第25話:博物館へ行こう!
【13:00 クロノ・ヴィル上空】
それは、澄んだ星空のような色をしている。
9番目の宝石、アイオライトは現代では人工石しか生まれず、天然石は博物館に眠っていたもの、ただ一つだけだった。
『今の時代、宝石なんかいくらでも作れるからね。ただ、価値は相当なものだ。あの鉱物を加工やら、売買なんかされたら堪らない』
アレクサンドラは苦々しく言う。
『現段階では公表されていないが、実はね、各街のシンボル石が奴らに狙われている。被害に遭っているのは1番街、2番街、6番街、そして9番街。法則性はなく、ただただデタラメに気の赴くままに適当に盗みを――』
「えーっと、あの、ちょっと待って」
つらつらと流れていく説明に脳みそが追いつかないので、エディは一時中断させる。
「移動中にその念を送ってくるのやめてくれません? こっちはこっちで風とか鳥とか、そういうのに注意を払わなきゃならんので」
そう。今は空中に滞在している最中だ。
グレーズは慣れたようにエディを背負って「いえぇぇぇぇーーーい!!」と屋根から屋根へと飛び移る。
途中、カラスの頭を思い切り蹴飛ばしたらしく、衝突したカラスが地面へと落下する様子を目に捉えた。グレーズの勢いは止まらず、4番街から9番街までの空を駆ける。
『そうか。いや、私の目の前には今、ヴィアン警部が……奴の視線から現実逃避をしたかったんだ。すまない』
これには同情する。エディは「またあとで」と言葉を頭で作り出すと、もうどんな念が送られてこようと、すべて通信を断っておいた。
段々と8番街辺りから建物が少なくなっていく。緑とマリーゴールドが広がり、さながらキルトのよう。
「あ、見えた!」
グレーズは野を軽やかに走った。花畑は飛び越えて。
スタタッと降り立つと、横へ広がる箱のような建物が見えてくる。大きく太い柱が箱の蓋を支えており、威圧的に構えたその前には警察の車も停まっており、ちらほらと制服警官の姿も窺えた。
緊迫した様子だが、空中爆走によって消耗した気力のせいでエディはのんびり悠々と彼らを見回す。
「おー、博物館なんて初めて来たぜ」
「エディってこういうのあんましキョーミないよね」
「まーな。キョーミあるのはコーヒーと金だけ」
「さびしー男だねぇ」
玄関の前で会話していると、エディの脳内にまたもアレクサンドラの声が響いてきた。
『着いたかね。では、迎えに行こう』
慌ただしい声音だ。よほど警部と顔を合わせるのが嫌らしい。
程なくして、彼女はあの覚めるような青いコートをひるがえして正面玄関の戸を開け放った。
「ようこそ、クロノ都市博物館へ」
館長らしい言葉だが、厳しく凛々しい故に女騎士のような佇まいである。
2人は導かれるままに中へと入った。
***
中は薄暗い。冷たく硬い黒の床はすべすべしていて光沢がある。それを楽しそうに見つめるグレーズは、床に映る自分に手を振ったりとテンションが高い。
対し、館内はやはり警官が機械を操作しながら、微細な証拠をかき集めている。
その一角に、ガラスケースをじっと睨む婦警の姿があった。健康的に厚くも薄くもない背中、きゅっと締まったくびれ、タイトスカートが尻にフィットしており、グレーズ的に言えばナイスボディな若い女の後ろ姿。
「あー! アリスだー!」
グレーズは床をたったかたーっと軽快に走った。ガラスケースを見ていた彼女がすぐに振り返る。
「あらぁ、グレーズ! いやん、珍しいところで会うわねぇ」
薄暗い部屋のせいか、アリスの声が一際艶っぽく思える。感激の抱擁をかわす2人に、アレクサンドラは「知り合いか」とエディを見た。
「異常に仲がいいな、彼女らは」
アリスのたわわな胸を掴むグレーズを、無表情で見つめるアレクサンドラ。
「いや、女性にはいつもああですよ、グレーズ、は……」
