4件目:ラブラブ・ランデブー大作戦
第13話:夢に酔いしれて
夜の塔は、暗くて寒々しい。いや、元より塔は機械が半数を占めていて、人もただ作業を淡々とこなしておかなくてはならない。故に、塔の中は日中も暗いのだと、そう感じていた。
空気が暗い。冷たい。無機質で無感情。そんな場所に閉じ込められてしまったのだと、囚われの身となったのだと気づいた。
都市全体の時間やシステムを管理する為、家に帰って休むよりも塔の仮眠室で寝泊まりするほうが楽だと、上司からアドバイスを受けたら確かにその通りで、1番街にある自宅へはもう幾日も帰ってはいなかった。
――私は、
そう言い聞かせておけば、心は固く引き締まる。
仕事は綿密に、きっちりとこなしていく。その姿に、同僚たちは彼女に恐れを抱いていた。精密で良く出来た機械のようだと、彼女を生身の人間として見る者がいなくなる。
そんな最中のことだった。
「やぁ、コゼット。話は色々と聞いてるよ。君、優秀なんだってね」
堅苦しく、鬱屈としたモニタールームに現れたのは、柔らかくふわりとした甘さをまとう男。ぽやっと笑いかける彼に、コゼットは物怖じせず、ただ機械的に応えた。
「いえ。私はただ職務を全うしているだけです」
当たり前のこと。ミスのない正確さなど、当然のこと。それをただこなしているだけのこと。優秀でもなんでもない。出来なければ、やらなければいけないのだから。
そんな彼女に、彼はへらりと笑むと、なんと頭を撫でてきた。
「いやいや、当たり前だなんて思っちゃ駄目だよ。みんなが認めているんだから。君はもう少し自分を誇るべきだ」
「はぁ、そうでしょうか」
「そうだとも」
邪気のない暖かな笑みを向けられたのは、いつぶりだったか。
塔へ来て、期待をかけられ、応えて応えて応えて応え続けてきたけれど、誰も暖かく迎えようとはしなかった。冷めた目や口調に押しつぶされそうだった。
忘れようとしていた日々が一気に脳内を駆け巡り、全身が熱くなる。
「あれれっ? 僕、何か泣かせるようなこと言ったかな。すまない、悪かったよ」
「い、いえ……あの、あれ? どうして、私……」
涙が零れ落ちたことにすら、彼に言われなければ気がつけなかった。
自覚してしまえば、もう抑えることは出来ない。後から後から止めどなく流れていく。それは確かに、熱い、感情という名の雫だ。
それを掬い取るように、彼は指先でコゼットの瞼に触れた。彼の指もまた、暖かく、少し堅いけれど優しさが通っている。
「僕で良かったら、いつでも話し相手にはなるよ。あと、きちんと家に帰ること。まったく、みんな、家に帰るのを怠りすぎなんだよ。もう少し、上の連中をこき使ってもいいんだからさ。頼むよ」
「はい……ありがとうございます。室長」
思えば、彼との会話はこれが初めてだった。
塔へ勤めて1年だが、室長の姿は式典や公式の場でしか見たことがない。
コゼットは涙を拭いながら、彼を見上げた。薄い鳶色の肌はきめ細かく透き通っている。その透明感が眩しい。少年のようでもあれば、整った顔立ちのモデルのようにも見える。
ぼうっと見つめていると彼は、形のいい眉を下げて苦笑を見せた。
「マックスでいいよ。僕、君とそんなに歳は変わらないし、肩書きなんてどうでもいいしね」
愛嬌たっぷりに、彼はそう言った。
***
「――ちょっと、コゼット。まだまだ夜は長いのよ。こんなところで酔いつぶれてどうするの!」
いつの間に微睡んでいたのだろう。
背中をビシバシ叩かれて、コゼットは重たい瞼を持ち上げた。傍らでは、親友のアリスが頬を紅潮させている。
「んもう、せっかく久しぶりの飲みなのにぃ」
「アリスは相変わらず強いのね……もう何本目ぇ?」
情けない声で問えば、アリスは「むふふ」と唇を不気味に横へと伸ばした。
「3ほーん、いや、何本? ちょっと、マスター、今何本目?」
カウンターから身を乗り出してアリスが言う。彼女も大分、酔っているようだった。そんな彼女らに、初老のマスターは紳士的に笑みを浮かべる。
