第10話:役割は均等に

「とにかく、僕の話を聞いてもらいたいんだけどね。その前に僕は一つ、警部に約束をしてほしいんだ」


 ふんぞり返って椅子に座るグレーズは、机に足を置いて腕を組んでいる。エディの眼鏡をかけて、向かい合う警部を睨んだ。


「なんだろう……」


「話を聞いて。それだけさ。あのね、そもそもに警部は人の話をきちんと聞かないのが駄目だと思うんだよ」


「はぁ……」


 なんとも腑に落ちない様子の警部だが、まさかこの馬鹿者から上司と同じ指摘を受けるとは思わなかった。


「そうやっていつもいつも誤認逮捕ばっかするから、僕らやあの泥棒さんたちみたいなのを相手にしないといけないんじゃない? しっかりしなよ。じゃなきゃ、アリスが可哀想だろ。上司がそんなんじゃ部下はとても安心なんか出来ませんよ。ねぇ、アリス」


「まったくもってその通りです。グレーズ様」


 横で控えていたアリスが恭しくかしこまる。いつの間に手懐けたのだろうか。


「いいかい、僕らはね何も間違ったことはしてないんだよ。一つもね」


「うーむ……しかしだな、証拠は全て揃って……」


「いんや、揃ってないね」


 きっぱりと断言するグレーズ。警部はその鷹のような目を見張った。

 その様子にグレーズはニヤリと笑った。


「警部、それは状況証拠に過ぎないだろう? 僕は物的証拠を求めているんだよ」


「……お前、意味分かって言ってるのか?」


 なんとなく気になったのか、警部がおずおずと訊く。すると、グレーズはニヒルに笑い、更には高らかに笑った。


「あーっはっはっはっは……分からん!」


 そうだろうとも。


「でもぉ、状況証拠と物的証拠の違いってなんなんですかねぇ」


 アリスまでもがのんびりと言う。警部は頭を抱えた。


「よくミステリーや刑事ドラマで聞くよね。結局どっちも証拠だろ? って思っちゃうし、何がどう違うのかさっぱりだよねぇ」


「ねぇ」


 この有様だ。ヴィアン警部は深い溜息を吐いた。

 仮にも警察と探偵がこんなことを言い合っていたら、もう話にならない。


「はぁ……まぁ、しかし、物的証拠と言えるものはないんだがな。当たり前だ。エドガーは遠距離感覚の才能持ちだから。証拠を残さずとも容易に放火も出来れば消火も出来る。それくらいはこちらも熟知しているのだ」


「ふうん……それで僕たちに、いちゃもんつけてきたわけだ」


 なるほど。この石頭もただ単にエディと相性が悪いというだけで逮捕などという強行に出たわけではないらしい。


「いや、まぁ個人的にも気に食わん箇所はあるんだがな。それも含まれるな」


「立派に職権乱用だね!」


 あっけらかんとした警部の物言いにはグレーズも驚きを表す。


「やっぱり誤認じゃん! 不当だ! 横暴だ! ねぇ、アリス、これって訴えることも出来るよね!」


 勢いよくズドンと机を叩くグレーズ。鋼鉄の机にヒビが入りかけ、警部はヒヤヒヤしたが、そんなことに構ってはいられない。


 一方で、アリスは「うーん」と唸り、明後日の方向を見ていた。


「訴える、ことも出来るんじゃないかしら。ねぇ、警部」


「え? うーん……」


 思わぬ振りに警部はどもって唸る。それをグレーズとアリスがじっとりと見ていた。


「な、なんだ、お前たち」


「警部、は均等にしなくちゃ駄目ですよぅ」


「役割?」


 アリスから謎の言葉が出現し、警部は首を傾げる。


「そうそう、役割だよ。僕らの役割、分かってないなあ」


 グレーズも呆れ口調。

 急に何を言い出すのか。警部はなんのことかさっぱりで、助けを求めるように再びアリスへ視線を向けた。しかし、彼女はニコニコと笑顔を浮かべている。埒が明かないのでそろそろとグレーズを見た。


「あのね、警部」


 何やら神妙に口を開くグレーズは、両の指を組んで眼鏡を光らせる。


「今、僕らは危機的状況に陥っているんだ。分かる? ただただボケ倒しゃいいって状況じゃないんだよ。分かるかな? 実はアリスもよく分かってなさそうだから言うけどね、今、僕ら3人は危機的状況に陥ってるんだ」


「何だと?」


 警部は己の耳を疑った。

 危険を察知するのは実は彼の得意分野である。確かに、耳の奥では微弱な耳鳴りがし、警鐘を鳴らしているのだがそれはグレーズという破壊神が目の前にいるからであって、特にこれといった危機的状況とやらには陥っていないと判断していた。

