第12話:行ける所まで行き、然るべき場所で死ね

 ヴィアン警部が探偵相手に息巻いていた頃、アリスは特務課の簡易キッチンで湯を沸かしていた。


 インスタントコーヒーの粉末をカップにざらっと落としていると、ほんのり薔薇の香りが敏感な鼻をくすぐる。

 コーヒーのほろ苦さを掻い潜るほど、彼女の香りは強く甘いのだ。


 振り返れば、やはり親友の顔が見えた。


「あら、コゼット。今、コーヒーを持っていこうと思っていたのよ」


「残念だけれど、後にしてちょうだい」


 すぐさま返ってくる冷めた声に、アリスはきょとんと目を丸くさせる。


「どうしたの?」


「警部からあなたへ伝言を頼まれたわ」


 カツカツとヒールを鳴らしながら、彼女は無表情にアリスの元まで歩く。そして、一言一句違えること無くサラサラと言った。


「オーギュスト・ベルモンドを捜索するように、とのこと」


「あらまぁ、結局そういう方向に落ち着いたわけね。なんとなくは分かっていたのよ。私の鼻が教授の存在を感知していたから」


 うふふ、と得意気に笑うアリスだが、コゼットはまったく表情を変えずにただ佇んでいるだけ。


「それじゃあ、コーヒーを出したら行ってみようかな。あの教授を探すのは骨が折れそうだけれど……そうだ、コゼットも一緒にどう?」


「私も?」


 初めて彼女は眉を上げて、困惑の表情を浮かべた。


「うん! ……て言うか、今は二人きりなんだからそう固い顔しないでよ。ほうら、スイッチオフ!」


 アリスは明るく言い、コゼットの鼻先で指をパチンと鳴らした。

 すると彼女は、驚いたように目をパチクリさせる。徐々に頬の緊張が解けていき……コゼットはゆっくりと息を吐いた。


「ふぁー……あぁ、もう、署ではあんまり気を抜きたくないんだけど。そう言われちゃ仕方ないじゃない」


 無色の声が一気にふわりと彩りを含む。

 コゼットはふにゃりと笑むと、アリスの首に腕を回した。


「うぅん、疲れたわぁ。私、今日はオフだったのに、顔出せって局長が言ってくるからぁ、もう……」


 彼女が近づくと、アリスの鼻腔はむせ返るような薔薇で埋まった。

 強い花の香りは、花粉症を自称するアリスに難敵である。あたふたと両腕を振った。


「あ、待って、コゼット、くしゃみ、が……あふ、ふぁっくしょん!」


 我慢出来るはずがなかった。


 そんな親友同士の熱い抱擁は、くしゃみだけでなくとも遮られることになる。

 廊下の奥が騒がしい。ざわめきはキッチンまで伝うのに時間はかからなかった。

 二人はひょっこりと廊下へ出て様子を窺う。


「どうしたんだろ」


「うぅーん、何か、火薬……の臭いがする」


 アリスは鼻を利かせた。

 仄かに漂う硝煙が微かに感じられるところ、恐らく1階にて誰かが発砲したに違いない。


 すると、コゼットは仕事スイッチをオンにさせた無機質な声で言った。


「そう言えば、私が署へ来た時、あの取調室から大きな音が響いてきたわ。よくは見えなかったんだけれど、誰かがあの部屋から落ちたみたい。そのせいで、壁に張り巡らされたセキュリティシステムが乱れを起こした、ってところでしょうね」


