第2話 砂漠の国のクォムナ<前編>

 砂漠の小国であるトロザカイ王国は、周囲を3つの強国に囲まれている。3国は長年に渡って領土争いを続けていたが、元より砂漠であったこの地はどの国からも放棄されていた状態で、3国に迫害されて行き場を失った様々な種別の人が辿り着き、集団を成したのが彼らの先祖であるという。

 そういう起りであるから、過酷な環境もあって彼らの「国」に対する帰属意識は薄く、幾つかの集団に別れて遊牧民のような暮らしをしていた。

「——では、そんなご先祖が如何にして現在のような「国」を興すに至ったのか」

「ハイハイ! 異世界線! でしょ!」

「その通り。流石でございますな、姫様」

 教育係の爺は伸びた顎髭をしごきながら眼を細めた。「6つになられたばかりというのに、聡明であらせられる」

 椅子の上でふんぞり返るクォムナをたしなめつつ、爺は続ける。

「そう。異世界線の発見。これが全ての始まりでした。ある部族がキャンプをしていた所、昼間のような光を放ちつつ走る、巨大な箱に遭遇したのです。そこから下りて来た、様々な人々との交流。得られる知識に、珍しい品々。それらを求めて集まる人々。ここが国の中心となるのに、時間はかかりませんでした。——ですが、決して良い事ばかりではなかったのですよ」

「そうなの?」

「ええ。異世界線の存在は当然3国の知る所となり、その権益を奪わんと戦が繰り返されたのです。戦は拡大の一途を辿り——その結果、3国の力は衰退し、3すくみの状態となりました。その間隙を縫って独立を宣言したのが——」

「イヴロム1世!」

「御名答です。初代国王陛下であらせられますな。戦で荒れ果てた都を再建し、3国からの商売人も受け入れて公平、平等な市場を開いたのです。武力ではなく、経済力で独立を果たされた、名君であらせられます」

 爺は壁に飾られている大きな肖像画を指した。「いかがですか、あのピンと上を向いた立派な髭! 如何にも知識と自信が溢れているようではありませんか」

「ねぇじいや、この王様って、異世界線にのったんでしょ?」

「よくご存じですね。歴史の書物には、こう記されています」

 爺はおほん、とかるく咳払いをする。

「異世界線の発見以降長い間、これがどこから来てどこへ向かうのか、全く分からない状態が続きました。それに乗り込むのは、非常な勇気を必要とした事は想像に難くありません。それでも多くの人々が異世界線に乗って旅立ち――そのまま、帰ってきませんでした。しかしただ一人の例外が、初代国王陛下でした。旅立ちから5年後、無事にご帰還を果たされたのです」

 クォムナは目を輝かせて、続きを促す。

「初代国王陛下は、こう仰ったそうです。『私は5年で、10年分の知識と経験を得てきた』と。陛下は異世界線の研究を進められ、その結果幾つかの行先が確定されて、安定した交流が可能になったのです。それらの国との交流で得られたものが、独立の為に大いに役立ったというのは言うまでもありませんな」

「――それでも、まだまだ謎は残っているがね」

「大兄さま!」

 クォムナは椅子から飛び出して、教室に入って来たファフナの大きな胸に飛び込んだ。

「授業中に、済まないね」

 ファフナはその太い腕で軽々とクォムナを抱え上げると、爺に声をかけた。「……でもまぁ、本来の生徒があんなだから、許してくれよ」

 本来の生徒であるファフナの弟イクスは、机に突っ伏して熟睡中であった。

 爺は苦笑いを浮かべると、まるで虎のように巨大な体躯を持つファフナを見上げて言った。

「わざわざお越しになられたという事は……決まったのですか」

「ああ。ようやく、父上を説得できたよ。急だけど、次の異世界線で出立するつもりだ」

「ええっ! 大兄さま異世界線に乗るの!」

 と、眼を丸くして叫んだのは、クォムナだった。「いいなぁ! あたしも乗りたい!」

 ファフナは眼を細めて、小さな妹の喉を撫でた。

「——クォムナはどうして、異世界線に乗りたいんだい?」

「だって、知らない所に行けるんでしょ! それで、そこにはとっても素敵な事が待っているって、教えてもらったよ!」

「素敵な事、か。……そうだね」

 ファフナは微笑んで、優しく妹を下ろした。「そう。兄さんは、その素敵な事を探しに行くのさ。見た事の無い世界にね」

「ファフナ様、しかし……」

「大丈夫。必ず帰って来るよ。まずは、キヤマトに行くつもりだ。あそこはもう、確実に行けるからね」

 眉をひそめた爺に向かって、ファフナは快活に告げた。「——ねぇ、クォムナ」

「なあに?」

 膝をついてもまだ高い所にある長兄の、引き締まった顔をクォムナは見上げた。その顔から生える、針金のようにピンと張った太い髭の輝きに、つい見とれてしまう。

「異世界線には、まだ分からない事がいっぱいあるんだ。その中には素敵な事もあるだろうし、もしかしたら良く無い事もあるかもしれない」

「そうなの?」

「そうさ。だから、油断はできない。父上も、あまり良い顔をしなかったよ。——でもね」

 ファフナはポン、とクォムナの頭に手を置き、「行ってみたいのさ、僕は。誰も知らない、見た事も無い世界が、あの異世界線の先にある。それを知っていて、じっとしているなんてできない。そうだろ?」

