300人の兵士たちが気勢を上げる。

 死人のような顔で、うなるような声で。

 兵士たちは、王妃の魔術で人形のようにされていた。ただ命令に応えるだけの意思なき人形だ。

「殺せ!」

 王妃の声が響く。

「全員殺せ! ぶっ殺せ!」

 この謁見の間に集まっているのは、この国の中枢をなす人材たちだ。聖職者、政務官、高級将校の軍人、などなど50人。

 兵士たちは、なんの躊躇もなく彼らに剣を向けた。

 悲鳴×怒声=混乱。

 狂騒が、室内に満ちる。


「おさがり下さい、姫!」

 将軍は、手傷を負いながらも白雪姫をかばった。

 他の軍人たちも頑張っている。だが、その剣は儀式用で、刃を起こしていない物だった。本来ならば、謁見の間に武器を持ち込むことは禁止されているからだ。そのうえに多勢に無勢では、とても勝ち目は無い。

 しかも、逃げ惑う聖職者や政務官を守りながらの戦いだ。

「ちいっ!」

 やむを得ない。将軍は、玉座でどうしていいかわからず呆然としていた、偽の王妃を捕まえた。

(この偽王妃は、敵の仲間のはず)

 その首に、剣の切っ先を当てる。

「兵士を止めろ! こいつを殺すぞ!」

「あっそ」

 本物の王妃は、即座に短刀を投げた。

 喉に刺さり、偽王妃は絶命した。

「死んだぞ。それで? 何だって?」

「なんという……」

「ははッ!」

 また短刀を投げる。

 今度の狙いは将軍だ。回避が間に合わない!

「うぉっ!」

 けれども、刃が血に染まる直前に。

「チェスト!」

 白く細い足が、短刀を蹴落とした。

 赤いドレスがふわりと舞う。

 黒い髪の毛がさらりと揺れる。

「白雪姫!」


「おやおや、これはお姫様」

 からかうような口調で言ったのは、王妃だ。

「はしたないこと。紳士たちの前で、そんなふうに足を上げるだなんて。とても淑女とはいえませんわよ」

 くくくと笑うその下卑た表情に、白雪はぎゅっと唇を噛んだ。

 淑女は気高く、慎ましく。

 けっして男性にみだりな姿を見せることは許されない。人を殴る蹴るなどはもってのほかだ。この場で、将校や政務官など数多くの男性が見ている前で、戦うことはできないのだ。

 そして白雪は、生まれながらの淑女であった。

 姫である彼女は、産声をあげたときから今の今まで、すべての時間を淑女として過ごしてきたのだ。『淑女でない』と思われることは、自分自身の人生すべてを否定するのに等しい。

(戦うことはできない)

 白雪は、重い唇を動かした。

 なんとか説得することしかできない。

「お義母さま。おとなしく捕まって下さい」

「はあ? 何言ってんだボケ」

「これ以上、醜態を重ねられるおつもりですか。王族の一員なら、敗北を受け入れる品格を持つべきです」

「黙れカス」

「すぐに騒ぎを聞きつけ、警備兵がやってきますわ。このていどの数ではすぐ鎮圧されます。お願いですから」

「うっせーんだよ、バーカ! それなら、捕まる前に殺してやる! お前ら全員殺してやるんだバーカバーカ!」


 もう、王妃はまともな精神状態ではなかった。

 そんな彼女に操られている兵士たちも、異様な猛りを見せている。このままでは、本当に皆殺しにされるだろう。

(どうすれば……)

 戦うか?

 いや、できない。

 私は白雪姫だ。最も洗練された淑女でなければならない、この国の姫だ。どうして紳士の前で拳を振るうことができようか!

(私にはできない)

 一国の姫として生まれた運命が、彼女の意思も感情も行動も、がんじがらめに縛り付けていた。

(私にはできない!)

 と、そこで。

「どうした、白雪。何を迷っている」

 声をかけてきたのはカンベエだった。その後ろには7人の小人たち。全員ひどいケガをしている。

「お前しかいない。軍人たちには武器がないし、俺たちは怪我人だ。神官や文官には戦いは無理だろう。お前がやるんだ」

「しかし私は……」

「『私』がなんだ。言っただろう。自分を棄てるのは、いつでもできると」

「!」

 その瞬間。

 彼女の中の、何かが溶け消えた。まるで白い雪におおわれた山が、春の光でその天頂をあらわすかのように。

「……その通りですわ」

 白雪はゆっくりと、先ほど蹴り落とした短刀を拾った。

 それで自分の髪を、バサリと切り落とす。

 そして高らかに宣言した。


「皆様。お聞き下さい。

 私は今日、たった今、この時をもって、姫であることを捨てます。

 そして父の後を継ぎ、この国の王になりますわ!」


 一同は、面食らった。

 裁判を担当する法務官も、歴戦の少将も、最長老の大司祭も、財務担当の有力貴族も。驚いてポカンと口を開けている。

 だがしかし。

 どこからか拍手が聞こえ始めた。

 始めはまばらに、やがて割れんばかりに。

 カンベエが、このときを逃さず叫ぶ。

「俺は小人族の長、クロサワ・カンベエ! たった今から、この新たなる王に、臣下として仕えさせていただく!」

 オオオオオオ!

 沸き起こる歓声、喚声。 

 女王・白雪、誕生の瞬間である。

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