第18話:奇妙な訪問者
「あやっ? もしかして、君、才能持ちなのです? びっくりしましたあ~、たはは」
ふわふわと伸びやかな声が頭上に落ちてくる。勢いよく玄関を開け放つと、目と鼻の先に二つの柔らかな山がある。
グレーズは目をぱちくりしたら、すぐにその柔らかな山を掴んだ。
「あややっ! ちょっと、君、何をするのです! おやめください!」
「そこにおっぱいがあれば掴むのは当たり前だよ」
そうしてむぎゅっと両手で掴んで揉むと、その人物は「ひぇぇ」と情けない声で、その場から消えた。跡形もなく、空間に溶け込むように。
「……消えた……おっぱいが。喋るおっぱいが消えた」
掴んでいたはずの胸が空間に溶けるように消え、グレーズは残念そうに項垂れる。
「さっきのは何だったんだろ」
右、左、前、後、ぐるりと一周して見回せど、それらしいものはない。
「幻覚……いや、いくら僕が無類のおっぱい好きとは言え、そんな夢を見るなんてこと……あるか」
ないこともない。
しかし、アリスのものとは少し弾力が違った。グレーズはそれを確かめるように両手をグーとパー、空を握って開いてを繰り返してみる。
「誰のおっぱいだったんだろう」
気になる。しかし、腹も減っている。考えるのは後にして、まずはパン屋まで行こうと足を踏み出した。
すると、爪先に何かコツンと当たる。
「お?」
見ればそれは、茶色の紙にくるまれた小包み。文字が書いてあり、どうやらそこには「エドガー・レヴィ」とある。
「あ、荷物だー。なんだよ、手渡しじゃないんじゃん。でもま、片付いて何より」
エディが何を頼んだのか、あるいは誰から受け取ったのか、それは深く考えないグレーズである。
これで心置きなくパン屋へ行ける。
荷物を部屋の中に放り込み、グレーズは意気揚々と太陽の下に降り立った。
***
「しゃちょお〜申し訳ないです。失敗しました……職務を全うできず……不覚!」
4番街のパン屋「ソレイユ」の前で、あどけなさを残した黒髪の少女が電話をしている。どうもただ事ではなく、少女はとにかく慌てふためいていた。
それをパン屋の店主が怪訝に見ているとも知らず。
段々と、少女は感極まっていき、とうとう涙ぐむ始末だ。
「うぅ……初仕事、だったのに……金髪の少年が私の、私の可愛いお胸をですね、はい、奪っていきやがりましたぁぁ」
『は? え、ちょっと、パメラ。どういうことさ。何があったんだよ、あんた』
端末の奥からは大きな声が響いた。
「うぐっ……ですからぁ、セクハラですよ。セクハラぁ……まさかお客にそんなことされるなんてぇぇ」
『あぁもう、泣くな。ちょっと、何言ってるか分かんないから。とにかく一旦、会社に戻ってきな』
「いやでも、まだ、サインもらってなくってですね。社長の声聞いて落ち着いたら、も一回行くかと思ってまして」
少女は目をこすり、鼻をぐずぐず鳴らしながら言った。電話の奥では心配そうな『大丈夫かね……』が聞こえる。少女は大きく頷いた。
「なんとしてでも、サインもらってきます。でなきゃ、社長に顔向けできませんから」
『いや、そんな大げさな話じゃないからね? 荷物の配達だけだからね?』
「はい。大丈夫です。このパメラ・キャスパー、全力で職務を果たしますです! この、命に変えても!」
そうして彼女は端末を切った。どうやら落ち着いたらしい。
「……お嬢ちゃん。電話が終わったんなら店に入るか退くかどっちかにしてくれねぇか。そこ、入口だからよ」
パン屋の親父がぬっと顔を出す。
少女、パメラ・キャスパーは「ひぇぇ」と驚いて大袈裟に飛び退いた。
「も、申し訳ありませんです! すいません! パン屋、さんだったのですね。ほぁ~、美味しそうな匂いがすると思ったら」
オレンジのジャケットを翻し、彼女はくるくるとその場で回った。どの角度からでも小麦のいい香りが漂ってくるらしい。
親父は苦笑を浮かべた。
「とんでもねぇ不思議ちゃんだった……いや、いいんだけどな。お嬢ちゃん、4番街は初めてなのかい?」
「はい! 4番街へはなかなか来る機会がなくてですね、私、今日を楽しみにしていたのですよ! でもぉ……」
パメラは視線を落とし、太めの眉を頼りなく下げた。前髪が上がった額丸出しのスタイルなので困り顔がよく分かる。
「ちょっと失敗しちゃいまして。えぇ、ちょっとハプニングと言いますかなんと言いますか〜、たはは……」
「そのようで。まぁ、4番街は平和だし治安も悪くないんだけどなぁ……厄介なのがいるから、お嬢ちゃん、気をつけなよ」