 クォムナは兄の言葉に何度も頷いた。

「ちょっと長くかかるかもしれないけど、必ずこの国に役立つ知識や、モノを得て帰って来るよ。だから、クォムナも待っていてくれ。お前さんがお嫁に行く迄には、帰ってきたいものだね」

「お嫁になんか行かないよ! あたしも大きくなったら、異世界線に乗るんだもの!」

「そうか。じゃあ、入れ違いにならないようにしないとな」

 鼻息荒く告げた妹の頭をもう一度撫でてファフナは立ち上がり、爺に言った。

「授業が終わったら、僕の部屋に来てくれるかい。色々と、相談したい事があるんだ」

「かしこまりました」

「邪魔して済まなかった。それじゃあ、授業の続きを——」

 と、ファフナは相変わらずの弟に眼を留めると、その机の端を掌でバン、と叩いた。

「うわぁっ! 御免なさい!」

 文字通りに椅子から飛び上がったイクスを見て、三人は思わず吹き出した。

「それじゃ。イクス、ちゃんと勉強するんだぞ」

 そう言うと、ファフナはその巨体から伸びる太い尾を揺らしつつ、部屋を出て行った。



 それから、十数年が経った——。



『駅』の周辺に、徐々に人が集まり始めていた。城の窓からは、眼下の人の動きがよく分かる。

 週に一度の、特別な日。深夜だというのに広場には煌々とかがり火が焚かれ、人の多さもあって、その賑わいは昼間以上といっても過言では無い。

「……そろそろね」

 クォムナは水時計を見て、独りごちた。

 と、広場からの鋭い笛の音が空気を裂いた。一度、二度、そして三度。

 砂漠の大海に、ぽつんと浮かんだ小島のような岩場。それが国の首都であった。「王都」と呼ぶにはあまりに小さな、砂漠の都。その岩をくり抜いて造られた城の窓から、クォムナは身を乗り出して北の方角に目をこらした。

 この日は月が出ていた。東から昇る蒼い月と、西から昇る白い月。その空に浮かぶ2つの月の丁度中間、月明かりに蒼白く浮かぶ砂丘の谷間。そこに小さく、明かりが見えた。かがり火のような揺らめきなど一切無い、一直線の白い光。

「来たぞぉっ!」

 家の屋上等に登って眺めていた者が叫びを上げると、人々が一斉に歓声を上げて『駅』へと詰寄る。予め周囲には武装した兵士が配置されているのだが、それでも皆、できるだけ近くでそれを見たいのだ。

 気がつけば砂漠には線路が敷かれ、駅を通過して更に先へと伸びている。そして――列車が、姿を現した。二枚窓の正面に、大きな一つ目のライト。この世界のどこにも存在しないであろう強い光が周囲を照らしながら、こちらへとやってくる。長方形の車体に光る窓の数々は、巨大な生物のような印象を与え、レールを鳴らすリズミカルな金属音は、人々の歓声が渦巻く中でもハッキリと聞こえて来る。

「――異世界線、か」

 歓声が、一際大きくなった。列車はスピードを緩め、『駅』の構内へゆっくりと滑り込んで行く。

 ——と、部屋の扉がノックされた。

「どなた?」

「俺だ。イクスだ」

「お兄様?」

「ちょっと、いいか」

「……どうぞ」

 扉が開いて、一匹——いや、一人の猫が姿を現した。大柄な体を少し屈めるように部屋に入って来たイクスは、後ろ手に扉を閉めてクォムナの側に寄った。無駄な肉が一切無い、引き締まった体。逆三角形に整った、美しい黄褐色の毛並みに包まれた顔。この兄妹に共通する端正な容姿は、国の外にまで伝わる程の評判であった。

「また、見ていたのか」

 イクスは窓の外を一瞥する。

「……ええ。何度見ても、飽きないわ」

「まぁ、我が国にとって、重要なのは確かだからな。色々な意味で」

 イクスはクォムナの正面の座椅子に身を投げ出すと、側の籠から果物をつまみ上げて口に運ぶ。「今日は、誰が出立するんだっけ」

「ザウェイロさん——だったかしら」

「ああ、あの商人な。当人は冒険家、なんて名乗っているそうだが」

 イクスは頭の後ろで手を組み、目を閉じる。その様子からクォムナは、兄が何か、意に沿わない役目を負ってここに来たのだろう事を察して、気が重くなった。それはつまり、クォムナにとっても良くない話しだろうから。

