第27話:裏切りのエディ

【15:56 4番街、レグルス探偵事務所】


 渇いた笑い声が漏れる。エディは顔を俯けて、口元を抑え、肩を震わせる。

 警部は怪訝な顔をさせた。


「俺が、あいつらをかばう? 馬鹿言うなよ警部。俺がいつそんなことしたよ。ちゃんと証言だってした。それなのに、あんたらはいつまで経っても捕まえられねー。何してんの? マジで」


「……あいつらは隠れるのが上手いからな」


 警部が苦々しく言う。

 エディは階段の手すりにもたれた。


「そういう才能だからなぁ」


 そして、ズボンのポケットから煙草を取り出す。


「……やめたんじゃなかったのか」


 口にくわえて煙をくゆらせるエディに警部が静かに訊く。うるさそうに耳を押さえながら。

 エディは鼻で笑い、手のひらを振った。


「ああ、グレーズの前じゃ吸わないだけ」


「出来れば俺の前でもやめて欲しいんだがな。耳鳴りが酷くなる。火気厳禁だ」


 それは警部だけの問題なので無視しよう。


 すると、突然に玄関が大きく開いた。


「警部! あの、たった今、コゼットから連絡がきて……アイオライトが届いたそうです」


 アリスがせきを切って話す。慌てたように携帯端末を耳に当てたまま。


「何だと!? 本当か!」


「はい! あと、なんか『4番街のアンベシル』って文字もあったようで……」


 その言葉を聞いてエディはいたずらに笑うと、煙を吐きながら言った。


「よーし、調子戻ってきたぞ、警部。それじゃあまあ、反撃開始といこうか」


 ***


【同刻 9番街、クロノ都市博物館】


『彼は、確かに罪人だ。しかし、被害者でもある。時代というのはいつだって不条理なものだからね……運が悪かった、なんて当事者にしてみれば納得がいかない。そうだろう?』


「………」


『かくいう私も、昔は苦悩することばかりだった。君だってそうだろう? 今では人々が共存しあって生きているし、差別なんてものも存在しない。平和だね、実に平和で良い世界だ』


 ベルモンド教授から送られる言葉はなんとも皮肉じみている。


『その平和を良しとしない、いわゆる……恨みを持った者もいるということで、アヴァールは実に執念深い。エドガーもそうだったはずなんだ。そんな彼がどうしてああなったのか。人は更生と言うがそうじゃない。ただ、大人しくなっただけで、エドガーという人間は何も変わらない』


「………」


『おや、アレクサンドラ。なんだか随分と静かだね。眠ってしまったのかい?』


『いや……聞いているが……その話、どうにも私は腑に落ちないのだが』


『む? なんだろう?』


 アレクサンドラは眉間にシワを寄せた。


『どんな重罪を犯したのかとあれこれ深刻に考えていたのに……蓋を開けてみたら、取り立ててそんなことないし、ただコーヒー豆を盗んだってだけで大袈裟な……』


『大袈裟なものか。盗みは盗みだろう。それ以外にも機械をいじって破壊、公衆トイレの水を詰まらせたり、ゴミを空から放ったり……』


『まぁ……当時は才能を使った迷惑行為は重罪だったからな……運が悪かったとしか言えないぞ、私は』


 彼女は呆れの溜息を盛大に吐き出した。しかし、それはベルモンド教授にまでは届かない。


『時とは残酷な生き物だよ。今だけは笑い話でも恥ずかしい黒歴史でもいいかもしれない。でも、前はそうじゃなかった。彼らなりに真剣に抗っていた。そんな歴史を経て今があるのだよ』


