狩人

「魔術!」

 瞬間的に、姫は大きく後ろへ飛んだ。

『真っ赤で美味しい毒リンゴ』ポム=ボム・ラ・ルージュ!」

 王妃の手から放たれる、人の頭ほどもある大きな火球。燃えさかる真っ赤な炎が、矢のような速さで迫ってくる。

 避けられない!

「ならば!」

 着地の瞬間には、白雪姫はその体勢に入っていた。

「チェェェェェストォォォォォォ!!」

 渾身の力を込めた正拳だ。

 ぶつかりあう、拳と魔術。火球は爆発し、散った。小さなたくさんの火の粉となって、周囲に飛んでいく。

「フゥッ!」

 姫の拳は焼けただれていた。

 しかし、全身がこうなることを考えれば安い代償だ。

「噂は聞いていましたわ。なんでもお義母様は、部屋で1人になるといつも鏡に向かって話しかけていらっしゃるとか。きっと魔術使いなのだ、と次女のイルマが申しておりました」

「あらそう。もう、イルマったら。あとでお仕置きをしなくっちゃ」

「魔術じゃなかったら、そうとうキモチ悪いとも申していました」

「……お仕置きがきつくなりそうね」

 王妃は、口元に流れる血をぬぐう。

「魔術は、現代では禁忌の法。密告は義務ですわよ。それにしても……」

 姫はきつい口調を使った。

「バトル・マドモアゼルは、1対1の徒手空拳での決闘方法。魔術を使うのは違反行為ではございませんこと?」

「何故です? わたくしは誰かの手を借りたのでも、武器を使ったのでもありませんよ。この身1つで魔術を生み出したのです」

「禁忌に手を出してまで、それでも富を求めますか」

「生まれたときから姫であるあなたには分からないでしょう。わたくしには富がすべて。生きてきたことの証であり、生きていることの理由であり、生きていくことの価値なのです」

 王妃はなめらかな口調で語った。

 けれども、わずかに息づかいに乱れがある。さらに額に滲んだ汗、眉間に寄った眉根、わずかな手の震え。

 白雪姫の観察眼は、それを見逃さなかった。

(……体力的には、かなり消耗しておられるようね……あの魔術、かなり強力だけれど、放てるのはあと1発か2発。なら……)

 姫は懐から白いハンカチーフを取り出し、それで火傷をした拳をおおった。

攻あるのみ! 魔術を使う暇など与えませんわ!」

「できるのかしら? おほほほほ。わたくしばかりを見ていると、周囲の変化に気がつけませんわよ」 

「!!」

 そう言われ、初めて姫は気がついた。

 周囲か立ち上った煙、地面に広がる真っ赤な炎に!

「おほほほほ。地の利は、わたくしにこそ、あったようですわね。秋の枯れ葉はよく燃える。ほほほ」

 火の粉だ。姫が正拳で火球を砕いたとき、飛び散った火の粉が地面の落ち葉や枯れ草を燃え上がらせたのだ。

 白雪姫は炎に囲まれてしまった。

「こんなものが、何ですの?」

 だが姫は、そんな炎よりも、はるかに激しく闘志を滾らせていた。

「絶空! 旋・滅・脚!」

 その場で、強烈な回し蹴り。

 ドレスの裾が舞い上がり、同時に燃える炎が立ち消える。

「な!?」

 王妃は声を裏返らせた。

「なんだってェ????」

「驚くことはありませんわ。回し蹴りの風圧で、真空状態を起こしただけ。炎は、空気が無ければ燃えませんからね」

「……クソがっ!!」

 王妃は歯ぎしりし、逃げ出した。

 山を下りていく。王や従者のいる方向だ。

 勝てないことを悟り、自分たちの姿を誰か男に発見させることで、バトル・マドモアゼルを中止無効にしようという考えだろう。

「浅薄な!」

 姫は後を追った。

「淑女が背中を見せるのは、ドレスの紐を紳士に外させるときだけですわ!」

 すぐに追いついた。

 なおも王妃は逃げる。魔術を使う暇もないようだ。

 仕方なく、姫は少しだけ立ち止まった。

(背中を打つのは気が進みませんけれど……)

 跳躍しての蹴りで、勝負を決めよう。そのつもりでシッカリと大地を踏み、そして脚の筋肉に力を込めたその瞬間、

 ガァン!