「5本目ですよ」
「だってさ。あははは! すっごいね! もうそんなに飲んじゃったのね! あははっ!」
「あぁ、もう、そんな大きな声で笑っちゃ駄目。どんだけ飲めば気が済むのよぉ」
酔いか、寝起きのせいか、語尾がだらしなく伸び切ってしまう。
しかし、アリスは気にも留めない。「ふふん」とニヒルに笑うとキリリと眉を立たせた。
「まだね。私にリミッターなんてものはないんだから。大体、コゼットは弱いわよ。3本目で眠りこけちゃって。私、気がついたらマスターとお話してたのよ」
いくら酔わないからと言っても、限度というものがある。東洋人に比べたら酒豪の方らしいのだが、それでも個人差はあるものだ。
それとも、才能持ちは皆がそうなのだろうか。どこか、身体の機能が常人とは別の……いや、考えるのはよそう。
考えに耽けてしまうと、せっかくのいい気分が台無しになりそうだ。
しかし、酔いで眠ってしまうなんて、やはり気を張りすぎていたのだろうか。去年よりも、その調節は上手く出来るようになったはずだし、家にも定期的に帰っている。彼のおかげで。
そうだ、そう言えば、あの頃の夢を久しぶりに見たことに彼女は気づいた。
「あれぇ? 何々? どうしたの、コゼット。そのにやけた顔はぁ」
目ざとく、アリスが顔を覗き込んでくる。慌てて顔を戻そうとしたが、一度緩んだ頬は言うことをきかなかった。
「もう、教えなさいよぉ。親友じゃない」
「だーめ。アリスには教えなーい」
「何よぅ、意地悪! 教えてくれたっていいじゃない」
ふてくされる親友を見やり、コゼットはクスリと小さく笑った。そして、残っていたロゼワインを口に含んだ。ピンク色の果実酒は、ほのかに甘酸っぱい。
こじんまりと、しっとり落ち着いたレストラン&バーにて。
二人はすっかり食事を終えており、今はバーカウンターで肩を寄せ合い、緩やかな時間を楽しんでいた。夜はまだまだ長い。
***
「それでね、えーっと、あぁ、そうだった。思い出したわ。私、コゼットに話があるんだった」
赤ワインをごくりと飲み、アリスが思い立ったように言う。
「話? どの話? て言うか、さっきから話してるじゃない」
「うん、いや、あのね。この間の、署内であった件」
アリスは声のトーンを落とした。
ひっそりとした口調に、コゼットはいくらか酔いが冷めていく。
あの署内発砲事件のことか。もう、あれから5日は経過している。
結局、あの日はアリスがベルモンド教授を丸一日追いかけても見つからず、それきりだった。
明日が全日休ということで、改めてアリスに連絡し、再会を祝おうと持ちかけたのだ。
――それなのに。
コゼットは伏し目がちに、グラスを傾けた。
「なぁに? 仕事の話?」
オフの時は全力で気を緩ませたい。そのせいか、自然と声音は厳しくなっている。
すると、アリスは手のひらをブンブン振った。
「違う、違う。そうじゃなくって。エディとグレーズのこと」
「エディ、とグレーズ……あぁ!」
脳内を巡る記憶。その中にある映像の端に、あの凸凹コンビが映し出される。
「そうよ。その話をしなくちゃ。すっかり忘れていたわ」
「私も忘れてたわぁ」
「忘れないでよ! そう、彼よ!」
アリスのお茶目なウインクを無視して、コゼットは彼女の肩を揺さぶった。
「ふぁっ、待って、コゼット、揺すっちゃ駄目ぇ」
「何、その嫌らしい声。やめてよ。それよりも、彼らは何者なの? 警部に訊いてもよく分からなかったんだけど」
やや興奮気味にまくし立ててしまうのは酒のせいか。
コゼットの勢いに気圧されるように、アリスは引きつった笑みを見せた。
「えっと、警部はなんて?」
「4番街のアンべシル……探偵って。それだけよ」
その答えに、アリスは「あちゃー」と苦笑した。
「まぁ、間違ってはないんだけれど……4番街にね、レグルス探偵事務所ってのがあるのよ。私たちも去年か今年の始めに出会ったんだけれどね、まぁ、言わずもがな彼らは才能持ちよ」
