第32話 魔女ペペロペ
「やぁぁあああっ!! マンマァ!! マンマァアアア!!」
その巨体からは想像できないくらいに、まだ、彼女は幼いのだろう。
兜を脱ぎ捨て、鎧を脱ぎ捨てた巨人の少女は、ピンク色をしたインナースーツを涙で濡らして、びぇんびぇんとかまびすしい鳴き声を辺りにまき散らした。
どうする、これ、と、ヨシヲがビクターに目を向ける。
しかし、彼は達観した冒険者持つというスキル――【見守る眼】を発動して、巨人少女の姿に生暖かい視線を送っていた。
この男もこの男で、緊張感のない奴である。
まぁ、相手が成人した兵士、あるいはオークや
なんにしても、これで敵の戦意は十分に削いだ――。
鎧を脱ぎ捨てて混乱した暗黒大陸の傭兵を目にすれば、兵たちも逃げ出すだろう。
作戦はこれにて成功だ。
「あらぁ、負けてしまったのね、アナ。可哀想に」
そう思った時に、背筋が凍りつくような、そんな声がヨシヲに聞こえた。
「……マンマァ!!」
「よしよし。いい子いい子。ごめんなさいね、怖い想いをさせてしまったわね。まだ一人でお使いには早かったかしら」
黒いローブを身にまとった、銀色の髪をしたその女。顔にはなぜかレザー製の目隠し、両腕にはこれまたレザー製の手錠。脚には漆黒のハイサイソックス。髑髏の文様があしらわれているそれは、同じく深い黒色をしたガーターにより吊り上げられている。そして――股間には、どこかで見たことのあるスケベパンツ。
パンツとブラジャーの上からローブを纏ったという、痴女以外の何者でもないそいつ。彼女は、ヨシヲ達などまるで居ない者のように無視すると、巨人の少女の肩に腰掛けて、よしよしとその頭を撫でた。
「このくらいにしておきましょうかね。十分、この地に不和の芽は蒔いたことだし。引き際としてはそろそろかしら」
「待て、貴様、いったい何者だ!?」
「十分に南の国は疲弊してくれたわ。後はそう、本軍が到着するのを待って、じわりじわりと切り取ればよいでしょう。うん、そうしましょう」
「こちらの話を聞け!! というか、その下着――どこかで見たことが」
言ってヨシヲは思い出した。
かの白百合女王国の女王を惑わしたペペロペの下着。それが、戦闘の後も見つからなかったということを。
革命のためにともに戦った女エルフ――モーラ。
彼女が申し訳なさそうに、ペペロペの下着を奪われてしまったと、彼らと女王、そして王女に告げていたことを。
その時は取るにたらない出来事だと思っていた。
目の前の魔女が身に着けているそれは、間違いなく、そのペペロペの下着だ。
自分を狂気の淵へと落とし込んだそれを、さも平然と、身に着けているその魔女の姿に、彼は戦慄を覚えずにはいられなかった。
間違いない――。
「小僧。人に者を訪ねる時には、礼儀というものがあるでしょう」
「――貴様!! 魔女ペペロペ!!」
その名に、事情を知らないビクターさえもが驚いて目を見開く。
かつて暗黒大陸より、魔王とその軍勢を率いて中央大陸へと攻め込んできた魔女。そして、大英雄スコティとそのパーティにより退治された者。
彼女が身に着けていた装飾具は、強力な呪いを帯びており、身に着けた者を狂気へと陥らせる。故に、教会はその装備を回収し、厳重に封印を施しているほどだ。
実際にその狂気の一端に触れたことのあるヨシヲには、それを身に着けているということが、どれほどのことであるか――そして、危険なものかよく理解していた。
そのローブ、そのストッキング、そのガーター、そしてパンティ。
すべてが魔女ペペロペ本人のものであるとしたならば
それを平然と身に着けることができるということは――すなわち。
それの本来の持ち主であるということに違いない。
「魔女ペペロペ!? スコティが倒したはずではなかったのか!?」
「どっこい生きてた、スコティも甘いわよねぇ――体を破壊されたくらいで、私が死んだなんて思っちゃうんだから。ほんと、お人よしって奴よ」
