第28話:ジェニーの失踪、再び

【16:20 クロノ・ヴィル中央街、塔管理部】

 入り口がどこにあるのか分からない、継ぎ目のないメタルの壁はどんなに押しても引いても蹴っても叩いてもびくともしない。塔へ辿り着いたはいいものの、グレーズは何故か全身に疲労を感じた。

 今までで息が上がるような運動は一度もない。いや、一度はあるはずだが。ともかく、グレーズは「ふぅ」と息をついて入り口のない塔を見上げた。アリスを見ると、彼女も鼻の調子が悪い(いつもだが)のかスンスンと何かを嗅ぐように大きく鼻をきかす。


「グレーズ、多分、ここから入れるわ」


 まさか、嗅覚だけで入り口を探り当てたのか。アリスは冷たい壁をコツコツと叩いた。


「え、そこから入るの?」


 ペタペタと壁を触ってみたが、抜けられる箇所はない。

 だが、アリスは首を横へぶんぶん振った。ついでに、彼女の豊満な胸も左右に揺れる。


「違う違う。もうすぐ誰かが通るみたいだから待っていようと思うの」


「あぁ、そゆこと。りょーかい」


 言うや否や、アリスがグレーズの襟首を掴む。


「来た!」


 二人はサッと影に隠れた。

 継ぎ目のない塔の壁に亀裂のようなものが走り、人を模した形で壁に穴が空く。

 そこから出てきたのは……


「あら、なぁんだ。コゼットじゃないの」


 アリスが安堵の息を吐く。彼女の胸の下ではグレーズもホッと安心していた。


「それで、連絡を受けて来たのだけれど、アイオライトは?」


 訊くも、コゼットは冷たい表情で踵を返す。

 彼女は一言も発することなく、塔の入り口へ二人を促した。


「……彼女、仕事スイッチが入るとああなのよね」


 アリスはやれやれと溜息をついた。



 長い長い廊下は暗く、寒々しい。どこまでも続く道に終わりが見えず、グレーズはドキドキと胸を鳴らした。

 塔には入ったことがない。都市で一番偉い場所、という空気を感じてしまい、変に緊張する。


 一方でアリスは楽しげに鼻歌を鳴らしていたが、段々と鼻の調子が悪くなっていくようでくしゃみが合間に挟まっていた。

 鼻歌、くしゃみ、鼻歌、くしゃみ、鼻歌、くしゃみ、くしゃみ、くしゃみ……


「ふぇっ……ぇっっくしょーーーん!! あぁ……ちょっと、なんだか、むずむず……ふぁっ、んんっ……っくしょうん!?」


「アリス、大丈夫?」


「えぇ、ぇっく、うっ、ん、はわぁっ……くしょん」


 大丈夫じゃなさそうだ。


「ねぇ、コゼット。どこまで行くの?」


 アリスの鼻が大事になる前に脱出したい。アイオライトを取り戻したら、アヴァールのアジトへ向かえばいい。

 グレーズはコゼットのスーツを引っ張って、顔を覗き込もうと背伸びした。途端、彼女は翻ってグレーズの目から逃れる。


「仕事スイッチ、こわっ」


「いいえ……それ、仕事スイッチじゃないわ……んっ、うっ、く……く、くしゃん!」


 アリスは段々と息も絶え絶えになってきた。そして、とうとうその場で座り込んでしまった。


「アリス!」


「くしゅんっ……グレーズ、逃げましょ、へっぶし」


「え?」


 その場に止まった二人の前で、コゼットが無表情に見下ろす。それを睨みながら、アリスは途切れ途切れに言った。


「私たち、っくしゅ……騙された、ようね……グレーズ、はっ、ぷしゅん! 私、もう……ダメ」


 くしゃみが止まらない。彼女の鼻はもう真っ赤だ。壁にもたれかかり、アリスは涙目でグレーズを見る。一体、どうしてしまったのか。

 困惑するうちに、アリスは意識を手放した。


「アリス! ねぇ、どうしたの! アリス!!」


 グレーズは必死に呼んだ。頬を叩き、胸を叩き、肩を揺らすも返事はない。すると、背後に威圧的な何かを感じた。


「おっと。ここでダウンかぁ……ちょっと刺激が強すぎたかな?」


 振り返ると、そこにはコゼットがいる。しかし、違うものだということは分かる。

 は、アリスを軽々抱え上げた。


 その瞬間。


 パチン!