「——お父様が?」

 その問いにイクスはムッという言葉にならない声を吐き出す。

「いや……うん。まぁ、言われたから来ただけ、というワケじゃあない」

 改めて座り直して、イクスはクォムナの目を見る。「……考えを、変えるつもりは無いんだろう?」

「もう、決めた事だから」

 クォムナは軽く笑みを浮かべて言った。「私自身が、ね」

「全く——。お前が俺の兄貴だったらと、これまで何度思った事か。俺なんかよりずっと、王に相応しいと——」

「継承権第一位は、お兄様でしょう」

 その言葉にイクスは口を歪め、

「第二位、さ」

 立ち上がって、再び外を眺めた。「——本当に、兄貴がいてくれたらな」

 列車はまだ構内に止まっているようだ。群衆の動きが次第に進行方向へと流れて行く。

 現在の王、イヴロム3世は7人の子を授かったが、育ったのは3人だけだった。

「……大兄様が出立して、もう何年になるかしら」

「軽く、10年以上だな。——親父も、歳をとるワケだ」

 クォムナは、兄が異世界線で出立する前に交わした会話を思い出す。兄の言葉は自信に溢れ、その存在自体が希望だった。意気揚々と異世界線に乗り込み、旅立った兄。その後——行方は分かっていない。

「未だに、あれを見たくないって言うしな。ますます頑固に――というか、意固地になってきてる感じだよ」

「でもおかげで、異世界線の理解が進んだわ」

「確かに、な。兄貴の為の捜索隊が、結果として色々な国との繋がりとなって、通商国としてのこの国をさらに発展させた。親父だって、理解しているよ。でもやっぱり、憎いのさ」

 列車がパァン、と大きな警笛を鳴らし、群衆がどよめく。出発するのだろう。速度が上がって行くのが、歓声の大きさで分かる。

「——だからお前にも、乗って欲しくないんだろう」

「大兄様の時とは違うって、何度も説明しているのよ」

 クォムナは立ち上がり、窓を閉める。「ナビエルには行き方が確立されていて、重要な貿易相手の国じゃない。何の心配もいらないわ」

「ナビエルだけだったら、いいさ」

「——どういう意味?」

「兄貴だって、最初は交流のあるキヤマトに行った。その後、さらに異世界線を乗り継いで——行方が、分からなくなった」

 クォムナは口をつぐむ。

「無鉄砲な所があるからな、お前は。ナビエルからまたどこかへ——なんて、いかにもやりそうじゃないか。親父が心配しているのは、そういう事さ」

 イクスは黙って窓辺に立ち尽くす妹の眼を見た。

「兄貴を、捜しに行きたいんだろ」

 その言葉にクォムナは軽く笑みを浮かべた。

「……諦めてはいないわ。大兄様はきっと、どこかで生きてる」

「俺だって、そう信じてるさ」

「捜しに行きたい。ずっと、そう思ってるわ。——でも、信じて兄さん。今回の留学の件は、それとは別。私だって、王族の娘よ。国の為に何をするべきか位は、理解しているつもり」

 イクスは黙って妹の言葉を聞いていたが、ややあって口を開いた。

「ナビエル、か。……こことは時間の流れが違う、ってらしいけどな」

「みたいね。こちらの1年が、ナビエルだと2年近くにあたるとか……。でも文化が違えば使っている暦だって違うのだろうし、そういう事なんだと思うけど」

「3年の予定、だったか」

「ええ。たった3年で6年分の勉強ができるのなら、むしろお得だと思わない?」

「——お前は、兄貴に良く似ているよ」

 イクスはクォムナの言葉に苦笑しながら続けた。「頭が良くて、向上心が強く、探究心も、そして度胸もある」

 何より、眼だ。自分の決めた事に対して真っすぐに突き進もうとする強い意志を持った、眼の力。クォムナの眼からは、それが溢れていた。

「……あまり、褒められているようには聞こえないけど?」

「本心から言ってるさ」

 イクスは立ち上がり、入って来た扉へと足を向ける。「邪魔したな。おやすみ」

「——何か、お父様から伝言があったんじゃないの?」

 イクスは拍子抜けしたような様子の妹を振り返り、

「まぁとりあえず、もう一度、親父と話しをしてみろよ。今の感じなら、大丈夫だと思うぜ」

 そう言って、続けた。「黙って、居なくなったりはするなよ。——これは親父だけじゃなくて、俺からもお願いだ」

 じゃあ、と手を振ってイクスは部屋を出た。

 クォムナはしばらく扉を見つめていたが、やがてそっと息を吐いた。

 ——父にも兄にも、全て見透かされている。その予感は、おそらく間違っていないだろう。

 クォムナはポケットから取り出したそれを眺めた。白く艶やかに光る、小さな石板。そこにはこう書かれていた。

『相電異世界線乗車券 トロザカイ から ナビエル 行き』

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相模電気高速鉄道 異世界線 27時 健人 @kento78

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