 簡単には済まない話である。


 それは、確かに……


『そうかも、しれないな』


 ***


【16:02 4番街、リラ大通り】


「あ! ほんとだー! タイトルまで盗まれてる!」


 空を見上げて言うグレーズの声に、皆は首を傾げた。


「タイトル……?」


「うん。だからコゼットのとこに届いたんじゃない?」


「………」


 アリスは困ったように眉を下げる。


「………」


 警部は不機嫌そうに眉間が険しくなる。


「………」


 エディは腕を組んで溜息を吐いた。


「誰か……分かるように通訳してくれ」


「あー、警部には分からないだろうね! まぁいいや!」


 グレーズは楽観に言った。納得がいかない警部だが、とにかく黙ることにしておいた。


「それじゃあ、二手に分かれようか」


「二手?」


 エディの提案に、アリスが反応する。自称花粉症の彼女は鼻を抑えていたので、詰まったような声だった。


「あぁ。コゼットのところに行く方と、奴らのアジトに行く方。全員一緒に行動していると埒が明かない。さっさと終わらそうぜ、この事件」


「OK! んじゃー、くじ引きしよう!」


 どこから持ってきたのか、グレーズは小枝を四本掲げた。随分と用意がいい。


「くじ?」


「そ! くじ引こう! 先っぽが削れてるのが二本あるからね!」


 用意が良すぎる。

 エディは呆れながらも先にくじを引いた。続いてアリス、警部が引く。


「あれっ? 僕まだ引いてない!」


 最後に残った枝を持って、グレーズは喚いた。それを適当にあしらい、エディは小枝の先をじっと見る。削れていた。


「俺のは削れているぞ」


「私は削れてなーい」


 警部とアリスの結果に、エディは頭を抱えた。一方、この結果に満足そうなアリスがグレーズを引き寄せながら言う。


「うふふ。それじゃあ警部とエディのペア。私とグレーズのペアね♥ 丁度いい組合せだわ〜」


「どこが!?」


 エディと警部は不満あらわに叫んだ。


「さ、グレーズ。私たちは塔に向かいましょう!」


「ランデブーだ!」


「いえす! ランデブー!」


 グレーズはアリスをお姫様抱っこした。


「それじゃあ、そっちは頼んだよ、エディ! 僕とアリスはランデブーに行ってくる!」


 そう言うなり、グレーズは意気揚々と地面を蹴った。「ふぅぅぅーっ!」と楽しげな歓声が遠のいていく。

 残された二人は、それをただ呆然と見送った。


 ***


【16:22 6番街、紫陽花通り】


「アヴァールのうち、一人はマクシム・ジルベルスタイン。こいつは変幻の才能。もう一人、女の方はヴェロニカ・ドーファン。こいつは変声の才能」


「奴らの素性が分かっているのは、今のところはそれだけだな」


 車内にて。警部の運転操作するその助手席で、エディはふんぞり返るように座っていた。

 警部の危険感知が働いてしまい、何度か迂回しかけた後である。言い合いにももう疲れていた。


「何せ、この証言をしたのは俺だからな。まったく、あれから何年経ってんだよ」


「3年くらい、か……」


 警部がしみじみと言う。すかさずエディは眉をひそめた。

 皮肉が通じないのはグレーズだけでなく警部こっちもか。


「でもまぁ……あいつらは俺よりも上手くやるからなぁ……」


 未だに捕まらないのは彼らの才能のせいだろう。エディはぼんやりと窓の外を見た。


 道の脇には紫の群れが一直線に並んでいる。洒落た質素なモニュメントがあちこちに見えた。この静かな高級住宅地、6番街に来たのは出発前に目星をつけたことによる。


 エディはフロントガラスに映る光のナビゲーションに目を向けた。

 目的地はアヴァールのアジト。それはどうやら住宅の隅にある小さな倉庫だという。

 エディはおもむろに端末をコートのポケットから取り出した。そして、登録された番号に電話を入れる。


「……あ、もしもし、ジゼル? あいつらの今のアジトってさ、小さな小屋みたいな倉庫で合ってるんだよな?」


 相手はオーリック運送の社長、ジゼルである。彼女は電話の向こうで寝ぼけたような大あくびをしながら答えた。


『あぁ、うん。そうらしい。まったく、小洒落た場所に拠点を置くなんざ、さすがというか、なんというか』


「派手好きなあいつらだからなぁ……分かった。ありがとう」


 その確認だけだったが、電話の向こうでジゼルは慌てたように『あぁ、ちょい待ち』と引き止めてくる。


『言いにくい相談なんだけど……あたしがあいつらを売ったってことは……』


 ジゼルは言いにくそうに押し黙った。エディもしばらく黙り込む。それを警部は横目でちらりと見た。


「いいよ。分かった」


 程なくして彼は答えを出した。


「て言うか、今回はどうも俺が狙いらしいから、ジゼルは関係ないよ」


『悪いね……あたしも、今はあの子たちで手一杯でさ。この埋め合わせは必ず』


「はいはい」


 エディは素早く通話を切った。そして何事もないように平然とした顔で前を向く。


「やれやれ。まったく、とんだ災難だな……お騒がせのせいで次々と黒歴史が暴かれていく。何かの陰謀のように思えるよ」


 警部の言葉に、エディは苦笑を漏らした。


 その時、赤いクラシカルな、小さなワンピースが二人の目に留まった。




 ***


【同刻 クロノ・ヴィル中央街、塔管理部】


 グレーズは固まっていた。動くことが出来なかった。



((動くなよ、グレーズ))



 のせいで動きが封じられた。



((動けば、どうなるかなんて、いくら馬鹿のお前でも分かるよな?))



 碧の両眼に映るのは、背の高い優男風の彼にもたれかかるコゼット。その足元では意識を失ったアリスが転がっている。

 そんな彼女らに銃口を向けるのは、あぐらをかいて楽しげに笑う少女。


 ニヤリとつり上がったその口から、一体どうして、が出てくるのだろう。


「アイオライトとこいつは返すよ」


 今度は彼女本来の高い声が飛び出した。

 なめらかな床を滑ってプレゼントボックスがグレーズの足元に来る。それをそろそろと受け取れば、中にはアイオライトとばらけた文字が。


「二人も、返して」


 強張った、かたい声で負けじと言ってみる。


 途端、カチャリ――不気味な金属音が耳を抜けた。

 背筋にぞわりと寒気が走っていく。


「なぁに寝ぼけたこと言ってんの。やっぱりお前は馬鹿だね、マティルダ・グレーズ」


 じっとりとした黒い瞳に睨まれる。

 その背後では背の高い男が見覚えのあるテディベアを抱えて肩をすくめていた。


「ニーカ、ちょっと……」


「マックスは黙ってて」


「はい……」


 向こうも向こうで何やら揉めているらしいが、ここで茶化す勇気はまったくないグレーズである。アリスとコゼットの様子が気にかかる。


「どうしたら、返してくれる?」


 訊いてみると、黒眼の少女は「おやぁ?」と間の抜けた声を上げた。


「そうだねぇ……」


 わざとらしい逡巡。

 やがて、にんまりと目元を細めて笑う。


「あぁ、そうだ。エディを返してよ。取り替えっこしよう」


 彼女の、大振りなイヤリングが危ない光を放った。

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