「うん。でしょうね。見てたもの」
アリスの説明に、コゼットは頷く。真剣な目で続きを待っていた。
「長身の彼、エディは遠距離感覚の才能。金髪のちっちゃい子はグレーズね。あの子は身体強化の才能。普段はあまりよく知らないけれど、たまに捜査に協力してもらうの。あの二人、ああいう事件にはすっごく役立ってくれるんだもん。警部は認めてないんだけれどねぇ……」
警察が民間人に事件の依頼をする、というなんとも不自然極まりない話に、コゼットは溜息を漏らした。
しかし、彼らは才能持ちだ。
いくら警察と言えど、特務課と言えど、事件のレベルによっては難を要することも勿論ある。
現に、才能持ちである泥棒二人組が、定期的に騒ぎを起こしているのだ。素性も分からず、警察も塔でもその二人組を追跡しているのに、一向に解決の目処は立っていない。そうなれば、機械よりも優れた「才能」を使うことも手段としては間違っていないのだろう。
――まぁ、才能を持たない私には未知の世界よね。
くいっと、グラスを傾ける。口に含んだ赤ワインはまろやかな口当たりなのに、すっきりとはしてくれない。
「と、まぁ、そういう繋がりがあるわけで。えっと、グレーズとは面識がないらしいけれど、エディはあなたもよく知ってるようね」
「んっ? え、あぁ、そうね、そうそう」
話を振られ、コゼットはゆっくりと飲んでいたワインを慌てて喉の奥へと流し込んだ。
「私が知ってる彼は、4番街のカフェ店員ってこと。ほら、塔へ配属される前は私、3番街に住んでいたじゃない? 通勤の前にそのカフェへよく行ってたのよ。そこの店員にそっくりで、びっくりしちゃった」
「どうして通勤前に4番街へ行くことがあるのよ」
アリスが詰め寄る。食いつくのはそこか。
「うぅん……だって、あのカフェ、3番街と4番街の境にあるんだもの」
それに、内装もヴィンテージで趣のある落ち着いた店だった。
大きくふっくらした店主の女性が優しく、甘いマフィンをおまけしてもらうこともあった。何より、エディの淹れるコーヒーが好きだったのだ。
自分と歳も変わらないだろうに、いい腕を持っているものだと感心するあまり、すっかり気に入ってしまった……ということは、アリスには黙っておこう。
コゼットは懐かしむように、吐息を漏らした。
たった1年、顔を出すのもままならなかっただけで、焦がれるように思えるのは、彼と再会したからか。
最後に会ったのは配属の前日だ。店主とエディに挨拶をしようと出向いて、そして……
――次、
コゼットはガタンっと席を立った。
突然のことに、アリスが驚いてワインを吹き出す。
「うっ、っは、ごふぁっ……え、何、急にどうしたのよぉ」
「アリス……私、やっちゃったわ……」
「な、何を?」
ただならぬ様子に、アリスは口元を拭いながら問う。一方、コゼットはあわあわと焦りを見せていた。
「や、約束をしてたの、忘れてた……ああっ」
「約束? エディと?」
コゼットはこくりと頷いた。そして、力が抜けたようにストンと椅子に戻るなり、頭を抱えた。
「……マスター、彼女にキールを一杯お願い」
コゼットの落ち込みように、アリスは怪訝な目を向けながらマスターを呼ぶ。すぐさま置かれたグラスをコゼットに渡した。彼女は未だ、放心している。
「……エディ、待ってるんじゃないかしら」
「かも、しれない」
「かも、じゃないわよ。彼、あなたに気があるもの」
「え?」
ごく自然な口調に、コゼットはきょとんとした目を向けた。
「いやいや、そんなことないでしょう。アリスったら、馬鹿ね」
あるわけがない。だって、彼とはろくに話をしたことがないのだから。名前だって、最後のあの日に聞いたほど。
キールの甘さで落ち着きを取り戻すも、コゼットは約束を忘れていた罪悪感と戦っていた。
その隣では、アリスがじっとりとした目を向けていた。
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