3 愚者の英雄、リル・クレール

「思い立ったら即行動。それが鉄則。私は隠居することに決めたんだ。仕事はしない。それを邪魔するなら、たとえ世界を敵に回してでも、ノエル、あなたを始末する」


 ガチャンと砲口を向けながら、リルは危なげな目で言った。対し、ノエルは安穏と紅茶を飲んでいる。

 ジョルジュはリルが座っていた椅子に座り、ノエルと向き合っていた。


「リル、戦争なんかしている場合じゃありませんよ」

「いやいや、あのね、私、結構やばいこと言ってると思うんだけど。遊びましょーってノリじゃないからさ」


 背中にも機関銃を装備しており、戦闘態勢が十分であると見せつける。

 それでも二人は連れない態度だった。余裕の態度がなおのこと腹立たしい。


「本当に、本当にこの工房をふっ飛ばしてやるんだから」

「そんなことできやしないわ。あなたにとって工房ここは大事な家だもの」


 ノエルは冷たく言った。

 ぐうの音も出ないリル。渋々、肩に構えた大砲を下ろす。


「……ねぇ、リル。あなた、骨董機巧アンティークロボ一筋じゃない。機巧ロボが大好きな女の子でしょう。私はあなたが生まれた時から知っているのよ。そして、これからも。自分に嘘をつくのは良くないわ」


 ノエルの言葉に、リルはもう黙り込んでしまった。戦意喪失。意気消沈。口を解いた風船のように気持ちが収縮していく。

 すると、ジョルジュが二人の間に割って入った。


「――リル。あなた、『才能』が使えなくなったのですか」


 静かな問いに、リルは「え?」と拍子抜けしたように目を開かせる。その様子に、ノエルが「はぁー」と深い溜息を吐いた。


「どうやら気づいてなかったようね……では、まずは過去にかえってみましょうか」


 やれやれと首を振り、彼女は、胸にしまっていた逆向きの懐中時計パラドックス・モントール・ド・ポッシュを引っ張り出した。


 ***


 遡ること十四年前。

 この世界には「アンべシル」と呼ばれる特殊能力者が相次いで発生していた。後天的に能力が発生した者や、生まれた時に発生する者、先天的な遺伝として受け継ぐ者などがそれに当たる。

 リル・クレールの家は「アンべシル」が代々受け継がれてきた家系。その能力は無機物に命を与える。


「しかし、このように優れた者たちを『愚者アンべシル』と呼ぶのはどうかと思うがね。能力のない者にしろ、己にしろ。現代人はそろそろこの超常的能力に寛容な態度を見せるべきだ。そして、この素晴らしき能力を『才能』と呼ぶべきだ」


 いつからか、声高に世界へ意見したのは、予知の力を持つオーギュスト・ベルモンドであった。

 彼は、異空間管理者のノエルと手を組み、人類にとって住みよい世界をつくるべく、革命を起こす。

 そんなとき、白羽の矢が立ったのが遠い港に住む愚者一家の末裔、リルであった。


 ***


「――さて。こうしてリルの力を借りて、私たちは世界を相手に派手な大喧嘩をしたわけだけれど……秩序を正すべく、絶対的な勝利をおさめなくては、世界をつくることができないから」


 憂いげにノエルが言う。

 時計の針がひとりでに動き、部屋は一面、過去の記憶であふれかえり、目まぐるしく映像が巡っていく。

 やがて、針が止まった。色あせた部屋に、三つの影が浮かび上がる。それははっきりと人の形に変え、顔見知りの面となる。リルの脳内に記憶が段々と蘇ってきた。


「あぁ、この時のことはよく覚えてる。六歳になったばかりの夏、ベルモンドとノエルがここを訪ねてきた」

「そう。そして、私はも連れてきた。六歳の子どもじゃ機巧を作る手が足りないからと、ベルモンドの考えで急遽、を未来から呼んだ」


 二人のリルは世界の秩序を正すべく、たくさんの機巧を造った。

「これは革命なのだよ」とベルモンドは楽しげに言っていたが、世界は混乱と混沌に色を変えていた。能力を持たない人間と能力を持つアンべシルの壁はとても分厚かったものだから、破壊することが目的だった。

