第15話
眠りについてから数時間して朝がきた。カーテンの隙間から差し込む光が目蓋に当たり、少しずつ微睡みが溶けていく。
従者三匹とリオノーラを起こし、着替えさせた。宿の主人が「朝食の準備ができました」と呼びに来たので階下に下りた。すでに朝食が用意されており、頭をカクカクさせるリオノーラをなんとかイスに座らせた。
朝食を食べ終わってコーヒーを飲んでいると、一人の男性が近づいてきた。ギリオルだった。
「少し、話がしたい」
「こっちには特にないんだが、いいだろう」
ドルキアスたちに目配せすると、三匹揃って縦に大きく頷いた。
宿の外に出て、宿屋の壁に寄りかかった。
「んで、話ってなんだよ」
「アンタに頼みがあって来たんだ。この町で、俺たちの指揮をとってもらいたい」
「なにを言い出すかと思えば。お断りだよ、そんな面倒くせーの」
「でもアンタなら任せられる、任せたいと思ったんだ」
「ぽっと出てきて説教して、そんなヤツに指揮を任せるって? そりゃおかしな話だ」
「アンタ、軍人がなにかだろ? 魔族軍で、そこそこいいとこまでいったんじゃないか?」
「まあ、そんなようなもんだな」
「アンタの言葉には説得力があった。気持ちも篭ってた」
「褒めてもらったのはありがたいが、やっぱりできない。魔王のやり方ってのには賛成だが、アイツはもう魔王じゃない。いつまでも魔王に縋ってるわけにもいかねーんだよ。敬って、慕って、そういうヤツがいること自体はいい。しかし盲信するのは違うんじゃねーのか?」
「それは、そうなんだが……」
「俺があの人の下で働いていようが関係ない。俺がお前の思想を食ったのも関係ない。他の魔族を使役してこんなことをしたのなら、お前は責任を取らなきゃならないんだ。それを誰かに譲渡しようとするな。なすり付けようとするな」
「なすり付けようだなんてした覚えはない!」
「それはお前の気持ち、お前の考えだ。いいかよく聞けよ。人が生きていくには人と接点を持たなきゃ生きていかれない。必ず、だ。そして人と接点を持ったのならば、自分の考えや気持ちだけで言葉を発するな。必要なのは「相手がどう受け取るか、受け取った上でなにを考えるか」だ。ボスの座を俺に譲ったなんて、他のヤツが見たらどう思うんだろうな」
「責任を、放棄したと見るかもしれない、と」
「そういうことだ。一度なにかをやろうと思って発起したのなら、最後まで自分の役目を全うしてみせろよ。魔王のことを慕っているなら、魔王のように、最後までやりきってみせろ。俺からはそれくらいしか言えない」
壁から背を離し、アイザックの肩を叩いた。そして、宿屋の中に戻っていった。ギリオルはついてこなかった。
しかし胸にモヤがかかったようで、少しだけ具合いが悪かった。ギリオルに言った言葉が、そのまま自分に返ってきたからだ。
「俺もまだやり遂げてねーんだよな、これが……」
そんなことを言いながら、エリックは髭を触った。
朝食を食べてから荷物をまとめて宿を出た。宿の主人は、来た時と同じく笑顔で送り出してくれた。
宿から出ると魔獣と人間が入り乱れるようにして生活を送っていた。まるでこれが正常であるかのようだった。
「魔王さま、話とはなんだったのですか?」
ドルキアスが肩に乗ってきた。
「この町のボスになれってよ。当然断ったが」
「よかったわね、魔王さま」
今度はラマンドが耳元で囁く。
「よかったと言っていいのかどうなのか。そこまでは俺にもわからん。ただな、俺を信じてくれるのはありがたい。だが、それとこれとは話が別だ。しかしまあ、魔族と人間が共生してるっていうのは悪くない」
町の出口に行くと、ギリオルが待っていた。
「またお前か。今度はなんだ? こんなオッサンのお見送りのために待っててくれたってーのか?」
「まあ、そういうことになるな」
「否定しないのかよ。ちょっとこえーな」
先程のやり取りがあったあとだからこそ、少しだけ身構えてしまう。
「身構えなくてもいい。アンタに言われたこと、ちょっとだけ考えてみたんだ」
「ふむ。で、結論はでたのか?」
「完全には出てない。でも、アンタが言うことも一理あるなと、そう思ったんだ。正直俺にはよくわからない。わからないが、危険を避けるためにはアンタのやり方がいいだろうなと、そう思った。俺だって人間たちを危険に晒したいわけじゃないからな。それに、アンタに言われた責任って言葉に直結するような気もする」
「そうかい。それなら助言をした甲斐があったってもんだ。それじゃあ俺たちは行くぜ。また今度どこかで会ったら、そん時は酒でも酌み交わそうぜ」
ギリオルの脇を抜け、一行はノートラルを後にした。
「なあ、オッサン」
町を出てすぐ、また声をかけられた。いつになったら出発できるのかと頭を抱えそうになる。
「あん? まだなにかあんのか?」
「言っていいのかわからんが、アンタってもしかして――」
「それ以上は言うな。絶対にだ。その考えも捨てろ。お前の考えは的外れだ。お前の勝手な思い込みで、これ以上町を危険な目に遭わせるな。いいな?」
「……ああ、わかったよ」
「それでいい。じゃあな」
後ろ手に手を振りながら歩いた。
自分の言葉で人の行動を変えた。そのことに関しては別段問題はない。しかし、自分に対して好意的な人間が起こした事件だと思うと胸が痛かった。
エリックは自分の影響力に対して、少しばかりの疑問を持ち始めてしまった。
魔王であるということ。
優秀だと認められた魔王であるということ。
人間にも魔族にも認められる魔王であったということ。
それらが及ぼした影響がいい方向にも悪い方向にも向いてしまう。
もしも魔王に戻った場合、自分はどうすればいいのだろうかと頭を掻いた。考えてもわからないことだとすぐに投げ出したが、それでも、頭の片隅には残ってしまった。
左手を握るリオノーラを見下ろした。
「まあ、今はいいか」
「どうかしました?」
ユーフィが話しかけてきた。
「なんでもねーよ。ほれ、エスカラードまでの道のりを見てきてくれ」
「はーい」
「お前ら同じような返事するのな」
そんなやり取りをしながらも、エリックたちはエスカラードを目指した。高くなっていく気温と戦いながら、ただただ足を動かすのだった。
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