第17話

 瓦礫に塗れた町をひた走る。その途中でユーフィがやってきた。


「どっちだ」

「森の中です。このまままっすぐ」

「つーことは湖の方か。わかった」


 大通りを直進してそのまま森の中へ。人が入らなくなってから時間が経っているせいか、道という道はほとんどなかった。それでも過去道だったであろう場所を走った。


 森の奥の拓けた場所に出る。大きな湖がある場所だった。湖の前には大きな墓石、その前にエルキナが立っていた。墓石の大きさはエルキナよりも少し背が低い。


「エルキナ」

「ここに来てからずっと訊きたかった。ゼレットに聞いても答えてくれなかったし」


 少女がこちらへと振り向いた。その瞳は涙で濡れていた。頬を伝う涙が、一体どんな思いで流されたものかを、エリックはなんとなくわかっていた。


 リオノーラを降ろし、従者たちに任せた。降ろした際に頭を二度、三度と撫でた。


「その墓はお前の母、アイーダが眠ってる。魔界にある墓は名前だけだ」

「なんでここにママのお墓があるの?」

「アイーダに頼まれて俺がここに埋めたからだ」

「どうしてそんなことを?」


 歩みを進め、エルキナの横に並んだ。墓石を右手で撫でて、ポンポンと軽く叩いた。


「結婚の条件だったからだ。骨はこの地に埋めたいって。だから七天将に頼んで遺骨を秘密裏にすり替え、その遺骨をここに埋めたのさ。お前が言うように、俺は母さんの近くにずっといてやれなかった。母さんとの約束は、絶対に守らなきゃって思ったんだ。それとな、母さんは病気で死んだわけじゃない」

「なにそれ、どういうこと……?」

「暗殺だったんだ。元々は俺の政策に意義を唱えた者たちが俺を殺そうとした。けれど、その時俺は城におらず、代わりに母さんが殺された。母さんは俺と違って純血の人間だったし、まず戦闘なんて経験がなかった。結局、俺が近くにいればこんなことにはならなかったはずだ。それは、否定できない」

「ママを殺した人たちは、どうなったの?」

「半数以上は牢屋の中だ」

「なんで! なんで生かしておくの! パパは憎くないの?!」

「憎くないと思うか? この俺が、アイーダを殺したヤツを、憎まない理由があると思うのか、お前は」


 エルキナは目と口を見開き、けれどなにも言えない様子だった。


「憎かったよ。いや、今でも憎い。憎くてたまらない。どうやって殺したんだとか、アイーダはどんな気持ちだったのかとか、そういうことを考えて、考えて、どうしようもない怒りが湧くよ。ずっと殺したいとも思ってる。なんでアイーダが死ななきゃいけないんだって、眠れない日だって今でもあるさ。それでも、殺すわけにはいかなかったんだ。根回しして死刑宣告させることもできただろう。でも、それもできなかった。もしそれをしてしまえば、アイーダが愛した俺という人間がいなくなってしまうからだ。それだけじゃない。もし復讐したのがお前たちに知れれば、きっとお前たちを歪ませてしまう。俺と、アイーダが愛した子どもたちが歪んでいく姿なんて見たくなかったんだよ。復讐がいいことだなんて、教えたい親がどこにいるんだよ……」


 エルキナと同じくエリックも泣いていた。強く噛んだ下唇からは血が滲んでいた。


「俺とアイツが出会ったのは、アイツがまだ十六、俺が二十五の時だった。俺はその時からずっとアイツを好きだったんだ。愛してたんだよ。でも、それと同じくらい子どもたちも愛してるんだ。俺はずっと見てきたんだよ。サリアが初めてハイハイした時のことも覚えてる、クラウスが初めて喋った時のことも覚えてる、ギュスターヴがパパって呼んでくれた時のことも覚えてる。エルキナが生まれた時のことを、今でも鮮明に覚えてるんだよ。愛する者を歪ませたいだなんて、普通の父親は思わないんだよ」


 溢れてくる涙を拭おうともしなかった。


「時が来たら話そうと思っていたし、その機を伺っていたのは事実だ。でも本当は俺の覚悟ができてなかったんだ。兄弟で知らないのはお前だけだからな。それに関しては、本当にすまないと思っている」