 そうして、二人のリルが造った骨董機巧は戦闘機巧として、壁を破壊するに至ったわけだが――


「その際、たくさんの機巧が死んでしまったわ。おかげで人間を一人も死なせずに済んだのだけれど。そして、虐げられていたアンべシルたちはリルを『英雄』にした」


 ノエルは言いながら、リルではなくジョルジュを見上げた。

 彼は眉一つ動かさず、ノエルを見る。二人が交わす視線に、リルはハッと息を飲んだ。


「そうだ……ジョーも死んでしまったんだ……」


 記憶の泡が順序よく並んでいく。混在していた記憶がどうやら正しさを取り戻したらしい。

 ノエルが重々しく頷く。


「六歳のリルと二十歳のリルは、ジョルジュの修理を行うために二人で生活することになった。子どものリル一人では修理できないほど、ジョルジュの造りは精密で複雑だったから――ここで、私は未来を危ぶんだわ。えぇ、リルの未来よ。あなた自身に矛盾パラドックスが生じるというものよ」

「矛盾?」


 リルは首をかしげた。そして、傍らのジョルジュを見やる。彼はやはり冷めた顔で黙っている。

 すると、ノエルが目を伏せた。


「同一の人物は世界に一人だけしか存在を許されない。でも、六歳のリルも二十歳のリルも同じ世界で存在することを選んだ。ジョルジュを助けるためにね。これが現在イマという状況を生み出している。一時的ならまだしも、長い間、同じ世界に居続ければ矛盾が生じるものだから」


 声には悲壮が漂うが、言葉はどうにも批判的だった。それがジョルジュの口を開かせる。


「では、私が死ねばよかったと」

「そうは言ってないでしょう。でも、まぁ……ジョルジュを助けるという選択をした時点で、そうなってしまう未来だったのよ」


 ノエルは懐中時計をパチンと閉じた。瞬間、辺りにあふれていた過去の記憶が収縮し、部屋は柔らかな木材の質感を取り戻す。

 ふぅ、と一息つき、ノエルは小さな唇を動かした。


「そうなってしまう未来だったけれど、リルの世界にジョルジュは必要不可欠だったから、この選択は間違いではないのよ。ただし、意識がようやく統合されたリルの体と脳は一時的に故障バグを起こしている。過去と現在の記憶が混沌し、才能が使えなくなったというわけ」


 過去を知り、未来を知り、現在を正す時の女神がはっきりと言うのだから間違いないのだろう。

 リルは自分の手のひらを見、全身を調べるように触れた。

 いつの間にか統合されていたから、はっきりとは思い出せない。しかし、どちらのリルも今は過去のもの。

 彼女は黙って工房へ向かった。そして、造りかけの骨董機巧にキスをする。

 リルの才能は「息吹」によって命を与えるのだ。しかし、機巧の目は虚ろのままで、どんなに待っても動くことはない。


「そっか……私の才能、消えちゃったんだ」


 動かぬ機巧は人形のようだ。


「いや、心のどっかでは分かってたんだよね……あぁ、機巧が動かないってだけで、こんなに寂しくなるとは思わなかったよ」

「……だから、辞めようと言ったんですか」


 背後からジョルジュが顔を覗かせる。リルはその顔を見ることが出来なかった。俯いたままで頷く。


「あぁ、もう、パパが死んだときくらいにショックだわー」


 軽い口調。そうでもしなくては事実の重みに耐えられない。

 そんな彼女の頭に、固い金属の手が乗せられる。ジョルジュが不器用に慰めた。


「えーっと……感傷に浸っているところ悪いけれど」


 ノエルが咳払いしながら工房に入ってきた。


「何もこれからずっとではないわ。一時的だと言ったじゃない」

「え?」


 目をうるませたリルはパッと顔を上げる。

 ノエルが呆れた顔を向けていた。


「今はただ不安定なだけ。スランプよ。まったく、才能がない者にあんな大量の注文リストを渡すわけないでしょう。そんな無駄なことしないわ。馬鹿ね」

「……ということは、つまり、リルの才能は戻ると?」


 ジョルジュが不審そうに訊く。ノエルは「そうよ」とあっさり返した。一方、リルは二人を交互に見やり、口をあんぐり開けた。


「マジで!?」

「えぇ。あなたは貴重な技師。世界をつくるにはすべてが必要なのだから、あなたの才能もジョルジュの存在も必要。それが私のつくった世界なのよ」


 ノエルは厳かに両手を広げた。そして、白いまつ毛をしばたたかせる。

 ボロボロと涙を落とすリルに驚いたようだ。


「あらあら、もう……やっぱり、あなたは才能も機巧も愛していたんじゃない」


 呆れた言葉には、非情なノエルにしては珍しく、柔らかに穏やかだった。

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