英雄機巧技師は隠居したい

1 骨董機巧技師と辣腕執事

 思い立ったら即行動。それが鉄則である。

 リルは工房に散らかった歯車や貴金属、工具を蹴飛ばして、隣接する居間へ入った。


「今日の仕事はもう終わりですか、リル」


 問うのは、高身長で神経質そうな眼鏡の男。機械的な言葉だが、彼はそもそも骨董機巧アンティークロボなので機械的なことには違いない。

 リルは持っていた工具を、分厚いログテーブルに置いた。そして、そっけなく言う。


「やめた」

「そうですか。では、お茶を入れましょう」

「いや、いい。それよりも大事な話がある」


 骨董機巧のジョルジュは首をかしげた。その際、いつもきちんと整えてある髪の毛からぴょこんと一束飛び出す。それをリルが撫で付けようと手を伸ばし、彼を椅子に座らせた。


「それで、話……とは?」


 不審にジョルジュが問う。

 髪の毛を撫でるリルは、気まずそうな顔だった。かぶっていたカバー付き防塵マスクをテーブルに置き、長い黒髪を後ろへ払う。

 そして、きりっと眉を立たせて言った。


「うん。私、隠居する」

「は?」

「だから、隠居するんだって。私」

「それは今しがた聞きました……が、なぜです?」


 突然の隠居宣言には、完全無欠な骨董機巧も戸惑うものらしい。突拍子もないリルの発言に呆れを表す。

 リルは「こほん」と咳払いし、腕につけていた手袋を取った。さらに、肩からかけていた工具ベルトも外しにかかる。寝るとき以外は肌身離さずにいるのに。

 彼女は厳かに、慎重な声を出した。


「あのね、私はそろそろ休んでもいいと思うんだ」

「はぁ。まぁ、休みなく働いてますしね。機巧わたしたちよりも」

「そう、働きすぎなんだ。毎日毎日、工房にこもって機巧ロボとにらめっこ。友達と言えば、ジョー、あなただけ」

「友達ではありません。主人と執事。それだけの関係です」


 すぐさまジョルジュは突き放した。しかし、リルは聞いちゃいない。


「ジョーと二人きりの生活。もう二十年にもなる。いやあ、長かったなぁ」

「何をとぼけたことを。二人きりじゃなく、つい最近までだったでしょう」

「まぁ、この暮らしもいいものさ。でもね、それだけじゃあダメなんだよ」

「はぁ……」


 話が噛み合わない。ジョルジュはもう言葉を諦めたようで、眉間をつまんで項垂れた。自分の言語能力に自信を失ったことがしばしばあったが、おそらく言語に加えて対話能力まで低いのはリルの方である。

 黙るジョルジュに、リルはニヒルな笑いを向けた。


「要するに、私は仕事をやめるんだ。もうしない。塔から注文がきても、ノエルから時計の修理を依頼されてももう知らない。受け付けない。以上!」

「それは無理な話ですね」


 ジョルジュは甲冑腕にはめ込まれた予報時計を見やった。そして、居間に置いてある角ばった金属の、正確時計も見やる。現時刻は、十二時二十三分五十六秒三五。

 一方、予報時計は十三時〇分〇〇秒〇〇。ターコイズの盤に、ノエルの名が浮かび上がっていた。


「十三時きっかりにノエルが来ます。お茶会がてら、仕事の依頼をしにくるのでしょう」

「断る」


 リルも間髪を入れずに返した。こうなったら頑固なリルだ。

 彼女は腕を組んで、ブーツで隠した足をログテーブルに投げ出した。ふんぞり返っている。


「絶対にやるもんか」

「ですから、なぜ急に仕事をやめることにしたんですか」


 骨董機巧一筋のリルだった。ジョルジュが不思議がるのも仕方がない。

 しかし、これには彼女自身もなんと言葉で表せばいいのか皆目分からないのである。しばらく考えた後、リルはゆったりと吐いた。


「……仕事に飽きたから、かなぁ?」

「なぜ疑問系」


 極めて的確なツッコミである。

 リルは口ごもった。


「特に理由もなく休みたいと仰るのは、無責任ではありませんか」

「うるさい! やめるっつったらやめるんだ! 主人に向かって口答えとは無礼極まりない!」


 さっきは「友達」だと言っていたのに、都合が悪くなれば主人気取りである。

 ジョルジュは眉を寄せて「申し訳ありません」と感情のない声を出した。


「やめてよ、まるで機巧みたいじゃないの」

「えぇ、私は骨董機巧ですから」


 それはそうなのだが。

 なんとも返せず、リルは不機嫌に頬を膨らませた。

 機巧技師としての主な仕事は、クロノ都市街の一つ、12番街の工場で働く機巧の世話、都市管理局のシステム調整、中央塔の大時計の世話などなど。あとは新作機巧を開発したり、1番街の大学や都市外への機巧輸入など、注文があれば受け付ける。


「あー……思えばものすごく忙しいことしてたな……」


 仕事の一つ一つは特に覚えていられないが、ひとたび工房を出て作業をやめれば、ぽこぽこと記憶の泡が脳内に膨らんだ。


「でも、今まではさ、私の作業はから難なく捗っていたんだろうね」


 リルは思い出したように言った。その言葉に、ジョルジュの眉が動く。


「つい最近までそうだったのに、忘れていたんですか」

「なんで忘れてたんだろう……あまりにも自然なことだったから、うっかりしてたよ」


 リルは苦々しく言った。


「妙な話ですね。人間は記憶力が悪い生き物ですが、リルの場合はひどすぎる……急に仕事を辞めると言うし……あぁ、もしかして、一人になったことが原因なのですか」


 彼のコンピューターの方が回転が速かった。ジョルジュの指摘に、リルは「あっ」と手を打つ。


「そうかもしれない!」

「ふむ。それは困りましたね」


 ジョルジュは顎に手を当てて困った素振りを見せる。


「何せ、リルはもうですし……私としては呼び名に困らなくて済むのですが……」

「おいおい、失礼なことを言うね。私は私であって、あの子でもあるんだけれど」

「先程まで忘れていたくせに」


 意地悪な言動だが、相手は機巧なので仕方ない。

 何も返せずにいると、ジョルジュは自動的かつ義務的に予報時計を再び見やった。


「あと数分――六分三〇秒ほどでノエルが来ます。その時に相談されてはいかがですか」

「相談?」

「はい。元はと言えば、あの革命でリルののですから、アフターケアをお願いしましょう。なんなら人員も増やしてもらいましょう」


 その淡々とした提案に、リルはなんとなく頷いた。そして、首をかしげる。

 アフターケアや増員なんかされては、やはり仕事をしなくてはいけないじゃないか。これじゃあ隠居も遠のいてしまう。そのためには、今から来るであろうノエルを追い払うことが先決。

 しかし、相手は異界すべてを操る者。しかも都市創設者であり、中央管理局長。過去、現在、未来すべてを知っている無敵の存在。非常であり非情な時の神クロノスだ。

 機巧と武器を使ったとしても太刀打ちできるか――いや、やらねば隠居生活は訪れない……


「よし、テロを起こそう」


 リルは固く組んでいた腕をほどき、「名案」とばかりに太ももをパーンと叩いた。

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