第24話 〈現在〉

「二人目を入廷させなさい」


 トーラスが退廷し、二人目が入ってきた。トーラス同様、黒い布が垂れ下がった笠を被っていた。身長はとても低い。洋服のしたからでもわかる膨らみから察するに女性だとわかった。


 ざわつく法廷内を裁判官が落ち着かせ、弁護釈明が始まった。


「お名前をどうぞ」

「イオラ=ラフトラです」


 口を抑えたいという衝動。けれど拘束具のお陰でそれができない。顔を隠したくても、エリックにはその手段がなかった。


「私は人間の姿をしていますが、人間である父とマーメイドである母の間に生まれたハーフです。母は純血のマーメイドですが、父の血を濃く受けた私は、水中でも呼吸できますが基本的な器官は人間と一緒。ですから、父と、母と、私で同じように生活をするということができませんでした。それをなんとかしようと快諾してくれたのが魔王バルタザール、エリック=バーネットさまでした」


 覚えている。魔族であろうと人間であろうと、同じような暮らしができればその限りではないと、生活支援に力を入れた時期があった。その時の子供だ。およそ三十年前であるから、あの時から考えれば年齢的には四十前後になる。


「海にほど近い場所に家を建て、海と陸を往復するのが子供の頃の日課でした。しかし、それを変えてくれたのです。マーメイドは定期的に海水を身体に浴びなければならない。家でもそれが行えるよう、大きな水槽を作ってもらいました。母が家から海に単身で出られるように水路を引いてもらいました。けれど、それは私の家限定というわけではありません。マーメイド族が陸で生活することを前提とした集落を作り、必要ならばそこに住めばいいという政策だったのです。決して贔屓されたというわけではないと思います。彼はそんな人ではないと、子供心にそう思いました。きっと誰に対しても同じように接し、自分を曲げない人なのだ、と。今回は私が弁護釈明をさせてもらいましたが。きっと同じ気持ちでいるハーフはたくさんいます。どうか、御慈悲を」


 イオラが退廷ししていった。トーラスよりも弁護時間は短かったであろう。しかし、魔族との混血である種族が弁護に現れたということで、法廷は更にざわついた。


 嬉しいことには代わりはない。が、反面大丈夫なのかとも思っていた。こんな場所に出てきて、人間たちに殺されたりはしないだろうか、と。囚われ、売り買いされることはないだろうか、と。本来ならば思わないが、魔王城が陥落してしまった今はそう考えてしまうのだ。


「では、次の者を」


 裁判官がそう言った。しかし、誰も入って来なかった。


「どうしたのですか? 次の者は――」

「わたし、です」


 ガタッと、イスから立ち上がる者がいた。


「おいおい嘘だろ……」


 立ち上がったのは、リオノーラだった。


 帝国兵に手を引かれ、ドルキアス、ラマンド、ユーフィと共に証言台に上がる。従者三匹も、帝王や裁判官が見える場所で座っていた。


 リオノーラは身長が低いため、高めの踏み台を用意してもらっていた。


 そう、踏み台が用意されていたのだ。


「誰だ、誰が用意させた? いくら弁護釈明であっても、六歳の少女をここに上げるなんてあり得ないぞ……」


 壁際にいる兵士をもう一度見た。なにやら楽しそうに笑っているが、エリックの方は見ていない。


 彼の視線の先へと、エリックもまた顔を向けた。


 見たことがある男女が二名、法廷に入ってくるところだった。エリックの姿を確認し、女性はこちらに手を振ってきた。男性は一瞥しただけだったが、そういう人間だと知っているから特になにも思わなかった。


 いや違う。そういう人間だとわかっていても、ここにいること自体がおかしいのだ。


「それではお名前をどうぞ」


 男性の裁判官の声が若干柔らかくなった。


「リオノーラです。えっと、姓は、わかりません」

「わからない、とは?」

「わたしは鬼と人間のこんけつです。父や母のことは、今ではよく覚えていません。パパが抱っこしてくれたこととか、ママが一緒に寝てくれたことはちょっとだけ。でも、それくらいしかわかりません。私が覚えているのはこじいんの記憶だけです。気がついたらこじいんにいて、こじいんが人間におそわれたことです。いんちょうに逃がしてもらって、ひとりになって、ゴミを漁って、食べて、生きて。そして、つかまって、売られました」


 法廷内の人間の半数以上が息を飲んだ。


「売られた先でひどい目にあっているところを、エリックが助けてくれました。わたしは、あやまって、ないていればご飯がもらえると、そう思っていました。木の棒でなぐられるのも痛かった。ナイフで切りつけられるのも、タバコを押し付けられるのもイヤだった。でも、耐えないと、生きていかれなかったから。それをエリックが助けてくれた。ご飯を食べさせてくれて、服を買ってくれて、髪の毛も整えてくれた。でも、そんなことはどうでもよかった」

「どうでも良かった? 今まで食べるために我慢してきたのにどうでもいいとは?」

「エリックは、臭くて汚いわたしを、笑顔で撫でてくれたから。会ったばかりのわたしをぎゅって抱きしめてくれたから。一緒に寝てくれて、一緒にお風呂に入ってくれて、一緒に食事をしてくれるから。食べ物のため、生きるためじゃなくて、この人のためならなんでもできるんじゃないかって思った。顔はちょっと怖いし、体も大きいから怖いし、力もすごくつよいから怖いけど、怖くないの。わたしは、こんなにやさしい人、知らないから。だから旅をしていて、こじいんを助けたり、だれかにお説教したりするのも、この人だからできるって、そう思った」

「彼がもし死刑になったらキミはどうしますか?」

「わたしは……」


 リオノーラは目を閉じて、二度深呼吸した。


「それでも、わたしはだれかをにくんだりできない。きっと、エリックが「それはダメだ」って、言いそうだから」


 エリックが顔を伏せた。


 こんなこと、六歳の少女が言えるはずがない。きっとドルキアスあたりにでも吹き込まれたに違いない。この弁護釈明だって、誰かが仕組んでくれたのだろう。


 しかし、そう思っていても涙が止められなかった。


 自分のことを好いてくれる。自分のことを評価してくれている。違う、そんなことではない。彼女は言ったのだ。「エリックがダメだと言いそうだから」と。例えここで命尽きたとしても、そうやって自分の生き方が、誰かの生き方の指標になっているのだと、それがなによりも嬉しかった。


「ありがとう、リオノーラ。他に言いたいことはあるかい?」

「うーんと、えっと、でも、エリックには死んで欲しくない。おんがえし? しなくちゃ」

「そうだね。うん、わかった。リオノーラと動物たちを傍聴席に戻しなさい」


 兵士の手に引かれ、リオノーラたちは傍聴席に戻っていった。


 こうして弁護釈明は終了し、帝王の所見に移行する。今まで言葉を発することがなかった帝王が裁判を見てなにを思ったのかを語るのだ。それが終われば、運命の判決が待っている。

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