「はぁ……」
その厄介なヤツに出くわした、のだとはお互い思いもよらない。
「まあ、そうメソメソすんなよ。ほら、こいつでも食って元気出しな」
親父はサロンのポケットにあったバケットの切れ端をパメラに渡した。
「わあ! ありがとうございますです! たはは〜おかげで元気になりましたあ!」
垂れた目尻を更に下げて笑うパメラ。立ち直りが早すぎるが、元気になったなら何よりだ。
「そうかい、そいつは良かった。ま、とにかく気をつけな。街を徘徊して破壊する金髪のチビッ子に……ああ、噂をすれば」
親父は前方を指差した。パメラもその方向を見やる。
「おーい、親父ー!」
金髪の小柄な少年が、緑のコートをはためかせて飛ぶように走ってくる。なんだか気をつけながら走っているような。
いや、それよりも……
「あああっ!! セクハラ金髪少年んんん!!」
そう叫ぶなり、パメラの姿は空間に溶けて消えた。
***
「ほ? あれ? 親父、今そこに誰かいた?」
パン屋に着くなり、グレーズは急停止。
親父の横にいたはずの何かを指差すも、そこには店の窓があるだけ。
「あれ? さっきまでいたんだけどなあ……不思議系少女がそこに。オレンジのジャケットの黒髪の」
「そんな具体的には聞いてないよ。ふうん、女の子がいたんだ……おっぱいはこんくらい?」
そう言いながらグレーズは胸元に手のひらで山を作る。
「うーん……多分、そんくらい? って何言わせるんだ馬鹿」
「あぁ、そういうノリツッコミはいいから。ほら、親父、僕が来たってことは分かるだろ。パンちょーだい」
グレーズは不躾に言った。それに不満がない親父ではない。グレーズの頭にコツンと拳を落とす。
「そういうのはちゃんと働いてから言え。ったく、可愛くおねだりが出来ないかね、お前は」
「えぇぇ? やだよ、かわいくなんて無理だし。ほら、僕、腹ペコだから早く、早くなんかちょーだい」
「わーったよ、うるせえな。ちょっと待ってろ」
親父はやれやれと肩をすくめ、店の中へ戻った。
***
「ふぅ……びっくりしたぁ。思わず逃げちゃったけど、あの子にサインを貰わなくちゃいけないんだよねぇ……あぁぁ、もう、パメラ、しっかりしろ!」
アパートメントの影に隠れて、パメラは自身の頬を思い切り叩いた。
「あいたぁ!」
力を入れすぎてしまい、頬がじんじんと熱くなる。涙目でさすりながら、彼女はチラリと影から顔を覗かせた。
そこはパン屋から僅かに離れた場所で、向こう側からはこちらの様子がそう簡単には見えない。
パメラは親父に貰ったパンをかじりながら、じっとパン屋を見やった。
金髪の少年は、親父と親しげに何か話をしている。そして、親父が店の中から何かを持ってきた。パンだろうか。それを受け取った金髪は小躍りして飛び跳ねると、すぐさま来た道を辿るように戻っていく。
「むむ……なかなかに身体能力が高いヤツだ……なんてジャンプ力。恐るべし。だがしかし、私もテレポートの申し子と呼ばれる女。負けはせぬよ、セクハラ金髪少年!」
目的がなんだか変わっているようだが。
ともかく、彼女は熱い闘志を胸に宿していた。
「さぁ、ヤツを追いかけなくては。高い場所に行けばいいかな?」
金髪の行方を追うべく、パメラはキョロキョロと空を見渡す。目の前にそびえる赤茶のアパートメントが一番高い建物のようだ。
「よーし!」
そうして、彼女はアパートメントの屋上を脳内にイメージさせ、意識を飛ばす。
瞬間、その場から彼女の姿は消え去り、代わりにアパートメントの屋上にオレンジのジャケットが姿を表した。
「さてさて。ヤツはどこにいるのやら……おっと、素直にお家に戻っているようだ……そ、れ、な、ら、ば、舞い戻るしかない!」
誰にともなく言うと、彼女は腕をピシッと真っ直ぐに挙げて「とうっ!」と声を上げる。空へ身を投げ出すが、体はすぐに空間へ溶け込んでいく。
目を開ければすでに、そこは配達先だったレグルス探偵事務所の玄関。
階段を登ろうと足をかけた途端、唐突に湧いて出てきたのだから、さすがのセクハラ金髪少年もこれには驚いたようで、その場に立ち止まった。
「うわぁ、なんだよ、びっくりしたぁ!」
「ふっふーん。私の力を前にして恐れおののくといい! このセクハラ金髪小僧!」
パメラは得意気にビシっと指を突きつけた。
いつの間にか名称が変わっているが、そこはどうでもいいらしい。
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