そう言ってすぐ、エディは口をつぐむ。いや、グレーズは誰かれ構わず飛びついたり胸を掴んだりするわけではなかった。現に、アレクサンドラにはまったく反応を示さなかったのだから。
この法則性は恐らく、彼女らの体つきに関係しているような……エディはアレクサンドラの華奢でスレンダーな姿を素早く確認し、確信する。
「そうか……確かに、私は肉がつかない質でね。今は別に困っていないし、ああやって抱きつかれてもただ迷惑なだけ」
思考を読まれた。
不穏な空気が漂う。
エディは顔を引きつらせてグレーズの元へ走った。アリスから引き剥がさねば。
「ああああああああああああああああっ」
「うるさい! お前、仕事しにきたんだろ!」
名残惜しそうにアリスの胸に腕を伸ばすグレーズ。しかし、エディに怒られればきちんと言うことを聞いた。
「で、アリス。何を見ていたんだ」
今度はアリスを向けば、彼女は珍しくきりっとした顔つきで頷いた。
「あのね、私の敏感なお鼻がこのガラスケースに反応したの」
「うん」
「ガラスケースには指紋なんか絶対にないし、誰かが触った痕跡もない。このガラスには感知センサーが張ってあるから、誰がいつ触ったかなんかが検出できるわ。でね、誰も触ってないのに……私の知ってる匂いがしたの」
アリスはごくりと大仰に唾を飲んだ。その様子から、一同も固唾を飲む。
「微かになんだけれど、それが、どうも……コ」
「おい、お前たち。ここにいたのか」
神妙な空気を派手にぶち壊しにきた男の威圧的な声。神経質で真面目な靴音が床を鳴らすのは堅物警官、ジャメル・ヴィアン警部だ。
全員の肩ががっくりと落ちる。
「……なんでこうも間が悪いんだ、あんたは」
皆を代表してエディが言う。すると、警部は「む?」と眉をひそめた。
「お前たちが遅いからだろう。話はバニ館長より聞いてある。こちらとしては大変不本意だが、館長の頼みならば仕方がない」
「うん、分かった。とりあえず、待っていたのはよく分かった」
エディはため息を吐いた。
「それで、ロマン刑事。何を言いかけた」
一方で、アレクサンドラは警部を無視して巨乳婦警に問う。いきなり話を振られたアリスは「ふぁっ」と肩をびくつかせた。
「えっと……なんだっけ」
「ガラスケースから何かの匂いがしたと言っていた」
「あぁ、そうです。そうでした! うふふ。もう、私ったらすぐに忘れちゃうんだから」
彼女は茶目っ気たっぷりに舌を出す。それを冷ややかに見つめられても彼女はめげることなく、にこやかに言った。
「はい、でね、このガラスケースにはなんと、私の大好きなコゼットの匂いが染み付いていました!」
宣言するように、彼女は「えっへん」と腰に手を当てて言った。
アレクサンドラは怪訝な表情をする。誰のことか分からないのだろう。だが、他の者は両眼を開かせて驚愕の色を浮かべた。
「え、えと、コゼットって、あの……?」
さすがのグレーズも驚きを隠せないでいる。エディは渋い顔つきでガラスケースを睨んだ。警部は顎に手を当てて唸る。
「それは確かなのだろうな、いや、君が言うなら間違いないのだろう……だが、どうにも分からんな」
「どうしてコゼットのにおいがするの? コゼットも関わってる、とか……」
不安あらわにグレーズが皆に聞く。
すると、鋭く尖った声が全員に刺さった。
「コゼットは関係ないはずだ」
グレーズは後ろを見た。エディの眼鏡が冷たい光を帯びている。彼の声音にはわずかに怒気が含まれているように思える。
「それは……そうだろうな。彼女は関係ない。珍しく意見が合うじゃないか、探偵」
警部までもが素っ気なく言う。アリスは大きく頷いた。
そのおかげでグレーズに安堵の色が戻る。
一方、アレクサンドラは息を潜めるように黙り込んでいた。大方、誰かの思考を読み取っているのだろう。
