第26話:犯人は現場に戻らない
「……グレーズ」
静まり返った館内で、最初に声を上げたのはエディだった。ガラスケースを恨めしく睨みつけて言う。
「ぶっ壊せ!!」
「ラジャーッ!!」
グレーズはすぐさま飛び上がると、かかとから思い切りガラスケースに突っ込んだ。
甲高い爆破音。華奢な破壊音。全てが一気に轟く。粉砕されたガラスケースが散り散りになり、空中を漂ってキラキラと瞬く。
それを、警部、アリス、アレクサンドラは唖然と見ていた。
グレーズは怒りを込めるように、床へと降り立つ。
「ほんと、しつれーなヤツら……エディがもう戻るわけないじゃんねぇ、ばっかじゃねーの!」
グレーズはガラス片を踏みつけた。
「大体、みんな知ってるし! エディが泥棒だったの知ってるし! なんなの、嫌がらせ!? 黒歴史暴露大会なの!?」
「ちょ、グレーズ、そこまで言ったら本当に黒歴史になるから……」
慌てて言ったのはアリスだった。
「でもさ! そう思わない? ほんとムカつくんだけど!」
「まぁ、思うけど……ほら、口に出していいことと悪いことが、ね、あるから」
アリスはエディをそろりと見やった。グレーズもつられて彼を振り返る。
「ほら、すごーく気にしてるわ」
エディは遠くの壁に額をくっつけていた。それはなんだか、いじけるように。
「黒歴史……なるほどな。あれはそういうくくりになるのか」
警部までもがしみじみと言う。それがトドメとなったらしく、エディはもう隅っこで座り込んでしまった。情けない。
そんな彼にグレーズは思い切り指を突きつける。
「おおおい!! エディ! エドガー・レヴィ! てめー、さっきまでの勢いはどうしたんだよ!」
「そうだぞ、エドガー。お前、アイオライトを取り戻すとか意気込んでいたじゃないか!」
警部も便乗するが、誰のせいでふさぎ込んだと思っているのだろうか。
グレーズがどんなに彼のコートを引っ張ろうとも、動きはするものの暗雲までは消えない。じっとりとやる気のない目を遠くに向けている。
「……まぁ、エドガーが昔何をしていたかなんてこの際どうでもいい」
黙っていたアレクサンドラがようやく静かに口を開いた。
「盗まれたアイオライトが
「あ……ごめんなさい……」
怒りにまかせて壊してしまったガラスケースは、今や原型を保てていない。グレーズは気まずい表情を浮かべた。
しかし、アレクサンドラは気に留めずにパンっと手のひらを合わせるように叩いた。高い天井に音がこだます。
「いいか、諸君。遊びはここまでだ。さっさとこの馬鹿げた騒ぎをおさめにいこう」
声には威圧がたっぷりと含まれている。
これには警部も気圧されてしまったようで、全員が「はい」と小さく返事をした。
***
【14:17 1番街、クロノ都市大学】
『やぁ、ベルモンド。突然で申し訳ないが君に訊きたいことがある』
それは講義中で唐突に聴こえたものだった。
ベルモンド教授は学生たちを相手に授業をしながらも、9番街の彼女へと念を送る。
『何かね』
『いや、実はとても面白いことが起きてね。まぁ、ついてはエドガー・レヴィのことだ』
『ほう……彼がなんだって』
『昔、あの泥棒アヴァールの仲間だったらしいが、それについて何か知っていることはあるか』
教授は口を閉じた。機械の仕組みを事細かく話していたそれがピタリと止まる。怪訝そうな顔をする生徒たちを見て、教授は「あぁ」と息をついた。
「あー、君たち……えぇと、そうだ。レポートを仕上げておくように。今日はここまで」
中途半端に終えてしまうが、教授はそれどころではなかった。さっさと講義室を出ていき、自身の研究室へと走る。
『実はね、よく知っているよ。また君は面白い話を仕入れてきたね。直に話さなくていいのかい?』
『構わない。1番街は遠いから。それに、今は立て込んでいるので、こうして密かに
アレクサンドラは嘆くような口ぶりだった。
『今、彼らは4番街へ向かっている。どうやら、泥棒はそこにいるらしく……あぁ、そうだ。特注ガラスモニターがグレーズに壊されてしまったからまたよろしく頼むよ』
ちゃっかりと頼み事までする始末だ。教授は吹き出して愉快そうに笑った。
『それはそれはご愁傷様なことだ。すぐに手配しよう。あぁ、しかしアレクサンドラ』
研究室の戸を開け、円型の入り口をくぐり、教授は白衣をばっさり脱ぎ捨てる。
『
『ふむ……』
確かに、興味だけで追求するには重い内容なのだろう。
アレクサンドラはしばらく念を送らなかった。何かに気を取られているのか、それとも考えを巡らせているのか。
『まぁ、君が彼に依頼してしまったから私からは何も言わなかったのさ。エドガーが何をしていたか、どうして今に至るのか、などね。雑談程度の事情をざっと垂れ流しておこうか』
教授は窓際に置いた肘掛け椅子に座ると、口元を緩ませて笑った。
***
【同刻 7番街~6番街】
「おい、エドガー。しっかりしろ。今、君の事務所はどうなっている」
