第14話:嗅ぎつけられた恋の香り

「ほうら、どうよ。このグレーズ様に勝てるかい、ひよっこ共め」


 深緑のコートをはためかせ、グレーズは得意満面に腕を組んで仁王立ちしていた。

 その先にはインテリ風の眼鏡をかけた子供たちが皆、仰向けに寝転がっている。


「僕にかけっこを挑むとはいい度胸だよ」


 カッと目を開かせ、ふんぞり返るグレーズ。

 それを横目で見ていたアンリエッタだが、もう反応するのでさえ面倒な様子だった。


「く、くやしいぃ……こいつ、子供に容赦しないタイプだ……」


「汚いやつ」


「パパに言いつけるぞ」


「末代まで呪う……」


 口々に言うも、彼らの声は弱々しい。きちんとした身なりだったのに、敗者のごとくボロボロだ。


「はっはー。何とでも言うがいいさ! 僕に怖いものなどない!」




 事の発端は、数分前。

 公園でアンリエッタと遊んでいたら、近所のちびっこたちが数人で押しかけてきたのだ。ブランコを横取りされ、アンリエッタは酷く立腹していた。


「もういいわ。行きましょ、グレーズ」


 悔しげにフンと鼻を鳴らすアンリエッタだが、しかし、グレーズは諦めるという選択肢を持ち併せない。


「おい、がきんちょ。僕のアンリエッタを怒らせたらどうなるか、思い知らせてやろうか」


 それはそれは鬼の形相だったという。




「……そりゃ、才能使われたら勝てるわけがないわよ。そのあたりだけ同情するわ」


 公園の端から端までの徒競走。4人(子供)対1人(才能)というどちらにしても不公平な勝負である。

 グレーズは高らかに勝利の笑いを響かせていた。


「勝負はまだ終わってないぞ!」


 足腰を震わせて立ち上がる一人。それをグレーズは見下して笑う。


「ふっ……かかってきな」


「かけっこでは勝てない。多分、ケンカも勝てない。何せ、ぼくたちはエリートだからね。そんな無粋なことはしない」


「ゴタクはいいから、さっさと来いよ。ほら、はよはよ」


 手のひらをくいっと動かし、挑発するグレーズ。だが、その煽りには乗らない子供たちである。


 一人の眼鏡がにやりと笑った。そして人差し指をびしっとグレーズに向ける。


「こうなったら、なぞなぞで勝負だ! パンはパンでも食べられないパンはなんだ!」


 一息に放たれるそれは、凄まじく迫力があった。

 そのせいか、なぞなぞを予期していなかったからか、グレーズは打ちのめされた顔をする。ごくりと喉を鳴らし、あわあわと唇を震わせた。


「この世に食べられないパンなんか、ない……はずだ!」


 戦慄するように、グレーズは言った。辺りの空気が一気に冷えていく。

 アンリエッタが深い溜息を吐いた。


「――答えはフライパンよ。馬鹿ね」


「なぁぁぁぁぁっ!? はぁ? マジで? そうなの!?」


 グレーズは絶叫し、膝から崩れ落ちた。

 ダンッと思い切り地面を叩けば、砂が敷かれた地面にヒビが入る。


「ちっくしょう! 汚いぞ! 僕になぞなぞを出すなんて!」


「こいつ、馬鹿だ……最初からこっちで戦えば良かった」


 地割れに恐れを成す子供たちだったが、それよりもグレーズの頭の弱さに驚いていた。


 その背後。

 公園の入り口付近で、一台の車が停まった。黒塗りの扁平な車体、赤いラインが入ったそれは3番街の都市警察のものだ。

 公園内からもそれがよく見えた。


「はぁい、僕たち。元気にお外で遊んで偉いわねぇ」


 車から出てきたのは、豊満な胸が特徴的な若い婦警。パッと華やぐような柔らかい笑みを子供たちに向けている。


「あ、アリス!」


 それまで嘆いていたグレーズが勢い良く起き上がる。そして突風のごとく、彼女の胸に飛び込んだ。


「アーリースー! おっぱいくださいな!」


 直球な要求である。

 だが、可愛い金髪が谷間に顔を埋めていると微笑ましいのか、アリスはふにゃりとした笑顔で抱きしめた。


 その一部始終をアンリエッタを含む子供たちがじっと見ている。アリスは途端に、はっと息を飲んだ。


「だ、駄目よ。グレーズ、私は、その……今、制服だから……ほら、子供たちが見てるっ……」


 しかし、グレーズは一向に離れようとはしない。

 いやに親しいその様子を、疑わしげにアンリエッタが睨んでいた。その殺気に気づかないアリスではない。



***



「それで、急にどうしたのさ。僕とアンリエッタのランデブーを邪魔しにくるなんて」


 ひとしきりアリスの胸を堪能しておきながら、随分な言い方をする。


 大人の女性、特に刺激の強い女性を見た子供たちはひとまず退散しており、ベンチではアンリエッタとグレーズ、アリスの3人だけが並んでいた。


「そう、ランデブーよ。私も丁度、そういう話を持ちかけようとしていたの」


 アリスは真剣な目をグレーズに向けた。

 ちなみに、アンリエッタは横でむくれている。


「え、僕とアリスのランデブー!? デートしてくれるの!?」


「ううん、そうじゃなくって」


 にこやかに却下された。グレーズはどんよりと肩を落とす。


「えぇぇぇ……んじゃ、誰と誰のデートなのさぁ……」


 違うならもう興味はない。不貞腐れた顔をし、足を投げ出す。

 一方で、アリスは空気を読むことなく、満面の笑みで言った。


「そんなの決まってるじゃない。エディとコゼットよ」


「はぁ?」


 グレーズは素っ頓狂な声を上げた。


「どうして、うちのエディとコゼットをくっつけるの?」


