その三 弦四郎の場合

 はぁぁぁぁ。

 盛大にため息をつきながらぼくは手にしている譜面スコアに視線を落とす。源ちゃんズリーダーの弦一郎さんが作った譜面だ。びっしりとパート分けされている。めまいがしてきそうだ。

 ぼくだって源ちゃんズの一員だ。譜面くらい初見である程度弾けるし、メロディー自体は頭に入っている。担当は和琴とコントラバス。ただ今回はこの初めての楽器だ。ここで持ち替えるだの、隣の管一さんとポジションチェンジだの、普通の譜面では出てこないような指示がてんこもりだ。


「空き時間は部室に集合な。しばらくオフはなしだぜ」

 弦二郎さんもそんなこと言っていた。わかる。確かにこれは相当なレッスンが必要になる。ぼくだって演奏を成功させたいし、殿にも喜んでもらいたい。


「でもなあ……」


 密かに抱いていた野望があった。

 実はぼくは今片想い中で、なんとかお正月を迎えるまでに告白をしようと画策中なのだ。

「これじゃなかなか会いには行けないなぁ」

 プライベート返上で特訓が始まるのか。まあ仕方ないか。



「弦四郎、文を届けてくれるかい?」

 涼やかな殿の声がする。

「はいっっっ!」

 ふたつ返事でぼくは殿の元へと急ぐ。ぼくは主に明子さまへのお使いを担当している。明子さまは殿が明石でリゾラバ、あ、いや訂正、謹慎生活をしていたときに出逢った奥さまだ。最初は殿とのお付き合いに消極的だった明子さまを殿が後ろからハグして、耳元で「死ぬほどキミに恋してる」とつぶやいて、そりゃあもう必死に口説きまくった。

 殿が京に戻るときに一旦は離れ離れになったが、何度も何度も説得してようやく京にお越しになった。今は京の郊外にお住まいだが、明石に比べればお文使いははるかに楽になった。


「いつもありがとな。ゆっくりしてきていいぞ」

 男のぼくが見ても見惚れてしまうほどの美男イケメンの殿だから当然モテる。だから奥さまや彼女さんたちがたくさんいる。けれどもそれもわかる気がするのだ。殿は見た目だけでなく、何か人を惹きつける魅力のある人なのだ。そんな殿に夢中になってしまう女君がたプリンセスたちの気持ちもよくわかるし、従者にも偉ぶったりしないのでぼくたちも敬愛しているのだ。少し恋のお相手の数が多いかもしれないが、気のせいだと思う。

 まあ、明子さまにはたまにヤキモチのお歌をいただいたり、座布団が飛んでくることもあるが、殿がおっしゃるには「あんなに綺麗な子からこんなに想われてオトコ冥利につきる」んだそうだ。殿の感覚は凡人のぼくなんかとはかなり違う。こんなに前向きな思考ポジティブシンキングの人をぼくは知らない。


 ステップも軽やかに殿のお文をたずさえて、明子さまのお宅へと向かう。ぼくの気分が晴れやかなのは、そこにぼくの好きな人がいるからだ。明子さまの三人官女SKJでチームミュージックのあさりちゃんだ。チームミュージックというだけあってあさりちゃんも音楽が得意だが、なんてったって歌がいいのだ。少しハスキーな声で歌うジャズがたまらない。ぼくはあさりちゃんの歌声に恋をした。いつか、ぼくのコントラバスベースとセッションするのが夢なのである。


 殿のお文に添えられた百合の花束。小さい蕾だけ1本いただいてしまおう。明子さまへの用事がすんだらあさりちゃんに持っていこう。迷惑じゃないかな。あ、仕事が忙しいかな。しょっちゅう行ってばかりだと嫌われるかな。


 年末のイベントの殿の明子さまへの贈り物は竪琴ハープだ。明子さまの琵琶の演奏は殿も唸るほどのプロ級の腕前で、殿とのおふたりの合奏セッションをぼく達源ちゃんズはいつも特等席で聴くことができる。ぼく達もおふたりのバックバンドを務めることもあるし、あさりちゃん達チームミュージックのSKJもコーラスに交じる。そんなひとときは至福の時間なのだ。

 そんなわけで今回は新しい楽器を贈られるらしい。きっとこのハープも見事に弾きこなされるのだろう。あさりちゃんの歌声とも合うといいな。


「あさりちゃんはいますか?」

 殿のお文と花束を抱えて明子さまのお部屋近くで御簾内にいるであろうSKJに声をかける。

「わたくしでよろしければお伺いいたしますけど?」

 若干高圧ぎみな声が聞こえてきた。チームミュージックの女官長のさざえさんだ。


「あの、あさりちゃんはいますか?」

 さっきの声量の半分以下の声で聞いてみる。

「いないからわたくしが出てきてるんでしょうが。なんなの、わたくしじゃ務まらないご用事なの?!」

 さっきのさざえさんの声量の倍はある大声。まずい。

「いい、いいいいい、いえっ! 失礼しました! 大丈夫ですっ!」

 御簾を隔てているのに、実際に顔を合わしていないのに人はここまでの圧力をかけることができるのかと感心する。


「だいじょうぶぅ??? わたくしを誰だと思ってんの?」

 やばい。まずい。

「ごっ、ごめんなさいっ! さざえさま!! すみませんっ!!!」

 やばい。まずい。やばい。まずい。

「声が大きいわよ。明子さまに聞こえたらご迷惑でしょうに」

 やば……、え? 声ならさっきのさざえさんの雷のような一喝の方がよほど響いたかと……。


「で、殿からのお使いでしょ? 早くしなさいよ。まったくどんくさいわね」

 疲れる。どっと疲れる。ため息とともに殿からのお文と花束を渡す。

「最初からすんなり渡せばこんなに時間もかからないのに。最近の若い子はまったく……」

 はぁぁぁ。誰がこんなにまわりくどくしてるんだよ。やっぱりあさりちゃんの取次がよかったなぁ。


「それであの、あさりちゃんは……」

 きぃぃぃぃっという奇怪な声がした。

「明子さまの御用をしています! ほたても今は別のところに行っているし、忙しいの!! いいかげんにしなさいっ!!!」

 今日最大の雷が落ちた。直撃をくらったぼくはあとずさった挙句、簀子縁すのこえん(外廊下)からきざはし(階段)を転げ落ちた。

「すすすすすすみませんでした!」

 同じく階に落ちた小さな百合のつぼみをつかむとぼくは門の方へと駆け出した。くそぅ。会えると思ったのにぃ。声くらい聞けるかと思ったのにぃ!


 ああ怖かった。あんな上司じゃ、あさりちゃんも大変だろうな。あさりちゃん、いじめられたりしてないかな。あさりちゃんを泣かしたらぼくが許さないんだからな。……ってとてもじゃないがあのさざえさんに立ち向かえるわけはないか。


 会いたかったなぁ。ただでさえこれからオフなしで練習が入るのに。ああ、こっちも問題山積みだった。あの指示書の解読からだ。部室に帰るか。


「遅いぞ。お文使いの用事にどんだけ時間くってんだ」


 相変わらずキレている管二さんの出迎え。はぁぁぁ。会いたかったよ、あさりちゃん。



 さあジングルベルを鳴らそう、かな……。



☆今回のBGM♬

We wish you a Merry Christmas


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る