第23話:のの字を書いてゆっくりと
エディはごくりと喉を鳴らし、固唾を飲んだ。
教授の目はいつになくキラキラと眩しいのだが、その目に見透かされてしまいそうで思わず逸らす。
「ねぇ、じゃあさ、じゃあさ。僕らの才能がどう出来たのかも分かるってこと?」
無邪気にグレーズが訊いた。教授は「あぁ」と人差し指をすっと伸ばす。
「調べていけば分かるはずだ。いや、最もこれは塔の仕事なんだが……しかし、彼らは、あまり信用出来ないね」
いくら低く呟いたからとは言え、教授の言葉を聞き逃すことはない。エディは眉をひそめ、グレーズは唇を尖らせた。
「塔の管理は寸分の狂いもない。だが、それ故に怪しさもつきまとう。人の上に立つ器は立派なものだ。そうあるべき象徴……だが、その器を真上から見る人は誰もいないからね。となれば、無論、得体が知れないのだよ。私はそういうものに身を委ねるほど安い人間ではない」
教授の塔への信頼はゼロであることはなんとなく分かった。
ただ、その考えに至ったキッカケは一つも述べられていない。エディは問おうか迷っていると、お喋りな教授がその隙も与えずにサラリと続けた。
「あ。でも、コゼットはいい子だよ。家が近所だった頃はよく話をした」
付け加えるような言い方だ。
その笑みは明らかに誤魔化しの色があったが、雲隠れしてしまえば掴むのは難しい。
エディは椅子の背にもたれた。
「ふーん……あんたとコゼットがどうして知り合いなのかだけは理解しましたよ。それで? 才能の調査とやらはどこまで進んでいるんですか」
問うと教授は「ふぅむ」と含むように唸った。
「まぁ、先に述べたことがほとんどなんだが。こればかりは私の専門外だからね。機械を思い通りに動かすスイッチや設定を作れても、人の構造や脳、思考、感情を
「そう険しい顔をするな、エドガー。私は何も誤魔化しはしないよ。ただ、こればかりは自信がない。どんなに有能な私でさえも辿り着けない未知の世界、もはや聖域だ。それに、趣味で調べていることだからね。詳しい話は専門家に聞くことをオススメする」
「そこまで求めているわけじゃないんですけど……それじゃあ、なんだ。結局は分からないってことですか」
「そうだね」
あっさりと言われれば、諦めるしかない。せっかく興味が出てきたというのに、お預けをくらったようにもどかしくなる。
グレーズなんかは面白くないといった表情でむすっとしていた。
「わかんないよぅ……」
そう情けない声を出しながら、机にかじりついている。
「ふむ、確かに難しい話をしたね。でも、いずれ君たちの今後にも役立つ研究だと思うんだ。勿論、私にとっても。今は分からずとも、そのうちに解明されるはずさ。それが塔か私か……あぁ、いや、彼女が先かもしれないな」
教授は明るげに言った。「彼女」という言葉にグレーズだけでなくエディも首を傾げる。
「え、誰?」
訊くと教授はにこやかな笑みを浮かべた。そして、何やら思い立ったように、背筋を伸ばす。
「ほぉ……噂をすればなんとやら。エドガー、あと15分後にでも構内を見てくれないかい」
「はぁ?」
意図が読めず、眉をひそめた。
一方、教授は自身の髭を指でなでながら愉快そうに笑う。
「ふふふ……とびきりのお客が来るらしい。ハッと覚めるような鮮やかな青のコートを着た女性、アッシュブロンドのベリーショートだよ。きっかり、あと13分後には構内へと足を踏み入れてくれる」
その唐突な予言に、2人はますます不可解へと陥った。
*13分後*
「――そろそろ、か」
研究室の機械を見て回るグレーズに付き添う教授を見ながら、エディは一人、テーブルについたまま構内をくまなく見ようと、意識を傾けた。
モニターで構内を覗くように、彼は大学の廊下や教室、門へとチャンネルを切り替えていく。
「おー、マジだった」
確かに、教授の言うとおり、青いコートの女が足早に構内へ駆け込む姿が見えた。
「教授ー、どうやら到着したみたいですよ」
「おや、もうそんな時間か。なんだか一瞬のことのように思えるよ」
「まぁ言っても13分ですからね……」
大して長時間ではないのだから当たり前だろう。
「その人、誰なの?」
教授の脳内伝播式筆記具で下手くそな絵を念写していたグレーズが問う。
「私の友人さ」
「へぇ……教授って友達いるんだね……」
グレーズの無邪気に辛辣な言葉に、教授はただただ笑みを浮かべるだけだった。
一方、エディはその青いコートを追いかけていた。彼女はどうやら真っ直ぐに、こちらの研究室へと向かっている。そして、ピタリと入り口で立ち止まった。
「……まぁ、誰でもビビるよな、あんな入り口だと。教授、到着してますよ、彼女」
「あぁ、はいはい」
教授は軽快にステップを踏むように、入り口へと向かった。そうして円形の扉を開いて、青いコートを招き入れる。
「やぁやぁ、アレクサンドラ。ご機嫌麗しゅう」
「何がご機嫌麗しゅうだ。まったく、どういうつもりだよ、このヘンテコな入り口……中へ入るのに一苦労じゃないか、まったく」
青いコートの彼女は、品のある声でぶつくさと言った。それについてはエディも同感で、深く頷く。
文句は尚も続いた。
「いいか、ベルモンド。今度に私が来る時はきちんと元に戻しておくんだよ。本当、君はどうしようもない人だね。まったく、もう」
コートを脱ぎ、彼女は周囲を見回した。
「この、なんだろう……圧倒的機械な部屋……君の趣味、本当にひどすぎないか」