「今更、なによ。父親ヅラして……」

「父親ヅラ、ではありませんよ。エルキナ様」


 ゼレットが彼女の肩に乗ってきた。


「ずっとアナタを見守っていたんですよ、魔王さまは。ボクを介してですけど」

「なにそれ、アンタそんなこと言ってなかったじゃない!」

「おかしいとは思いませんか? 体調を崩した時に限ってすぐに帰ってきたりだとか、怖い夢を見て起きた時にひょっこり現れて添い寝してくれたりだとか、他の魔族と喧嘩した日には抱きしめてくれたりだとか、テストの点数が悪かった時には妙に優しかったりだとか。魔王さまはね、お人好しのクセにとてつもなく不器用なんですよ。どうしたらいいのかわからないから、精一杯優しくしようとしていたんです。悪いことをすれば当然怒りましたし、あの身体と目つきですから相当怖かったでしょう。しかし、亡くなってしまった王妃様の分も自分がなんとかしなければと、魔王さまはずっと思っていたのです。そうしなければ王妃様に顔向けができない。まっすぐ、ちゃんとした大人に育てなければいけないと」

「やめろゼレット。それは言わない約束だろ」

「それはもう時効ですよ。もう魔王じゃないんだから」

「ひでぇ従者だな」


 そう言いながら、エリックは涙を拭った。


「そんなこと言われても、困る……」

「今はそれでいい。ただ、見なきゃいけない現実からは目を背けたりしないで欲しい。受け入れる度量と、それを解消しようとする気概を持って欲しい。それだけはわかってくれ」

「……うん、わかった」

「それでこそ俺と母さんの娘だ」


 頭に手を乗せて優しく撫でた。二度、三度ではない。慈しむように、何回も、何回も撫でた。


 そういえばこんなこと、もう何年もしていなかったなとエリックは心の中で思った。


「もっとママのこと聞かせてよ」

「随分前に何度も言って聞かせたと思うんだが……」

「もう覚えてない。一から話して。出会ってから、ママが死んじゃうまでのこと」

「わかった、たくさん話してやろう」

「それとさ、あの子、何歳なの?」


 エルキナがリオノーラを指差した。リオノーラはそれを悪口だと取ったのか、サッと従者三匹の後ろに隠れてしまった。


「六歳だよ。母さんが亡くなった時のお前とちょうど同い年だ」

「だから、連れ回してるの?」

「言い方が酷いな」

「パパの顔の方が酷いけどね」

「お前だって似たようなもんだ。ひでー顔してやがる。でも、そうだな。なんでコイツを連れてるかっつーと、いろいろ思い出しちまったんだよ。お前が小さかった頃のこと。母さんが死んで、ずっと泣いてるお前のこと。誰が守ってやるんだって、そう思った。そうしたらその場には俺しかいなくて、気がついたら飛び出してた。機を見て、そのうちどこかに預けるさ」

「預けちゃうの?」

「俺は帝国に追われる身だからな。お前らは人間と魔族のハーフだからなんとかなるかもしれんが、俺はどうやっても魔力を隠せない。隠しきれないんだ。いつかきっと見つかって、どうなるかもわからない。そんな俺の姿を見せたくない。例え嫌われたとしても、な」


 エリックはしゃがみ込み、リオノーラに向かって手招きした。最初は躊躇していたリオノーラだったが、従者三匹が服を咥えて無理矢理歩かせようとすると、すぐに自分で歩くようになった。


「コイツはエルキナ、俺の娘だ。気性は荒いが、仲良くしてやってくれよ」


 まだ心配そうな顔をするリオノーラ。けれど三匹の従者は今度は背中を貸してはくれなかった。


 次はエルキナがしゃがみ込んで、リオノーラと視線を合わせた。


「さっきは、ごめんね。本当はお姉ちゃんも仲良くしたかったの。リオって、呼んでも大丈夫かな?」


 そう言って手を差し出す。


 リオノーラはエリックの顔を伺い、従者を見てからエルキナを見た。そして、小さく頷いた。


「うん、よろしく、エルキナ」

「ええ、よろしく」


 リオノーラがエルキナの手をそっと握った。呼応するように、エルキナはその手を握り返した。


 今、エルキナの瞳にはなにが映っているのだろうと、エリックは思った。六歳だった頃の、まだ無垢だった自分だろうか。それとも、自分が連れてきたただの孤児だろうか。それはきっとエルキナにしかわからないと、小さくため息をついた。


 紆余曲折。それでも、物事は集約するのだと感じた。それでいいのだと自分に言い聞かせるのが、今は一番大事なのではと、そう考えていた。

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