苛立たしげに言う警部は、荒っぽい運転をしていた。閑静な7番街と6番街を繋ぐ大通りを走る。
アレクサンドラや他の警官は博物館に待機させ、警部、アリス、エディ、グレーズの四人はレグルス探偵事務所へ急行した。
アヴァールが事務所にいるということだけが分かっているのだが、エディのメンタルはとても良い状態ではない。黒歴史暴露の効果がじわじわときているのか。
「黒歴史がなんだという! やる気を出せ!」
「警部、そろそろやめて……ここぞとばかりに追い詰めるんだから、もう」
見かねたアリスが呆れたように言ったが、あまり効果はない。エディが不機嫌に口を開く。
「アリス、
「うぅん……残念だけど、私、口封じの術は使えないの」
「じゃあ、グレーズでいい。黙らせて」
「らじゃー」
「やめて。車が壊れる」
メンタル崩壊のエディは何を言い出すか分からない。しかも、エディの頼みなら乗り気なグレーズはもはや起爆装置にしか見えない。
アリスはあわあわと仲裁に徹していた。
そんな賑やかな車はようやく5番街を抜けた。リラの花咲く大通りまで行けば、レグルス探偵事務所はすぐだ。
エディはメンタルダウンのせいか、才能の調子がすこぶる悪い。
一方、感覚型の警部とアリスも、才能で泥棒の所在を感じることはなかった。
だから、部屋に入るまで中がもぬけの殻であることに気がつけなかったのだろう。
その代わり部屋は荒れており、机やタンス、ソファもすべてひっくり返されていて足の踏み場がない。確かに彼らがいたという痕跡。
それに――
「っ……!」
アリスとグレーズは壁を見るなり、言葉を失った。
一方、警部は渋い顔でエディを見やる。
こめかみをトントンと指で叩いており、恐らく彼の才能が危険を感知しているのだろう。
「……エドガー、ちょっと話がある」
肩に手を置き、警部はエディを引っ張るように外へ連れ出した。彼は呆然としているだけで反応が薄い。
二人が出て行ったと同時に、グレーズは拳を構えた。
バキンっと粉砕の音が響きわたる。怒りに任せて壁を思い切り殴った。突き破られ、ガラガラと壁が崩れていく。
「エディはもう悪いことはしないんだよ! いい加減にしろ!」
そこに書いてあったのは――
「あぁ、まぁ……あれの通り、俺は最低で低俗な『裏切り者』だ。でも、それはもう終わった話だよ」
静かに言うエディに、警部は腕を組んだまま鼻から溜息を吐いた。
「分かっているじゃないか。それなのにどうした。何をそんなに気にしている」
「………」
「君が腑抜けた様はいつにも増してつまらんな。それに、今回ばかりはもう、あいつらを庇い立てすることは出来んだろう。ようやくふんぎりがついたんじゃないか」
警部の声は厳しい。耳鳴りが煩わしいのか、眉間が険しくなる。
「ふむ……何故だろうな。俺は君を見る度に危険を予感するのだが」
小さく息を吐く警部。そして、眉間を揉みながら苦笑を向けた。
「君はいつだって、危なかしい色をしている。例え更生しようとも、人並みに働いても、それだけはどうも誤魔化せんようだな」
危なげに揺らめく光、それが瞳に宿るうちは。
***
【15:28 クロノ・ヴィル中央街、塔管理部】
「あら、マックス。今日はまたお暇そうで何よりね」
つかの間の休憩時間だった。
昼寝でもしようかと仮眠室に入った矢先、背後に気配を感じたコゼットは振り返りもせずに言った。
長身の優男、マックス・レヴェル室長は驚いてホールドアップしたが、顔はくすくすと楽しげに笑っている。
「さすが、コゼット。どうして僕だと分かったんだい?」
「女の勘かしら。あと、あなたの香水ね。きざったいローズを振り撒くのは塔ではあなただけだもの」
「へええ。よく分かってるね……さてはコゼット、僕のこと好きだったりして」
その茶目っ気たっぷりな口ぶりに、コゼットは思わず振り返って手をあげた。
「そんな、こと、ない!」
「あっははー、照れちゃって。やっぱり君は可愛いね」
あげた手はマックスに掴み取られてしまった。途端、コゼットは顔を赤らめる。熱が上がっていく様子が自分でも分かった。
「まあまあ、怒らないで。ああ、そうだ。君宛てにプレゼントがあるんだ」
片手で軽々と彼女の手を封じたまま、マックスはスーツのポケットから小さな正方形の箱を出した。
いかにもプレゼントだと主張するような包装はすっきりと淡いベビーブルー。掴んでいたコゼットの手に、それを落とした。
「だ、誰から?」
「さあ? 開けてみたら分かるんじゃない?」
マックスは肩を竦めていたずらに笑った。そして、「じゃ」と片手を振って颯爽と去る。
「なんなの……」
訝りながら、コゼットは受け取った箱を恐る恐る開いてみた。
蓋を開ければ、キラキラと瞬く夜空色の石が顔を覗かせる。
「えっ」
思わず息を止めた。
箱にあるのは、今、世間を騒がせているアイオライト。そして、「4番街のアンベシル」と書かれた文字が石の下に収まっていた。
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