 驚愕の色を浮かべている。そんなグレーズに対し、アリスは楽しそうに笑った。


「だって、エディったらコゼットのことすごく好きなんだもの」


「なんで分かるの?」


 訊いたのはアンリエッタだ。

 グレーズを押し退けて、興味深そうに真面目な顔をしている。すると、アリスは自分の鼻を指した。


「うふふ。私の鼻はね、恋の香りも嗅ぎ分けられちゃうのよ」


 得意げな口ぶりだが、アンリエッタはよく分かっていないようで、首を傾げた。


「なるほどねぇ……そういうことだったのかぁ」


 何やら思い当たる節があるような口ぶりのグレーズ。


「いや、だってさ。あれから今日まで、エディったら落ち着かなくって」


 グレーズは今朝を思い出して、うんざりした表情を見せた。



 起きてすぐ、ミルクでも飲もうかとマグを用意していると、エディが慌ただしく二着のタートルネックを突きつけてきたのだ。


「こっちの黒とチャコールグレー、どっちがいいと思う?」


 通勤前のバタバタした時間に、そんなことを言い始めるのだから拍子抜けした。

 しかし、どっちも似た色である。グレーズは適当に黒を指差した。すると、彼はチャコールグレーを選んだのだが……




「あれはそういうことだったのかぁ。たかが仕事に行くだけであんなに気にするなんて変なのーって思ってたからさ。ここ数日の謎が解けたよ。女子か、あいつは」


「コゼットが店に来るかもしれない、と落ち着かなかったのね……尚のこと、エディが可哀想だわ」


「なんで?」


 しみじみ言うアリスに、グレーズが問う。

 彼女はあっけらかんと返した。


「だって、コゼットったら彼との約束、忘れてたんだもの。店に行くって約束」


「うわぁ……」


「それは可哀想だわ……」


 グレーズだけでなく、アンリエッタも気まずそうに眉をひそめる。


「だから2人にデートさせるの?」


「そういうこと!」


 アリスは元気よく立ち上がった。そして大きく伸びをする。


「今日、コゼットは丸1日お休みだから、絶好のチャンスなのよ。まぁ、彼女は店に行くつもりなんだろうけれど、どうせなら2人で遊びに行ってもらいたいし……そこで、お願いがあるの」


 何か、嫌な予感がする。

 しかし、この件は気になることでもある。グレーズは複雑に渋い顔をさせた。


「ナンデショウカ」


「エディを監視してほしいのよ。私はコゼットをカフェに誘導させるから。2人が上手くいくように、出来るだけ協力してくれないかしら」


 アリスがウインクをして、拝むように手のひらを合わせる。グレーズは引きつった笑みを向けた。


「そ、それは依頼、ということでいいのカナ……」


「もちのロン!」



***



「――というわけで、カフェに来ました」


 アリスが意気揚々と仕事に戻ってすぐ、グレーズは4番街へ戻ることにした。

 その際、アンリエッタがグレーズのコートを掴んで離さなかった。「わたしも行く!」と興味津々の様子で。


 そうして、グレーズの空中爆走により数分後には4番街へ到着していた。


「ここが、エディのお店?」


「そう。ここがエディの職場。『ル・カフェ・デ・リラライラックのカフェ』です。僕も久しぶりに来たなぁ」


 ずっしりと重たいブラウンを基調とした重厚な景観。ガラス戸の奥はオレンジの照明がぼうっと温かみのある光を放っている。

 あまり明るくはないが、落ち着いた大人の店という印象を受けたアンリエッタは、僅かに腰が引けていた。


「こういう店、わたしにはまだ早いわ……」


「そんなことないよ。赤ちゃんのお客さんだっているし」


「それは親子連れってことでしょ! こんな、子供が行ける雰囲気じゃないわよ!」


「僕はもう15歳なんだけどなぁ……でも甘いマフィンとか置いてあるんだよ。おばちゃんがサービスしてくれるはず」


 玄関をひょっこりと覗くグレーズ。

 中では、エディがカウンターで新聞を読んでいた。


「今、すっごく暇そうだ。よし、行こう、アンリエッタ!」


「なんで急に乗り気なのよ! アンタ、まさか、マフィンが食べたいだけじゃないの!? あ、待って、ちょっと、グレーズ……!」


 カラン、とベルを鳴らしてグレーズは店の戸を大きく開かせた。


「いらっしゃ……なんだ、お前か」


 エディの愛想のいい笑みが一気に真顔へと戻っていく。


「やぁやぁ、お仕事はどうですかな、エディ。今日は僕たち、ランデブーなんだよね。ほら、お客さんの前でそんな顔しちゃ駄目だぞ」


 そう言ってグレーズはアンリエッタの手を引く。

 彼女は顔を俯けていた。恥ずかしそうに顔をしかめている。


「ほぉ。そういうこと。いいですねぇ、お前は楽しそうで」


 エディは溜息を吐いて素っ気ない。しかし、アンリエッタには飛び切りの笑顔を見せた。


「いらっしゃい、アンリエッタ。この馬鹿が迷惑かけてごめんな。本当に」


 しかし、彼女はグレーズの背に隠れてしまった。

 初めて会った時もそうだが、アンリエッタは相当な人見知りだ。


「エディ、ホットミルクとカフェオレ、よろしく」


「はいはい……ったく、飲んだら遊び行ってこいよ」


 エディは新聞を折りたたむと気だるそうに準備を始めた。




 さて。

 店に侵入することはまず成功した。後はこっそりと見守るのみ。

 コゼットの登場を待つだけだが、はてさてどうなることやら。

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