第21話:科学的根拠のない考察

「箱に入っていた理由? そんなの決まっているだろう。君は無駄に思慮深いというか疑り深いというか、堅苦しいつまらない男だね。私がどうしてわざわざオーリックに運んでもらったか、なんて。ただだよ」


 一息に早口で言うと、ベルモンド教授はにっこりと笑った。

 対し、エディは頭を抱えた。


「遊び心というものは常に持ち併せていなければいけないのだよ。

だって、つまらないじゃないか。特に、私は有能ゆえに見たくもない未来、世界の先なんかが分かってしまうのだからね。驚きやひらめきも一歩先で既に終えてしまう。それをなぞるだけで。そうしてただ淡々と真面目に生きるだけならば、それはもう機械に任せる方が断然いい。よほど生産的だよ。

そうは思わないかね?」


 突然現れたと思えばせきを切ったように話し始める教授。じっと箱の中で黙っていた反動か。

 教授は一息つくと、膝を叩いた。


「さて、と。コーヒーはまだかな。君のコーヒーは格別に美味いからね、一杯だけでも作って欲しいのだが」


「……分かりましたよ」


 それだけを返すと、エディはキッチンへと向かった。


「ねー、教授」


「なんだい、グレーズ」


 グレーズは教授の隣に腰掛けた。


「おや、新しい服を着ているね。君はそういった服がよく似合っているよ。それで、何かな?」


「うん、あのね。結局、研究室はどうなったのかなーって」


 あの研究室爆破事件から一切、音沙汰がなかったわけで、またアリスの追跡も見事にかわしていたわけで、教授の消息は誰も知らなかった。いや、誰も興味がなかっただけかもしれない。


 グレーズも今しがた思い出しただけだったが、問われた教授は嬉しそうに目を細めた。


「おやおや、心配してくれたのか。グレーズ、君はやはり優しい良い子だね」


 そう言いながら教授は金髪を撫でる。まぁ、悪い気はしないので無碍にすることはなくグレーズは「えへへ」と笑っておいた。


「そうとも。あの一件以来、私の無事を誰にも知らせなかったからね。

悪いとは思っているよ。しかし、あの後、アリスに追われる羽目になったのだが、まぁ彼女を欺くには容易くてね。何度かかくれんぼをして遊んでやっていたけれど、すぐに飽きてしまったらしく……そう、1日だけ家には戻れなかったが、その後はあの燃えた研究室の改装をしていたのだよ」


 教授は少し寂しそうに言った。もう少し逃亡生活をしたかったのだろうが、それは叶わなかったようだ。


 アリスはかくれんぼに飽きたわけではなく、別のことに気を取られていたから教授を放置していただけである。それについてはわざわざ教えてあげなくともいいだろう、とグレーズだけでなくエディもそう思っていた。


「改装、って……え、まさか教授が? 自分で?」


 アリスについては話を逸しておく。グレーズの問いに、教授は手を振った。


「いやいや、大学にある全ての機械にやらせたよ。あれらは私が開発したものだから、少し設定を変えれば言うとおりに働いてくれる。いやぁ、便利便利。

授業をしている間や、昼寝をしている間にはカンペキ元通りさ。前より綺麗にもなったよ」


「へぇ……まさか、だけにあの部屋全部を丸焦げにした、とかそんな思惑があったとか、ないですよね」


 出来上がったコーヒーを教授に差し出すエディは、疑いの目を教授に向けた。


 嬉しそうに受け取る教授は、砂糖とミルクなしでそのまますする。美味そうに息をついてから彼は「その発想はなかった」と感心の声を上げた。


「やはり君は深読みしすぎるね。私ほど単純明快に生きている人間はいないというのに。駄目だよ、もう少し気楽に生きたらどうだい」


「どの口が言うんですか。あんたほど複雑怪奇な人間はいない」


 苛々と返すも、教授は面白がって笑うだけ。相手にするのが面倒になってくる。


「と、まぁそんな経緯いきさつを経て、先日に改装が終わったので、新しく綺麗になった我が研究室に君たちを招待しようと思い立ったわけなのだ。どうかね、これから。どうせ仕事もないんだろう?」


「そうやって断る術を先に絶たないでもらえますか……まぁ、確かに暇なんですけど……」


 面倒だから行きたくない、ということはさすがに言えない。エディは苦々しい顔で教授を見た。


「そんな顔をするな、エドガー。何、心配せずとももう二度とあんな無茶苦茶はしないし、今日は友人として招きたいだけだからね。それに、美味しいお菓子もご馳走する。ただ、コーヒーは君が淹れた方が美味いんだ。機械よりもよっぽど。それだけは任せたいかな」


「美味しいお菓子!」


 横でグレーズが反応する。エディも渋面ながら、褒められてしまえば何も言えなくなる。

 二人は彼がコーヒーを飲み終える前に出かける準備をした。


***


「空を走った方が速いよ!」というグレーズの提案は却下され、彼らは電車を乗り継いで1番街へと向かった。


「さすがに大の大人を二人抱えて運んでもらうのは気が引けるからな……周りの目とか、特に」


「普段、彼女をタクシー代わりにしている君がそれを言うのかい。まったく、仮にもグレーズは女子だろう。どんなに勇ましかろうとも、少女には紳士でありたまえよ、エドガー。でなければ嫌われてしまう」