 指が鳴る音が響き渡り、みるみるうちに辺りは開けた大きな空間へと変わった。長い廊下だと思っていた場所が溶けるように姿を変えて、モニターが集まる広い部屋となる。

 コゼットと思っていた人物は、くるりと翻るように回転すると、背の高い男へと変貌した。その背後にはコゼットが眠っている。


「Bienvenue à la jeune filleようこそ、お嬢さん! 我が砦へ」


 目元は前髪に隠れたまま、不気味に微笑む男。

 グレーズは、思わず後ろへ仰け反った。


「よぉ、グレーズ。久しぶりだねぇ。元気してた?」


 この軽快な口調には覚えがある。嫌悪を抱くほど、憎たらしい。

 グレーズはすぐさま飛びかかった。手を伸ばす。男の頭を掴もうと――



((動くな))



 飛んだ拍子に、声が響き渡った。

 その声には

 グレーズはバランスを崩し、床へと落ちた。叩きつけられるように落ちてしまった。

 すぐに顔を上げて立ち上がり、前を見れば、男の近くに小柄な少女がニヤニヤと意地悪そうな笑みを向けている。


((動くなよ、グレーズ))


 のせいで動きが封じられたのだ。


 そうして、危なげな少女は「エディと取り替えっこしよう」と持ちかけてきた。

 取り替えたところで、無事に返してくれそうな保証はない。そんな企みをたっぷりと顔に浮かべている。


 グレーズは痛む腕をさすりながら、アイオライトをポケットに仕舞った。

 コゼットとアリスも気になるが、男の持っているテディベアも気がかりだ。全てを人質に取られている。

 絶体絶命。動けば誰かが死ぬかもしれない。万全ならまだしも、何故か身体が気怠く重たい。もしかすると、アリスもそのせいで倒れたのかもしれない。

 とてもじゃないが、不利だ。


((バァァァァーーーーーンッッ!))