「そうかね? これでも抑えてある方なんだが」
はっきり言われても教授はどこか楽しげだ。アレクサンドラは「はぁ」と溜息を吐くと、コートをメタルな棚に放り投げた。ようやく、エディとグレーズの姿に目を留める。
「それで、先客がいるようだけれど……彼らは君の助手か?」
「違います」
教授に任せておくと、ろくでもない返事をしそうだからエディは素早く答えた。
「だろうね……彼の助手など、誰もしたがらないから」
そう言いながら空いていた椅子に座る彼女は、どうやら勝手知ったる仲のようで、教授も彼女の態度に口出しは一切しなかった。
そんなアレクサンドラにすぐさま共感を得ているエディは、愛想よく笑みを浮かべておく。
その間、教授が手早く紹介し始めた。
「アレクサンドラ、こちらは4番街のアンべシル、探偵だよ。こっちの彼がエドガー・レヴィ。向こうがマティルダ・グレーズ」
エディは小さく会釈しておいた。一方、グレーズは特に興味もなさそうで、必死に絵を描いている。
アレクサンドラは目尻に小さな皺を寄せるように笑みを作った。彼女の灰色の瞳がキラリと光る。
「あぁ、これが噂の探偵……初めまして。私はアレクサンドラ・バニ。博物館の館長をしている」
そう言うと、彼女は指を組んでテーブルに肘をつけた。小首を傾げ、エディを調べるように眺める。
「へぇぇ。随分と若いんだな……まぁ、私も館長にしては未だに若いと言われるが……あぁ」
そう言い、彼女は細く鋭い眉を寄せた。嘆くように息を吐く。
「『若い』という言葉は時として侮蔑になり得るものだね。己より若い者を相手にすると、そういった言葉がうっかりと飛び出てしまうんだ。知らず知らずのうちに、人は人を蔑む生き物なんだろう……あぁ、嫌だ、まったく。私も歳を食っているんだな」
「はぁ……」
彼女が教授の友人であることは、分かる気がした。
「それで、アレクサンドラ。今日は一体どういうご用事かな? あぁ、エドガー、コーヒーを頼めるかい。すまないね」
グレーズを放置して、教授もテーブルに着席した。それと入れ替わりに、エディは素直にキッチンへと向かう。いいように使われている気がしたが、あの空間にいるのはどうにも腰が引けた。
そんなエディの後を、グレーズはひっそりと追いかけてくる。
「ん? もういいの、あれは」
「あぁ、うん。飽きちゃった。僕、お絵かきの才能はないもん」
グレーズは袖を噛みながらもそもそと言った。大方、あの空間に放置されるのが心細いのだろう。人懐っこいくせに、知らない大人との接し方が分からないグレーズである。
苦笑しながら、エディはポットで湯を沸かし、手際よく作業をした。
同時に彼は聞き耳を立てる。
この部屋からだと、分厚い壁が声を遮断してしまうが、エディにとって壁は何の意味もない張りぼてだ。向こう側にいる教授たちの声をその耳で聴き取る。
《そう、丁度に君の専門について話をしていたところだったんだ。しかし、お疲れだね、アレクサンドラ。不眠は体に毒だよ》
《機械狂に言われるなんて、私もいよいよおしまいだな……いや、しかし。私の専門について話をしていた、というのはつまりは彼らも才能を持つわけなんだろうね》
《その通り。どちらも面白い才能だよ。彼らに是非とも君の論文や著書を読み聞かせてあげたいね》
それは謹んで遠慮願おう、と内心で毒づいておく。
教授は常に機嫌がいいのだが、今日はまた更に楽しげだ。テンションが高い。あの、研究室爆破事件の前日を思い出す。
一方、アレクサンドラは乾いた笑いを上げると、小さく溜息を吐いた。
《君も人が悪い……何もこんな時に面白いものを用意するなんて……私はそれどころじゃあないんだよ》
湯が沸いた。今では珍しい錫製ポットの取っ手を濡れた布巾で持ちながら、小さなドリッパーにセットしておいたコーヒーの上に湯を落としていく。ふつふつと膨らむ粉から、香ばしい湯気が立ち上った。
背後のグレーズが香りを嗅いで「わあ」と声を漏らす。
蒸らしているこの最中、教授たちはしばらく黙り込んでいた。
耳が静かなので、エディは何気なく口を開いてみる。
「……なぁ、グレーズ」
「んー?」
「博物館ってさ、9番街だったよな」
確かめるように訊くと、グレーズは「うん」とすぐに答えた。自分より、都市を走り回るグレーズの方が地理に詳しい。
「確かね、黄色い花がいっぱい咲いてる。博物館は横にだだっ広い形だった!」
「ふうん……俺、そこには行ったことないんだよね。もし、行く機会があったらさ、お前が連れてってくれない?」
「? いいよー」
グレーズは首を傾げながら了承した。
さて、予想が正しければ、アレクサンドラの悩みは都市中の誰もが知る件だろう。
エディは彼女の口が三度目の溜息を吐いたのに気がついた。
《まったく、もう。どうしたって、こんなことに……システムは正しかったんだ。君の機械なのだから、正確だし仕事もきちんとしていた。一層の厳戒態勢で臨んでいた。それなのにだ、一体、どうして》
段々と小さくなっていく声。そして、彼女は苦々しげに言った。
《どうして、奴らはあのアイオライトを盗めたんだろう》
サーバーに、ぽとぽとと抽出されたコーヒーが落ちる。それを見計らって、エディは再びポットの湯を傾けた。
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