第28話 〈三十年前〉

 魔王になってから八年。過激思考派閥による反発、穏便思考派閥による疑惑の目。それらを上手くコントロールしながら、角が立たないようにとやってきた。過激思考派閥には軍事を振り分け、穏便思考派閥には内政を振り分けた。その頃には信用できる者も側にいたので、その人物を中心に人事を回させた。


 しかし、彼は疲れていた。二十五歳にして様々な仕事を持っていた。前魔王のように、玉座に座ってふんぞり返るのだけはイヤだった。だから自分で積極的に動いた。こうすることで、自分が言った政策を前へと進めてきた。


 魔王城に眠っていた財宝を削り、人間と魔族の仲を保つため事業展開した。人間界と魔界の境目に関所を設け、警備兵を常駐させた。関所と関所の間を警備させ、危険がありそうな場合はその場で捕らえるようにと言伝をした。基本的には行き来自由。しかし商売をする場合は関税を設けた。


 商業を発展させるため、帝王に頼み込んで講師を呼び魔族にも勉強させた。


 教育機関向上のためにたくさんの学校をつくった。様々な種族が通えるようにと施設も充実させた。


 人身売買や不正な武器の売買を取り締まり、力のない者たちに平穏を与えようと努めた。


 帝王の元へと何度も足を運んだ。最初は訝んでいた帝王であったが、熱心な青年の姿になにかを感じたのだろう、次第に協力的になっていった。


 だがそれ故に疲れていた。


 部屋には寝るために帰るようなものだった。それも、なにか問題があればすぐに呼び出される。そんな生活に、僅かだが嫌気が差し始めていた。


 今日もまた、仕事が終わってベッドに寝そべった。いくら魔力があったとしても、心身の疲れだけはどうやっても溜まってしまうのだ。


「魔王さま、魔王さま」


 一人の子供が入って来た。二年前に拾った混血の子供だ。年齢は十歳。魔力は高くないが、自身の身体を透過させたり、他人の感情を察知する能力を持っていた。だから「俺の元で働け。金はやる」と言って引き入れたのだ。


「どうしたドルキアス。俺はもう眠りたいんだが」

「そのことですが、少しの間ここを離れてはいかがでしょう?」


 十歳とは思えない言葉の使い方。専属の教師をつけてドルキアスの教育をさせた。物覚えが良く、それでいて献身的だった。将来が楽しみだといつも思っていた。


「離れるって、どういうことだ?」

「人間界にエスカラードという町があります」

「そりゃ知ってる」

「エスカラードは良質の温泉が湧くというのも知っていますね?」

「まあ、それくらいなら」

「一日二日、エスカラードで療養されてはどうでしょうか。だいぶお疲れのようですし、今の魔王さまには必要かと」

「行きたいのはやまやまだが仕事が山積みだ」

「そこが問題ですよね。でも今エスカラードの周辺によくない噂が立ってるんです。なので、その噂がどういうものなのかを調査する、というのはどうでしょうか」

「お前……」

「城の入り口に着替えなどの荷物は用意してあります。たまには出張というのもいいと思いますよ」

「ホント、どんどん可愛くなくなってくな」

「魔王さまの言葉は全部褒め言葉として受け取っておきますよ。さあさあ、思う存分楽しんできてくださいませ」

「そこまで言われちゃ、行かないわけにもいかないな。だがお前も一緒に行くんだ」

「わ、ワタクシもですか?!」

「知っての通り、俺はいろんな能力を持っている。しかもAばっかりだ。だが持っていない能力も多い。魔導念話なんかさっぱり使えない。城の状況を確認するためにも誰かについてきてもらわなきゃならんのだ」

「しかしですね……」

「行くと言ったら行くんだ。さっさと用意して来い。十分だ」

「えっと……はい、わかりました」


 パアッと笑顔になり、ドルキアスが部屋を出ていった。「まだ子供だな」と言いながらも重い腰を上げた。


 高級魔動車を運転し、二人はエスカラードへと向かった。運転手も用意されていたのだが、旅ってのは自分で行くからいいんだと断った。エリックの脚ならば魔動車の

数十倍早いのだが、今は魔動車で行くのも悪くないと考えた。


 数時間の運転の後、彼らはエスカラードに到着した。すでに宿がとってあった。ドルキアスを見ると、ニカッと笑って親指を立てていた。


「ホント、成長が楽しみだよ」


 ドルキアスの頭をぐしゃぐしゃっと撫でてから部屋に向かった。


 部屋に荷物を置いて、二人は温泉に向かった。エスカラードには、宿にある内湯と、誰でも入れる外湯がある。外湯は全部で六つあり、それぞれ効能が違うようだ。


 八年間、仕事にだけ身を寄せてきた。自分のような子供を生み出さないように。辛い思いをたくさんしないように。そうやって自分を追い込んできた。そんな自分が、自分を慕う従者と共に温泉地にいる。


