第16話
ノートラルを出て数時間。汗を流しながら足を動かした。しかしリオノーラがぐずることはなかった。
リオノーラは聞き分けが良く、それでいてワガママを言わない。理由はわかっている。心のどこかで「また捨てられるのではないか」と考えているのだと、エリックは思った。いつかワガママを言わせたい。言ってもらいたい。自分だけでなく、誰とでも接することができるような、そんな人間に育ってもらいたい。そんなことを考えていた。
そして、目的地であるエスカラードへと足を踏み入れた。
瓦解した家の数々、道などほとんどないようなもので、瓦礫がそこらじゅうに転がっていた。
エスカラードがなくなってから二十七年ほど。それでもなお形を残している家屋も多かった。人気はないが人がいた様子はある。ここで野宿をする冒険者や盗賊たちが多いことを意味していた。
町を練り歩き、まだ屋根が残っている家を見つけた。ドアノブに手を掛けようとして、一瞬だけ躊躇した。浅く息を吐き、ドアノブを掴んで、開けた。
「誰かと思ったけど、なんでパパがここにいるの? それとその子、拾ったの?」
ボロボロになった家具だらけのこの家に一人の少女がいた。短めの剣を構える赤いボブカットの少女。顔立ちは整い、切れ長の目が美しさを強調していた。短めの剣を構えていたその少女こそ、エリックとアイーダの子、次女であるエルキナである。百六十センチと身長はあまり高くない。逆に小柄な方だ。
「なんでって言われてもな。ここしか目指すような場所がなかった。この子はリオノーラつってな、拾ったっつーか、悪い連中から奪ってそのままというか」
ドアの横に荷物を下ろし、従者とリオノーラを招き入れた。自分とリオノーラはイスに座り、従者はテーブルの上に乗った。
エルキナも近くのイスに座る。彼女の腕を伝い、一匹のネズミが肩に乗った。紫色の首輪をした白い毛に茶色い水玉のネズミだ。ネズミという言い方よりもハムスターという方が正しい。
「ご苦労だったなゼレット」
「いえ、問題ありませんよ魔王さま。これでも七天将なので」
ハムスターという愛らしい姿ではあるが、声色だけでもわかるキリッとした雰囲気。年は若く、本来のゼレットはとても格好が良く、女性たちからの支持がかなり高かった。
「お前も魔王さまって呼ぶのな。もう魔王じゃないんだが」
「いえ、ボクにとってはずっと魔王さまです。魔王さまはボクの命の恩人で、拾ってもらった恩は今でも忘れません」
ハムスターが小さく何度も頷いていた。それに呼応して他の従者たちも力強く頷いていた。
「ホント、みんなそればっかり」
怒気を含んだ声が、和やかなムードを切り裂いた。
「エルキナ様……?」
「黙りなさいゼレット。何回魔王さま魔王さまって、拾われた恩? 育ててもらった? 目をかけてもらった? それで家族をないがしろにしたのはどこの誰なのよ。孤児の受け入れ先もそう、職から漏れる魔族を減らすために商業や産業を取り入れる、事故や事件があれば首を突っ込む。それで二ヶ月も三ヶ月も家を留守にして、どれだけみんなを心配させたと思ってるのよ。その子みたいな孤児を身勝手に拾ってきて、孤児院を拡大して。本当の家族なのにないがしろにされてきた私たちの気持ちを考えたことがあるの?」
「それは、悪いと思ってる」
「思ってる? 思っててやったの? 最低じゃない。全身複雑骨折で帰ってきたこともある、かと思えば傷ついた魔族や魔獣を連れて帰ってくる。その世話をするために家族を犠牲にする。なんで? なんでもっと家族と一緒にいようとか思わないの? なんで? なんでもっとママと一緒にいてあげなかったの? ママ、ずっと言ってた。「あの人はそこがいいところなの」って。そんなママの側に、なんでいてあげなかったのよ!」
ああ、と。思わず声に出していた。
「ママにあんなこと言わせて、あんな顔させるパパが嫌い! お姉ちゃんもお兄ちゃんたちも嫌い! 私はママからなにも教わってない! パパが一緒にいてくれたらママだって死ななかったかもしれないのに! ママの病気だって治せたかもしれないのに!」
そう言って、エルキナは家を出ていってしまった。彼女がいた場所には、三つの雫が落ちていた。
「クソっ……!」
反応が遅れたと、すぐに振り返って後を追おうとした。しかし、それを遮ったのはドルキアスだった。
「ゼレット、ユーフィ、あとは頼みましたよ」
二人が小さく頷き、すぐさまエルキナの後を追った。
「お前、なんで道を塞いでんだよ」
「魔王さまを生かせるわけにはいかないからです。まだ未熟な、十七歳という年齢の少女です。どれだけ正論を言っても、彼女はそれを消化するだけの経験がないのです。だから、ここはあの二人に任せましょう」
一つため息をつき、もう一度腰を下ろした。
「俺はバカだ。ずっと、エルキナが反抗的な理由を履き違えてた。母親がいないからとか、そういうことじゃなかったんだって、ようやく気付かされた」
「魔王だった頃にちゃんと話し合っていればこうはならなかったかもしれませんで。でもきっと、魔王だった頃にはエルキナ様も言わなかったでしょう。こういう状況だからこそ感情をぶつけられたのだと、ワタクシは思いますよ」
「かも、しれないな」
「それと、苦言を呈するようで申し訳ありませんが、そろそろ本当のことを話されてはいかがでしょう。十七歳は確かに我々から見れば幼子です。けれど、ちゃくちゃくと大人への階段を上っています。知らなければならないことは、ちゃんと知らせるべきなのです」
「面と向かって言う勇気がねーんだよ……」
俯き、目を閉じた。その瞬間、右頬に衝撃が走った。
急いで目蓋を開けると、ラマンドの尻尾が振り抜かれていた。
「おまっ――」
「おだまり! 魔王さまには感謝しているけど、それとこれとは話が別よ!」
バチンと、また尻尾が飛んできた。今度は左頬だった。
「勇気がなきゃ絞り出しなさい! 元魔王じゃないの!」
「んなこと言ったってなぁ……」
「あんまり家族のことに口を出さないようにって思ってたけど、家長がそんなんでどうするのよ! アナタの娘でしょう! アナタの妻のことでしょう! ここに来ただって、アイーダ様のお墓があるからでしょう! ちゃんと言わないと、今ちゃんと伝えないと、もうどうやっても修復できなくなっちゃう。お願い魔王さま。ちゃんと、前を向いて」
キツく目を閉じて顔を上に向けた。
考えることはたくさんある。けれど、それを考えている時間はない。なによりも、今はエルキナのことが大事だった。
「行くぞ、お前ら」
「それでこそ」
「我が主」
蛇と犬が目を見合わせて微笑んでいた。
リオノーラを抱きかかえ、颯爽と家を出る。しかし勢いがつきすぎたせいか、従者二匹は肩に乗ることも、腕に巻き付くこともできなかった。結果としてコートに噛み付くという、なんとも無様な姿を晒していた。
ドルキアスたちが止めたかったのは、エリックがエルキナを追うという行動の方ではなかった。その行動理念、行動理由をハッキリと明確にさせることが目的だったのだ。キチンとした理由もなく追い、上辺だけの言葉を並べて一時しのぎをして欲しくなかった。十七歳という少女に対しても、女の子としても、女性としても、真っ向から向かい合って欲しかったのだ。
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