 倒れたのは、白雪姫だった。

 近くの木から、狩人の格好をした男が飛び降りてくる。男が手にした猟銃からは、まだ煙が出ていた。

「おほほほほ」

 王妃が振り返った。

「あら。偶然、こんなところに狩人がいたようですわね。しかも、間違えてあなたを撃ってしまった。うふふ」

 とてもとても、楽しそうな笑顔。

 姫は、歯を食いしばって立ち上がった。

「こ、姑息な手を……! 2人がかりで……武器まで!」

「なんのことですの? この男にわたくしたちの姿を見られた時点で、バトル・マドモアゼルは即中止。その後であなたが撃たれたのは、決闘とは何の関係も無い出来事ですわよ」

「誇りはないのか……! 貴様にはっ!」

 激昂して、叫ぶ。

 王妃はせせら笑いを全身に浮かべ、そんな姫を蔑んだ。

「無えよ。あたいは娼婦の子。そんなもの、生まれてすぐに揺りかごから投げ捨てた。決闘なんてクソだ、戦って勝つなんてバカのやる事よ。要は、お前がいなくなりゃあいいんだからよ」

「おのれ……!」

 後ずさる姫。

 赤いドレスの左胸が、さらに深紅に染まっていく。右手のハンカチーフを外して傷を抑えるが、あふれ出てくる血は止まらない。

 どうやら弾丸は、心臓を貫いたようだ。

「ぐぅっ……」

 姫はさらに下がった。

 慎重に、それに付いてくる王妃と狩人。距離を詰めるようなことはしない。格闘が得意な姫に、わざわざ近づく必要など無いのだ。

 王妃が、魔術の炎を両手につくり出す。

 狩人が、新しい弾を猟銃に込めなおす。

(そりゃあ、そう来るでしょうね)

 なおも姫は下がった。

 靴が岩を踏んだ。

 後ろは崖だ! 巨大な滝が、すぐそこに。

「壮観ですわね」 

 王妃が唇をつり上げる。

『真っ赤で美味しい毒リンゴ』ポム=ボム・ラ・ルージュ!」

「チィィッ!」

 姫は、自らの身体を空中に投げ出した。

 滝壺へと落ちていく。

 真っ赤なドレスが暴れる水に飲み込まれ、一度浮かんでまた沈んだ。そして、二度と浮かんでこなかった。

「ふん」

 その様子を、王妃は興味もなさそうに見下ろしている。

 そして狩人に言った。

「帰るわよ。その辺にイノシシの巣があったわね。撃ち殺してきなさい。こういうことにするの。『姫が暴れイノシシに襲われた。偶然居合わせたあなたがイノシシを撃ってわたくしは助かったけれど、姫は崖から落ちて滝に飲まれた』。いいわね?」

 狩人は指示どおりにするため、走っていった。

 ふと見ると、足下にハンカチーフ。白雪姫のものだ。白い布が、彼女の血で赤く染まっている。

「形見くらい持って帰ってやるか。あのジイさんに」

 くくくっと笑みをかみ殺し、王妃はハンカチーフを拾った。そしてもう一度、滝を振り返った。


 この川は長い。

 滝の先にもずっとずっと続いている。

 下流では広くゆるやかな流れになり、森はだんだんと木々がまばらに。川岸は大きな岩や木々ではなく、小さな石や砂でできた川原が多くなる。

 そこに。

 1人の少女が、水から上がってきた。

 青ざめた白い肌。

 ずぶ濡れの黒い髪。

 血で汚れた赤いドレス。

 少女はフラフラとした足取りで川原を歩き、一軒の小さな小屋を見つけた。中には7人分の食器と、7人分のベッド。そして7人分の道着。

 少女はベッドに倒れ込み、死んだように眠った。

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