 胸の奥から、なにかがじわりと染み出した。


「こういうのも悪くないな」と独り言ちって、ドルキアスと共に、浴衣を来て外へと繰り出していった。


 が、はしゃぎすぎたせいか、六つ全てを回った後は疲れて動けなくなってしまった。


 外湯の外にあるベンチに横になる。が、エリックの身体が大きすぎるのでいつ壊れるかもわからない。


「大丈夫ですか魔王さま」

「大丈夫に見えるか? なんでお前は普通なんだよ……」

「魔王さまが長湯しすぎなんですってば……ちょっと待っててください。冷たいもの、買ってきますから」

「おう、頼むわ……」


 右腕で両目を隠し、遠ざかる足音を聞いていた。


 余裕がなさすぎたと、自分の行いを振り返る。そのせいでドルキアスにも心配をかけさせた。きっと、城にいる者もそうなのだろう。周りのことだけを見ていては、自分の周りが見えなくなると思い知った。


「ちょっと、アンタ大丈夫かい?」


 女性の声が聞こえた。腕をずらして目蓋を開けると、こちらを見下ろす少女がいた。


 風に流れる長い黒髪。肌は日に焼け、活発そうに見えた。なによりも顔立ちが美しかった。


「なんとか、大丈夫」

「大丈夫そうには見えないけどね。そうだ、これ飲みなよ」


 水筒が差し出された。水筒を受け取ろうとして手を出すが、手元が上手く定まらない。


「もうっ、全然大丈夫じゃないじゃんか。よし、ちょっと失礼」


 エリックの頭を無理矢理持ち上げ、そこに自分の身体を滑り込ませた。少女の太ももの上にエリックの頭が乗せられた。


「はい、口開けて」


 言われるままに口を開けると、冷たい水が流し込まれる。しかし水量は少なく、少し注いではエリックが飲み込むのを待ち、また少し注いでは飲み込むのを待っていた。


「すまないな」

「別にいいって。旅は道連れ世は情け。アンタ旅の人でしょ?」

「まあそういうことになるな」

「こうやって私が施しをすれば、きっとアンタは別の困った誰かに施しをしたくなるよ。人ってのはそうやって回ってくんだ」

「お前、年はいくつだ?」

「十六だよ」

「若いな……」

「アンタは?」

「二十五だ。お前から見ればオッサンだな」

「こんな図体だし、ヒゲも伸びっぱなしだしねぇ、おじさんに見えても仕方ないかもね。でも肌ツヤはいいしシワもない。髭そって清潔にしてればそれなりに若く見えるよ」

「そうか、今度からそうする。俺の頭、重くないか?」

「重いに決まってるじゃない、こんな大きな頭」

「それならもういいぞ。調子もだいぶよくなってきた」


 起き上がろうとするエリックの頭を掴み「ダーメ」と言って元の位置に戻す。


「無理はしないの。あの子、弟だっけ。あの子が戻ってくるまではこのままでいいわ」

「見てたのか」

「見てたというか、アンタが泊まってる宿、私の家だから」

「あそこの娘か。って、客に対しての態度じゃなくねーか?」

「宿の中だったらちゃんとするよ。でも宿の外は営業外でーす」


 口調とは真逆に、エリックの頭を撫でるその手は非常に優しかった。


「お前、名前は?」

「まずは自分から名乗るものでしょうが」

「宿屋の娘だったら俺の名前知ってるだろ……」

「それもそうね。私はアイーダよ。町一番の美人で最高に気立てが良い女で有名だから」

「そういうのは自分で言わないから良いんだろうが」

「自分で言うから話題になるんでしょうが」

「お前、本当に十六なのか?」

「失礼ね、ちゃんと十六よ。その歳で目まで悪くなっちゃった?」

「うるせーな、ちゃんと綺麗な顔が見えてるわ」

「ほう、綺麗だって認めるんだな。よしよし、よくわかってるじゃないか」

「だが、その顔よりも、お前はきっと心が綺麗なんだろうよ」

「あんまり褒めるなよー照れるだろー」

「別に冗談じゃない。綺麗な心のまま大きくなって欲しいなと、そう思ったんだよ。お前みたいなヤツが増えれば、世の中はもっと良くなるかもしれないな」

「そうかな? 私はそうは思わないけどね」

「その理由は?」

「私も人間だってこと。ムカつくことに対してはムカつくって言うし、嫌なことがあれば心も濁る。誰だってそう。じゃあどうするかっていったら、その嫌なこととかムカつくこととどうやって向き合ってくか、ってことなんじゃない? それに同じような人がたくさんいたら面白くないじゃん」


 彼女は白い歯を見せて笑った。胸中を隠すこともせず、臆すことなく話をする。その姿がまぶしかった。


「と、言っている間に弟くんが来たよ。それじゃあ私は行くわ。もうちょっと休んでから帰ってらっしゃい」


 そう言って、彼女はベンチから立ち上がった。その際に、エリックの頭の下にタオルを置いていった。

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