく。あまり具合いはよくないが、こういう日も悪くないなと、そう思っていた。


 夕食の後で、アイーダがいないことに気がついた。先程までは別の客の接待をしていたはずだが、と周囲を見渡す。


「なあ、主人」

「はいはい、なんでしょうか」

「娘はどこに行ったんだ?」

「アイーダですか? 町外れにある診療所ですね。この時間はいつも診療所の手伝いをしてるんですよ。物好きな子なんです」

「なるほど、な」

「たぶん三時間もすれば戻ってくるんじゃないでしょうかね。食事の前後の手伝いだけだと言っていたので」

「こんな時間に行かせて大丈夫なのか?」

「エスカラードは治安だけはいいので大丈夫でしょう」

「そうか、ありがとうな」

「いえいえ。そういえば外湯は十時までなので、入りに行くのでしたらお早めにどうぞ」

「気が向いたら行くことにするよ」


 手を振ってから背を向けた。


 自室に戻り、ベッドに横になる。


「魔王さま、あの女性のことが気になってるんですか?」

「ああ? 別にそうじゃねーよ」

「別にっていう感じじゃなかったんですが……」

「うっせー、ガキは黙ってろ」

「とは言ってもですね、魔王さまもそろそろお嫁さんをもらう年頃だと思うんですよ」

「バカ言うなよ。まだ子供だぞ」

「ワタクシから見れば充分大人ですけどね」

「そりゃ十歳だからな。お前はこういう話しなくていいんだよ。まだ早い」

「ワタクシの話ではないのですが……」

「俺に嫁さんはまだ早い。仕事が忙しすぎる。もうちょっと落ち着いたら考えるよ」

「そうしてください。お嫁さんが来ればもうちょっとワタクシも安心できるので」

「おめーはまだ十歳だろうが!」


 そんなやり取りをした後、ドルキアスは日課の勉強を始めた。勤勉な姿に関心してはいるが、もう少し自由に、子供らしい人生を歩ませてやりたかったなと、そう思った。


 十時になる頃にはドルキアスは眠ってしまった。十時には寝て五時には起きる。規則正しい生活をしろと言ったのはエリックだが、ここまで忠実だと逆に怖かった。


 ドルキアスが起きていれば話もできるし勉強も教えられるが、寝てしまえば特にすることがない。


 ベッドから起き上がり、部屋を出ていった。


 宿から出て、外にいた住民に診療所の場所を聞いた。


「他意はないからな」と、誰かに言い訳しつつ診療所に向かった。


 診療所に着くと、アイーダが「それじゃあまた!」と元気よく挨拶をして出てくるところだった。


「おっと、こんなところでお客さんと遭遇するなんて奇遇……いや、待ってたのかなぁ?」


 などと言いながら上目遣いでこちらを見てくる。


「ま、そんなところだ。もう十時だし、女を一人で歩かせるわけにはいかんと思った」

「優しいなあ、惚れたか?」

「惚れてねーよ。あと五年経ったら考えてやる」

「残念だなー、こんないい女なかなかいないと思うのにー」


 そう言いながら歩きだすアイーダ。その後ろをついて歩いた。


 後ろで指を組み、星空を眺めながら歩く彼女。子供らしくもあり、子供らしからぬ大人っぽさもあった。


「お前は医者にでもなりたいのか?」

「ん? いや、そういうわけじゃないよ。私は宿屋を継がなきゃいけないしね」

「じゃあなんで診療所の手伝いなんてしてるんだ?」

「あの診療所ってさ、結構入院患者が多いんだ。だから人手が必要なんだって。ちょっとした手伝いくらいならできるかなーって」

「そうじゃなくて、手伝いをしてる理由を訊きたいんだよ」

「理由、かあ……」


 彼女は「んー」と何度か唸ってから足を止めた。


「ほら、私って超絶美人じゃない?」


 クルッと振り返り、満面の笑みを見せた。


「まあ、そうだな」

「肯定的! さては私にメロメロだな? 困っちゃうなー。美人なだけじゃなく家もそこそこ裕福。誰がどう見たって苦労しない人生歩みそうじゃん。でもさ、それを誰かに分け与えようと思ってもそういうわけにはいかないんだ。お金は私の物じゃないし、この顔を切り取って誰かに貼り付けるわけにもいかない。だから、どうしたら、私が持ってる「なにか」を誰かに分け与えられるかなって考えたの」

「それが、診療所に通う理由か。それと俺を助けてくれた理由でもある」

「そういうこと。誰かのために私ができることをしてるだけなの。深い理由は、ないんだよ」


 若干詰まっている部分に違和感を覚えた。それでも二人は今日会ったばかりで、お互いのことをよく知らない。彼女は彼が魔王ということも知らないのだ。


 これ以上突っ込むわけにもいかないと、エリックが足を踏み出した。


「満足した?」

「それなりにな」

「そりゃよかった」


 今度は横に並んで歩いた。


 誰かと星を見上げて歩くなど、今まで一度もなかったなと、その時初めて気がついた。彼女の横にいることで時間がゆっくりと流れているような、そんな気分だった。


 翌日、チェックアウトの時間よりも早めに宿を出た。城の状況が気になるのもあり、アイーダの顔を見るのが気恥ずかしかった。


「もう帰っちゃうの? まだ時間あるのに」


 しかし、宿を出たところで見つかってしまった。


「仕事もあるからな。早めに帰って処理しなきゃならん」

「忙しいんだね。それじゃあ、また時間できたら来るといいよ。のぼせてもちゃーんと介抱してあげるからさ」

「もうのぼせねーよ」

「私にのぼせ上がっちゃうかもよ?」

「言ってろ」


 そう言いながらも、エリックは思わず笑ってた。


 と、思い出したかのようにジャケットのポケットからあるものを取り出し、アイーダへと差し出した。


「お前が誰かに優しくし、なにかをするのであれば、お前自身が元気でなきゃならん。だからこれをやる」


 差し出したのは白いリングをペンダントに見立てたものだ。紐で結ってあるだけなので非常に簡素で飾り気はまったくない。


「なにこれ?」

「俺の地元で使われてる魔除けだよ。首から下げてろ。きっとお前を守ってくれる」

「なるほど、ありがたくもらっておこうかな」


 ペンダントを受け取り、迷いなく首にかけた。


「似合うでしょ?」

「似合うかな、だろ普通は。でもまあ、似合ってるよ」

「当然ね」

「言ってろ」


 そう言ってエリックは背を向けた。


「じゃあね、エリックさん」

「お前にエリックさんって言われると違和感があるな。その口調なら呼び捨てでいいだろ」

「ほら、一応お客さんだから」

「年上じゃねーのかよ。いろいろ間違ってんな。まあ、また時間ができたら来てやるよ」

「うん、待ってるよ」


 まるで太陽のような笑顔だった。それが演技なのかまではわからなかったが、間違いなくエリックの心を軽くした。


 ドルキアスと共に車に乗り込み、エリックはエスカラードを離れた。それでもなお、彼女の笑顔が脳裏から離れなかった。


「惚れましたね、魔王さま」

「惚れてねーよ。黙ってろ」


 ハンドルを握る手に力を込めた。魔王として頑張ろうと、その時改めて思った。

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