第26話 乱れぬ軍紀の謎

 ベルベッドが異変に気が付いたのは、夜が白んでくる頃であった。

 ガラン西手の森へと向かわせた兵たちが一向に帰って来る気配がない。


「配置が完了したのならば、その伝令を寄越せと申し付けていたはずだが――いったい何を手間取っているというのだ!!」


 いつまで待っても、兵たちからの連絡が来ない。

 それが即ち――自分たちが計略にかけられているのだと、そう気が付くことができないのは、彼に実戦の経験がほぼないからであった。


 うすうすと、彼の周りに侍っている将兵たちは、その理由に感づいていた。


「殿下!! これは罠です!! 西手の森に向かわせた兵たちは、おそらく――」


「黙れ!! そんなことはない!! では、斥候たちの話はどうなるのだ!!」


 その時である。

 若い騎士が陣幕の中へと駆け込んできた。


「大変です、殿下!!」


「どうした!!」


「本陣右翼に奇襲!! ガラン西手の森より飛び出してきた兵たちにより、攻撃を受けています!!」


「なんだと!?」


 ここに至ってもまだ、現実を認めようとしないベルベッド。

 さらにそこに、もう一人、慌てた様子の騎士が駆け込んできた。


「大変です、ベルベッドさま!!」


「今度はなんだ!!」


「帰って来た斥候たちが口々に証言を――西手の森に兵なしとの報告は虚報。既にガランより、数百の兵が布陣しており、こちらに奇襲をしかけんとしていると」


 ヨシヲが彼らにかけていた【パブロフの犬強制応答】の効果が切れたのだ。

 それでようやく、暗愚の王子は自分たちが嵌められたのだということに気づいた。


「し、しかし、たかが、数百にも満たない兵であろう――押し返せ!! 全軍、右翼に力を注げ!! 罠に嵌めたそいつらを、生かして帰すな!!」


「それが――押されているのです!!」


「なんだと!?」


「たった一人の兵が、十人、二十人――百人と、次々に兵を倒して行くのです!! 既に右翼はその大混乱の中にあって、まともに機能していません!!」


 信じられない、と、言う感じに、ベルベッドがその場に腰を落とす。

 座っていた椅子の上からずり落ちるように地面に尻をついた彼は、これは陣中に見た悪夢ではないのかと、かきむしるようにして自分の顔に手を当てた。


 冷ややかなガントレットの感触が肌に伝わる。

 紛れもなく、今、この場に起きていることは現実であった――。


◇ ◇ ◇ ◇


「【電マ】!!」


「あひぃっ!!」


「おふぅん!!」


「ひぎぃい!!」


「ほぉおお!!」


 情けない声を上げて、次々に倒れていく反乱軍の兵たち。

 それをヨシヲの麾下にある兵たちが次々に打ち取っていく。


 レザーメイルを着ていようが、フルプレートメイルを着ていようが関係ない。ヨシヲの【電マ】は確実に、相手の股間を刺激して、行動を不能にしていった。

 突然やってくる、その快楽の波に――男は逆らうことはできない。


「冗談みたいな光景だな、ありゃぁ」


 遠目に見ていたビクター。自身の率いる部隊の指揮を執りながらも、次々に反乱軍右翼を切り崩していくヨシヲを眺めて、彼は思わず呟いた。


 ヨシヲの能力について疑念を抱いては――もはやいなかった。

 彼の雷魔法の技能については、正真正銘であると、ここまでのやり取りで十分にビクターも理解はしていた。


 しかし、魔法の技能と戦術はまた別の話だ。

 いくら高位の魔法が使えると言っても、それが実際、何が起こるか分からない戦場の中で、十全にコントロールできるのかどうか。

 それについては、流石に未知数だった。


 だが、今、まさしく一騎当千――ヨシヲはチート無双をしてみせている。

 彼は自分で言ったとおりに、一騎当千の価値のある男だと証明してみせたのだ。


 対してビクターたちはと言えば。

 そんなヨシヲが切り崩していく右翼の動揺を受けて、統率、そして士気が著しく低下した反乱軍の兵たちに対して、微力ながらも確実に戦果を上げていた。


 なんといっても、多勢に無勢。戦力差は桁が違う。

 奇襲による一撃離脱。混乱する兵たちに、次々にと攻撃を仕掛けては、反撃される前に、その場から逃げる。


 ヨシヲが派手に動いているおかげで、注意はからっきし向こうに向いている。

 軽微ではあるが、自分たちに損害のでないその攻撃は、着実に反乱軍の士気を下げ、そして混乱を深めていった。


「さて、後はガランの本軍が本気になってくれるのを期待するしかない訳だが」


 城壁の上に火を焚いて、夜通し、平原の反乱軍とにらみ合いを続けていたガランの正規軍。こちらの奇襲が成功し、陣容が乱れて来たと見れば、すかさずビクターの兄弟子であるロメールは兵を動かすことだろう。


 だが、まだ、その時ではないということか。城門は固く閉じられて、兵が動く気配は微塵も見られない。


 ここで一つ、反乱軍の一部が戦線を離脱でもすれば、話は早い。

 これを好機と見て、迷わずガランの城門は開き正規軍が出兵するだろう。


 だが、これだけの攻勢を仕掛けても、どうして、彼らは逃げることをしない。

 なぜ軍紀が乱れないのか――ふとビクターはそんなことを自問自答した。


「烏合の衆だと思ったが、腐っても兵と言うことなのか。いや、流石におかしいだろう。こいつらだって別に、正規軍という訳ではないはずだ」


 商業ギルドと先王の弟が結託し中核をなした軍である。恭順した都市には、常備軍もあっただろうが、その多くは、先王の弟の私兵や、商業区ギルドが金で雇った傭兵たちであろう。

 そんな奴らが、命がけで、軍紀を守って戦うだろうか。


 そして――なにより、ここは逃げるべき場面である。


 彼らには守らなければならないものは何もない。

 唯一守るものがあるとすれば、己の命だけだ。


「おかしい。これは何かある――!!」


 損害を受け、混乱を生じながらも、まだ逃亡を始めない反乱軍の光景に、ビクターがそれを確信したその時だ。


「アォオオオオオオ!!!!」


 闇夜を引き裂くような大きな雄叫びが、突如として夜の平原に木霊した。

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