「あ、それ警部だわ。グレーズに殴られて、壁をぶち抜いちゃったのよ」


「何をどうしたらそうなる……あぁ、でも、警部なら大したことないわね」


 信頼しているのか違うのか。しかし、それを咎める者は警部以外にはいない。

 アリスは溜息を吐いた。これは、発動要請がかかりそうだ。


「さて、どうしましょうか。警部ならもうとっくに察しているのでしょうけれど……」


 言っている内に、風のように走り抜けていく姿が二人の目の端を横切った。仕事モードのコゼットでさえ首を傾げる。


「あれは、警部?」


「みたいね……え、でも、騒ぎの方とは逆を行っているような……」


 程なくしてまた別の、二つの人影がバタバタと現れた。背の高い男と小柄な金髪。エディとグレーズだ。


「あ、アリス! 警部知らない!?」


 背後のエディは息を切らしているのに、グレーズは平然としており、ただ急ぐように足踏みをする。


「警部はあっちよ。グレーズ、捕まえてきてくれる?」


「……もうとっくに行ったよ、あいつ」


 上がった息を整えるように、エディが言う。

 アリスとコゼットは揃ってグレーズの去った方向を見やった。既に跡形もない。


「――ねぇ、エディ。1階で何が起きてるか見えるかしら」


 アリスの問いに、エディは「こほん」と一つ咳払い。ようやく整ったのか、彼はとんとんと爪先で廊下を小突いた。


「1階のホールで発砲。二発か、そんくらいの穴が壁に空いてるな。見た目は屈強な男二人組。強盗、かなぁ……すっげえ喚いてるけど。うるさすぎて分からんね」


「そう……やっぱり、発砲か。嫌ね、本当……」


 アリスは困ったように眉を下げて、頼りなく笑った。


「とにかく、俺は先回りして1階に行ってみるよ。いや、先にグレーズが警部連れて向かってそうだけど……っと、アリス、湯が湧いてるようだぞ」


 エディはキッチンを指し示すと、コートを翻してまた走り出した。

 ちら、とコゼットを見たように思えたが、アリスは気にせずキッチンへと戻っていく。慌てて火を止めるが、ケトルから湯が沸き立っており、電子ヒーターが湯を浴びていた。


「……ねぇ、アリス」


 スイッチオフのコゼットがおずおずとアリスの背後に忍び寄る。


「あの、さっきの彼は……」


「あぁ、エディよ。あれ? あなた達って知り合いじゃなかったの?」


 湯を拭き取りながら問うと、コゼットは首を横に振った。


「ううん。知ってるから、びっくりしちゃって……しかも、さっきは取調室で寝ていたからどういう経緯でああなったのか、なんだかこんがらがって。彼って、確か、4番街のカフェで働いてるはず、なんだけれど……」