 唐突に、少女の口から銃弾の音が放たれた。


「ぷっ……キャハハハハハッ! おっもしろーい! グレーズ、あんたほんといい表情をしてくれるねぇ」


 彼女はケタケタと笑い、面白そうに腹を抱えた。

 声を自在に操る才能か。あまりにも本物同然だったので、息を止めた。冷や汗が吹き出し、指先が僅かに震えている。


「あっらぁ、ちょっとやりすぎ? でもねぇ、これくらいで済むとは思うなよ。あたし、あんたのこと大っ嫌いだからさ、もうちょっと遊んでくれないかな?」


――エディが来るまで。


 耳元をくすぐる囁きは、悪意に満ちていた。


***


【16:23 6番街、紫陽花通り】

 完全自動運転モードを解除していたせいで警部の才能が最大に発現したのだろう。

 車は宙へと舞い、少女の頭上を飛び越えた。地上へ降り立つや否や、キュルキュルと固いタイヤが甲高い唸りを立てる。


「いっ……てぇ……」


 思い切り天井に頭をぶつけたエディは痛みに呻きながら警部を睨んだ。


「おっまえ……あぶねーだろ! ちゃんと危険感知しろよ!」


「感知したからこうなったんだ。子供と俺は無事だぞ」


「俺が無事じゃねーんだよ!」


「何故、君にまで配慮しなけりゃならん」


 警部は車を停止させ、ドアを開け放った。宙を飛んだ車に怯える少女の元へ向かう。

 エディも頭を抑えながら車を降りた。


「君、大丈夫か」


 警部の声に、少女はあわあわと口を開けたままで腰を抜かしている。その子供に見覚えがあるエディは警部を払い除けて彼女の前に出た。


「ごめんな、アンリエッタ。このポンコツのせいで……怪我はない?」


 背後で警部が渋い顔をしたが無視する。

 アンリエッタはエディの姿を捉えると、その大きなくるみの目から涙をこぼした。


「エディー……」


「よしよし。怖かったね」


 そう言って頭を撫でてやると、彼女は安堵したのかぐすぐすと泣き始めた。エディにとびつき、しゃくりあげる。

 エディは振り返ると、じっとりと警部を睨んだ。


「警部、謝って」


「も、申し訳ありませんでした」


 さすがに子供を盾にされたら警部も大人しくなるのだろう。素直に頭を下げたが、アンリエッタはしきりに首を横に振った。


「ううん、さっきのはいいの。すごくびっくりしたけれど、いいの」


 許しが出たようで何よりだ。警部は胸をホッと撫で下ろす。しかし、アンリエッタは未だ泣きやまない。


「そんなことよりもぉぉぉ……うえぇぇぇぇん……」


 滝のように流れる涙。それが全部エディの服に染み渡る。


「アンリエッタ……あの、何かあったのか」


 あまりにも泣くのでエディは彼女を僅かに引き剥がした。

 涙でぐしゃぐしゃになった少女の頬は真っ赤で、恐らく見つける前から泣いていたのだろう。


「あ、あの、ね……ヒック、じぇ、ジェニーがね、うぅぅ……うわあぁぁぁぁぁん」


 エディと警部は途方に暮れた。だが、根気よく待ってみる。

 アンリエッタはひとしきり泣くと、ぐすぐすと鼻をすすりながら言った。


「うぅぅ……ジェニーがまた盗まれちゃったの……」


「またか!?」


 エディは思わず声を上げた。

 後ろでは警部が「ジェニー?」と首を傾げているが無視する。


「エディ……ジェニーを見つけて。お金は、今、あんまりないけど、お願い……!」


 ふっさりとした栗毛が揺れ、彼女は頭を下げた。そんな必死な彼女には悪いが、エディは思わず笑ってしまう。


「さすがに金は取れないな……いいよ。その代わり、グレーズとデートしてあげて」


「うん……する。絶対」


「OK。ちょっと待ってろ」


 エディは落ちてきた眼鏡を掛け直し、目を瞑った。

 意識を全部、ジェニーへと傾ける。


 6番街を抜ける。5番街も。4番街、3番街……目まぐるしく動く人の群れを掻き分け、雑音を跳ね飛ばし、探る。

 どこだ、どこにいる。あのクマのぬいぐるみは、どこへ――


 バァァァァーーーーーンッッ!


 唐突に耳の奥へ銃弾が走った。思わず目を開く。

 耳を突き抜けるような感覚に驚いたが、あれはただの音だった。

 もう一度、その音が鳴った場所へ潜り込んでみる。


 すると、そこは高い塔の中――クマのぬいぐるみが誰かの手に抱かれている。

 それは……


「――マックス、か」


 苦々しげに呟くと、エディは顔をしかめた。すぐさま立ち上がり、アンリエッタの頭に手を置く。


「必ず、取り戻してくるよ」


「うん。信じてるから」


 涙を拭い、アンリエッタはエディを見上げる。

 その視線には努めて笑みを向けていたが、踵を返した途端、彼の顔は険しくなる。


「警部、作戦変更だ」


 ぶっきらぼうに言うと、警部は眉を寄せた。


「今、奴らはアジトにはいない。塔にいるらしい」


「それじゃあ、塔に今直ぐ……」


「いや」


 言葉を遮り、エディは片眉をくいっと上げる。ニヒルに笑った。


「その前に、仕返しだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る