 教授の言葉に、エディは鼻で笑い飛ばした。


「それこそ失礼ってもんですよ。グレーズの場合は」


「おや、そうかね? ふぅむ……君が言うならそうなのかもしれない、か。

いや、しかし生物学上では女子とされるわけだから、私のこの意見も間違いではないと思うのだが……グレーズ、君はどう思う?」


 普段は饒舌で頭もよく回る教授ですら、口ごもって迷うことがあるらしい。


 しかし、その問いにはグレーズは興味がなさそうだった。電車の座席に座って、頬をぷっくり膨らませている。

 空を走る案が却下されたことにまだ怒っているのか。


「僕は僕だよ。それ以外の何者でもなーい!」


「ほう……つまりはグレーズという一つの概念とでも考えた方がいいのだろうか。生物学は通用しない、そういうことなのだろうか。と、なれば精神構造、あるいは細胞、神経……いや、これはむしろ哲学……」


「いや、あまり難しく考えなくていいですよ。ほんと、こいつに関しては。無駄に脳味噌使わなくて大丈夫です」


 唸る教授を黙らせようと、エディがさらりと言った。グレーズはつまらなさそうに頬杖をついて座っている。


 思考の世界から戻る教授は、眉を下げて笑った。


「そうか。いや、生物は私の専門外だからね。深みにハマると抜け出せなくなるのだよ。ともかく、グレーズはどんな精密な機械よりも複雑で別段難しいということだけは理解出来た……おぉっと、君たち、もうすぐ着くらしい」


 街を走る路面電車は、線路の上を滑って乗客たちを1番街のスイセン大通りの真ん中で停車した。


 この通りには教授のアパートがあるが、それを横切って真っ直ぐ突き当たりまで歩けば背の高い楓並木がある。

 そんな街路樹やら木々に囲まれた場所にクロノ都市大学はそびえ立っているのだ。


「さぁ! ようこそ、我が城へ!」


 教授は軽やかにステップを踏み、二人を校内へと促した。


「城……まぁ、間違ってないのか」


「え? ここ、大学だよね?」


「言葉のあやってやつだろ」


 ボソボソと言い合いながら、2人はテンションの高い教授に招かれるまま構内へと足を踏み入れた。


 前回来た時と変わり映えのない景色。学生たちが行き交う中、小さな金髪は僅かに目立った。

 時折、振り返られつつもベルモンド教授に連れられていることを悟ると、彼らはすぐに興味をなくす。学生たちの間でも教授の変人ぶりは有名なのだろう。


 二階の一角。そこにベルモンド教授の研究室があるのだが……なんと、扉から既に様変わりしていた。


「なんか、なんだろう……銀行の金庫みたい」


「今の銀行に金庫なんかないぞ」


「いや、ほら、映画とかでよくある」


 グレーズの数少ない趣味の一つである、古い外国映画の鑑賞がここで役立つとは思わなかった。


「あー……言われてみればそうかも」


 エディも脳内で映画の知識を掘り起こす。それくらい頑丈で無骨な造りの扉だった。


「ちなみにね、ここから入るんだよ」


 そう言って教授は、扉の横に取り付けた指紋認証のスイッチを押した。すると、扉の中心にある大きな円形がゆっくりと音を立てて開いた。


「え、じゃあ何、この周りの扉っぽい四角のこれはなんなの?」


 円形に穴が空き、そこをくぐって中へと入りながらグレーズが訊いた。先に入った教授が澄まして答える。


「愚問だね。それはただの飾りだよ」


「大層な飾りですね……」


 エディも体を折り曲げて穴をくぐる。とにかく入りづらい入り口をどうにか攻略した。


「わーお……なんかすごい……機械しかない!」


「まぁ、その感想が正しいよなぁ……」


 2人は目を丸くさせて、辺りを見回した。

 扉もさることながら、部屋も全て無骨な立方体で埋め尽くされている。以前のとっちらかった膨大な紙が積まれた壁は、今やあらゆるスイッチやらモニターやらが内蔵されていた。


「グレーズ、絶対にその辺のスイッチに触るなよ、くれぐれも」


 エディの言葉に、グレーズは神妙に頷く。

 そして、傍らに刺さっていたレバーを引いた。


「おい! 触るなって言っただろ!」


「いや、フリかと思って……」


 凄い剣幕で怒鳴るエディに、グレーズは肩をすくめた。


 何かが起きるかもしれない。そう身構えていたら、レバーの下にあった壁が仰々しく唸り、まるで扉のように開いた。グレーズはこわごわ中を覗く。


「ん? えーっと……電子ヒーター、っぽい?」


「いかにも。それは箱型保温器といってね。コーヒーやミルクを温める時に便利なんだ。単なるお遊びで造ってみたんだが、なかなかに優れものだよ」


 コートを脱いだ教授が楽しげに言う。

 あまりにも無駄な技術である。グレーズは目を輝かせた。


「すっげーーー!」


「ある意味では凄い、けど……うん」


 エディは、もう考えることはやめようと呆れの溜息を吐いた。

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