「あれ? エディ、どこ行くの?」
突如、くるりと踵を返したエディに気がついたグレーズ。その背中はなんだか機嫌が悪い。彼は来た道を戻ろうとしていた。
「おい、エドガー。単独行動は慎めよ。今回は慎重をきたす事件なのだから」
空気を読まないのはお察しのとおり警部である。
苛立つエディはピタリと立ち止まると、静かに返した。
「どうせ証拠は見つからねーんだろ。そもそも今、ここにアイオライトはない。いくら現場検証をしたってクズくれーの小さな痕跡だ。んなもん、調べたって何にもならねー」
「投げやりに言うな、エドガー。君、少しは冷静にならないか」
声を上げたのはアレクサンドラだった。彼にとってのコゼットがどんな存在か理解したような声だ。それでも尚、彼女は咎める。
エディもこれには渋々といった様子で向き直るしかなかった。
「……それじゃあ、警部殿。あんたの捜査報告でも聞こうか。俺も泥棒のことは許せないし。なんなら捻り潰してやりたいくらいだし。いくらでも協力してやるぜ」
「うーむ……何故、君はそう上から目線なんだろうな。まぁいい、聞く気になったのなら話そう」
不穏は未だ消えないが、それを追い払おうと警部は大きく咳払いする。そして、厳かに口を開いた。
「俺の経験上、あいつらは現場に必ず戻ってくる」
「は?」
「はぇ?」
エディとグレーズは同時に声を発した。頭の上には「?」をいくつも浮かべてしまう。
「ほんとかよ、それ……」
信憑性がいまいちない。しかし、警部は自信満々に言い切った。
「あぁ。必ずと言っていい。奴らは必ず、現場に戻ってくる。こちらの慌てぶりを楽しんでいるんだ。そういう単純な奴らなんだよ」
「私はそんなの微塵も信じていないがな」
ぼそりとアレクサンドラが言った。アリスも苦笑している。
「んな殺人事件じゃあるまいし、メイシンだよメイシン!」
とどめにグレーズが言い放った。
警部の得意げな表情が段々と曇っていく。
《あー……そうだね、戻ってくるなんざ、馬鹿がやることだよ》
突然にケラケラと笑い声を含ませた男の声が薄暗い空間に浮かぶ。辺りを見回し、ざわめく一同。
すると、ガラスケースが青白く発光した。大きなモニターと様変わりし、そこに映っていたのは小さく手狭な事務所。紛れもない、レグルス探偵事務所である。
《はぁーい、残念♪ 警部ったらほんと、面白いよねぇ。俺たちが同じ手を使うとでも? あっはははー、さすが警部だ》
無人の事務所。それなのに、人を馬鹿にしたような男の声は聴こえてくる。音源はガラスケースか。
「貴様……アヴァールか」
《いかにも。警部殿の言うとおり、我々はアヴァール。あぁ、でも見えないよね。隠れてるから。そんでそんで、ここはそこにおわす探偵殿の巣だねぇ……おっと、グレーズの服踏んじゃった。ごめんね♪》
不快な声だった。男のようで女のような合成された声。グレーズは思わずガラスに飛びかかる勢いで足を踏み出した。
《ストップ! まだ壊すなよ、グレーズ》
見えているのだろうか。分からない。
困惑が辺りを漂う中、アヴァールは軽快に続ける。
《俺らはさ、ちょっと奴に用があるんだよ。そこにいるんだろ、エディ〜》
《顔を合わせて話せないのが残念だよ》
《久しぶりに声が聞きたかったなぁ。でも仕方ない。さて、手短に要件だけを伝えようか》
男と女、交互に話を進めていく。一体、どうしてエディを名指しするのか。
グレーズはエディの顔をそろりと窺った。彼の目は凍りつくほどに冷ややかだ。
それを楽しそうに見ているように、声は笑いながら言った。
《アイオライトと引き換えに、こっちに戻ってきてくれないかい? 元アヴァールのエドガー・レヴィ》
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