クスクスと、忍び笑いをする稀代の魔女にして悪女。
伝説によれば、ペペロペの魔法技能レベルは10であったという。神域に達するその魔力に、雷限定レベル8の自分で果たして迫ることができるのか。
それでも――ここでひるむ訳にはいかない。
そう思ってヨシヲが腕に稲光を走らせたその時だ。
「話を聞いていないの? 私はもう、この南の国での動乱は、これくらいでいいかしらって言ったのよ? みすみす拾ったその命を、ドブに捨てることはないと思うのだけれど、どうかしら?」
ペペロペ、そして巨人の少女の身体が、ふっと、その場から掻き消えた。
残されたのは、艶やかな魔女の声だけ。
転移の魔法により、何故かペペロペはこの戦線から離脱したのだ。
その意図が分からず――ヨシヲとビクターは言葉を失う。
「ふふっ、直ぐに分かる時が来るわよ」
最後に残したペペロペのそんな言葉が荒涼とした大地に意味深に響いた。
気が付くと、東の水平線の果てに太陽が顔を出している。
夜明けだ。
それと同時に、大きな声がヨシヲ達の背後から聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
「大変です!! ベルベットさま!!」
「なんだ!! 今度はいったいなんだというのだ!!」
「暗黒大陸の傭兵――アナさまが、突然戦線から離脱されました!!」
なんだと、という呟きさえもない。
椅子の前に既に崩れ落ちていた暗愚の王子は、糸の切れた人形のようにその場に肩を落として崩れ落ちた。
すぐに、彼を世話してきた老臣がその下に駆け寄る。
「――何故だ。暗黒大陸の者たちは、我らこそこの国を治めるのに相応しいと、そう言ったではないか」
「殿下。すべて、暗黒大陸の者たちのたくらみだったのです。我らは、彼らに利用されただけ」
「……そのような!!」
「それよりベルベッド様!! アナ様の離脱と、敵の夜襲により恐れをなした兵たちが、陣を崩して脱走を初めています!!」
「なんだと!?」
「更に正面ガランの城門が開かれました!! これを好機と見て、本隊を出すつもりのようです!!」
既に、反乱軍の動揺は、右翼だけではなく全軍へと波及していた。
士気は総じて削がれ、今にも、逃げ出そうという空気が全軍に満ちている。
この将兵たちが集まっている本陣からして、そのような空気に溢れていたのだ。
声にならない悲鳴を上げるベルベット。
隣に立っていた老臣を突き飛ばすと、彼は、叫び声を笑い声へと変えて、それから、腰に佩いていた剣を抜き去った。
「ならぬ!! ならぬぞ!! ここで退いてはならぬ!! ガランの兵を正面から迎え撃つのだ!!」
「殿下!! 今、この状況ではそれは無理です!!」
「撤退を!! 殿下!!」
「ならぬ!! 余は、南国の新たなる王となるおと……」
ずぶり、と、その胸から腕が生えた。
いや突き出ていた。
それは脈動する心臓を握りしめた色白の女の手であった。
あまりに現実離れした光景に、その場に集まっていた将兵たちが、言葉を失くす。
振り払われた老臣の股から黄色い液体が溢れ出る中――その色白の女の手、それの持ち主と思われる声が辺りに響いた。
「私の大切な娘に雑な扱いをした対価。いただいておくわ」
「――その声は、魔女殿!?」
「それと、暗黒大陸はこの戦より撤退します。カレスに置いて来たキサラについても先ほど回収しました」
暗愚なる者たちよ、後は滅びるだけの運命に身を委ねなさい。
冷徹に、無慈悲にそんな言葉だけを残して、魔女の手が消える。
さきほどまで脈動していたベルベットの心臓が地面の上に落ちる。
ごぽり、と、それは一度大きく動くと、中に入っていた血を勢いよく吐き出した。
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