 アリスはハッと息を飲んだ。

 普段はのんびりと回転している脳内だが、こういう類の話ならば急速に回転する。「うふふ」と思わずにやけてしまった。


「え、ちょっと、アリス? なんなの? どういうことなの?」


「ふふーん♪ まぁまぁ、積もる話は後にしましょ」



 ***



 グレーズは廊下にヒビが入らぬよう、注意して駆けていた。あまり大きく踏みこむと床はおろか、建物を張り巡らせる鉄やらシステムやら電気やらを全て破壊しかねない。

 それでもやはり、警部には追いつける。


「警部、そっちじゃないって! ちょっと、とにかく止まれ!」


「何!? グレーズ、いつの間に!」


「いや、もうそんなんどうでもいいから、止まれっての!」


 宙を飛んで、彼の頭上を飛び越えるとグレーズは警部を押さえ込んだ。


「逆方向だって。エディが言ってたよ」


「えっ」


 警部は驚きの顔を見せた。


「まったくもう、世話が焼けるなぁ! とにかく、1階のホールまで僕が警部をぶん投げるから、それでいいよね」


「え? いや、ちょっと待て、グレーズ……」


「待ちません!」


 未だ困惑する警部を問答無用で抱え上げる。そのまま勢いよく、建物の中心地まで加速した。吹き抜けになった中心部からすぐ下は1階のホールである。


 そろそろ見えてきた。


「っし……そぉーーーーーーーれっ!!」


 宣言通り、グレーズは警部を思い切り階下へと投げ飛ばす。

 されるがまま、投げられるがままで警部の体は下へ下へと真っ逆さま。


 グレーズは投げ出しそうになりながらも手すりに捕まる。

 その様子を、エディはエレベーターの中から眺めていた。


 辺りは騒然を極める。何せ、人が一人落ちてくるのだから、さすがの強盗犯も動きを止めて唖然とする。


 警部は風圧をもろともせず、ただそのまま落下した。着地点が見えてくる。

 途端、彼の体は急激に落下速度を落とした。そして、両の足を宙に踏み出してゆっくりと着地する。


「まったく、手荒い真似をしやがって……」


 小さく愚痴をこぼしながら、警部は腕をまくった。黒い革手袋をはめた手のひらを握り締め、ズカズカと早足で強盗犯の元へ行く。


「な、なんだ、お前!」


「おい、まさか、才能持ち……?」


 途端に慌てふためく強盗二人。その屈強な男たちは警官から奪ったであろう拳銃をすぐさま警部に向けた。


「止まれ! 止まらないと……」


「えぇい、もう撃っちまえ!」


 二人が同時に発砲する。

 その音がこだまし、じっと壁際で身構えていた警官らが息を飲んだ。


「阿呆が……撃っても弾の無駄遣いだぞ。諦めろ。俺には


 警部は手のひらを顔面にかざしていた。

 そこには勢いよく回転する弾が二つ。回転は徐々にスピードを落とし、やがては床に転がり落ちていく。


「お前たちがどうして捕まったか、その程度が知れたな。相手がどんな奴か見極めず、ただ闇雲に攻め入るのは愚か者であると相場は決まっている」


 男二人は半狂乱になりながらも、無傷で向かってくる警部を撃ち抜こうと躍起になっていた。

しかし、警部は銃口が額に当たってももろともしない。


「なんなんだよ、こいつ!!」


「フン……俺はジャメル・ヴィアン警部だ。あらゆる危険をも察知し回避する才能を持つ。よく覚えておけ」


 拳銃を握り締め、そのまま勢いよく屈強な男を床へ叩き落とす。

 片方は後退り、出口へと走った。


「なんなんだよ、あんなのがいるなんて!」


 パニックを起こし、ひーひー喚いている。その後を追おうと、周囲の警官が足を踏み出すも先に、強盗犯は何かに足を取られてすっ転んだ。


「おー、間に合ったな。ったく、なんであんなにエレベーターおせえんだよ。改造しろ」


 背後から声がして振り返れば、片足を上げたエディが笑っていた。


「普通に落ちた方が早いよね!」


 グレーズも壁を滑って降りてくる。

 安穏とした探偵二人を見やり、警部は溜息を吐いた。


「……頼んでないんだが」


「おやおや? 今さら何を言うんだか。せっかくアシストしたんだから、素直に礼くらい言ったらどうなんだ」


 押さえつけられた強盗犯を眺めながらエディが言う。


「頼んでないからな、礼は言わんぞ」


 警部は頑なに言い張ると、捕まえた男を他の警官に任せた。既に戦意喪失した強盗犯である。


「しかし……巻き込んで悪かったな」


 小さくぼそぼそと低い音が警部の背中からくぐもって聴こえる。

 エディとグレーズは目を瞬かせた。


「え? 何? 今、なんて言った?」


「警部! やっぱ頭打ったんじゃない? 大丈夫?」


「うるさい、黙れ! もうやかましいから帰れ、お前たち」


 言い寄る二人をあしらうと、警部は頭を掻きながらホールの奥へと早足で行く。

 その背中を見送って、二人は苦笑しながら署を後にした。



 ***



「ヴィアン警部」


 機械音のように冷たい声に振り返ると、毅然とした佇まいのコゼットがいた。


「先ほどの件は私から塔に報告を入れておきますわ」


「あぁ、そうか。助かるよ、塔への連絡は少々、面倒でな……あぁ、いや失敬」


 警部は安堵するように息をついた。そんな彼をコゼットは見上げるようにじっと眺める。


「……何だろう?」


「いえ。それと、アリス・ロマンはベルモンドの捜索へ向かわせました」


「あぁ、重ねて申し訳ない。君、今日は非番だったよな。巻き込んですまなかったよ」


 警部は口元を緩めて眉を下げた。先ほどから、コゼットは他にも何か言いたげなのだ。


「えぇと、何か……?」


「あ、いえ……えーっと、あの、ヴィアン警部……」


 段々、消え入りそうな声になるコゼット。もう完全にオフモードだ。


「その、今日、取調室にいたあの二人……特に背の高い男性の方なのですが……彼らは、何者なんでしょうか」


 目を逸らし、恥じらうように小さく問う。

 一方、警部は「あぁ」と疲労を交えた声で返した。


「彼らは4番街の愚か者アンベシル。探偵だよ」



【to be continued……】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る