 アリスもそれに気が付いたらしく、警部を怪訝そうに見る。

 彼が察知していないのだから、どこに危機が潜んでいるというのだろう。


「一体、どういうことなの? グレーズ」


 問うと、グレーズは勿体つけるように人差し指をゆっくりと伸ばした。そして、重々しく言う。


「エディがいない今、的確に鋭いを入れる人がいないのさ」


 衝撃が走ったかはともかく、警部もアリスも思わず驚愕の表情を浮かべた。

 グレーズの頬にも、冷や汗が滑り滴っていく。


「こうなったらもう、役割をローテーションしなくちゃダメだ。今さっき、僕がやんわりツッコミを入れただろ。だから次は警部の番。でないと回せないの。エディが起きる時間まで上手くこの3人で回さないと駄目なんだよ。お分かり?」


 何故か、ぐうの音も出なかった。正論のように聞こえる。いや、むしろ正論なのか。

 エディもそんなに激しいツッコミが出来るわけではないが、いないよりはマシだ。それに気がついた警部は手のひらに顔を埋めた。


「大体、僕は『馬鹿』っていう役割なはずなのに、君らのせいでべらっべら喋らされてるんだよね。僕、どっちかというとオチ担当のはずなんだけど。さすがに酷いから言うけど、僕から暴れさせる場面を奪ったら何も出来ないの! だから、今からちょっと壁ぶっ壊してくるけどいい? おーけい?」


「あぁ……うん、分かった。そしたら、ええと……俺たちが『逮捕』って言えばいいんだな?」


「だから、そうやってボケを吸収するなぁぁぁぁっ!!」


 グレーズは警部の顔を手のひらで思い切り叩いた。

 ガシャンと椅子が音を立てて倒れ、そのまま警部は壁に激突し……壁が破壊された。


「警部ーーーーっ!!」


 外へ飛び出していく警部。それを呆然と見送るアリス。その足元ではすやすやと寝息を立てるエディ。

 グレーズは鼻息荒く、肩を回した。




 壁に穴が空いてしまい、隙間風が吹く。

 そんな取調室に、ヴィアン警部は割とすぐに戻ってきた。顔に傷ひとつない。当たり前だ。それが彼のなのだから。


「グレーズ。君には色々と言いたいことがあるんだがね……」


「その前に、警部は僕の話を理解出来たの?」


 ボケを吸収されたせいで、苛立ちを露わにするグレーズ。そのただならぬ怒気に、警部は気まずそうな顔を浮かべた。


「ええと、はぁ、まぁなんとか……ああいう場合は、ツッコミ? を入れるんだよな、OK。大丈夫だ」


「ぜんっぜん大丈夫じゃなさそうだね」


 今や、警部は一番頼りない存在と化している。グレーズは冷めた目で見やると溜息をついた。

 その態度には、さすがの警部も黙っていられない。


「大体、アリスはどうなんだ。こいつ、何もしていないじゃないか」


「警部、そうやって自分を棚に上げるのは良くないですよぉ」


 すかさずアリスが言うが、確かにその通りだ。彼女はただぽやっと突っ立っており、たまにエディのコートを探っては持ち物をくんくん嗅いでいるだけで特にこれといった仕事はしていないのだ。

 すると、グレーズは呆れた口調で言った。


「アリスは『おっぱい要員』だからいいんだよ」


「は? え? ど、どういう理屈だ?」


「そのまんまだよ。立っているだけでいい。場面の端々におっぱいがあると分かるだけで充分な存在感。むしろ、僕と警部はおっぱいの背景と言ってもいいね」


「だからどういう理屈なんだ!」


 意味が分からず、警部は思わず声を荒げた。机を叩く。

 すると、その勢いの良さにグレーズは思わずパチパチ拍手した。


「そう、それ! そういう感じでいこう、警部!」


「お、おぉ……こうか。なるほど。心得た」


 本当にそれでいいのかどうなのか。

 しかし、グレーズに褒められたことで警部は僅かに表情を綻ばせた。


「よーし、この感じでいこうか。アリスもガンガンいこう! なんか言いたいことあったら遠慮なく言っていいよ」


「うーん……そうねぇ……あ、そうだわ。警部。エディのコートから貨幣カードが出てきたんですけれどね、元の持ち主はベルモンド教授のものみたいです」


「ついでのように報告をするのはどうなんだ……あ、いや、これもきちんとつっこむべきなのか……? うーむ」


 警部は腕を組んで唸った。

 とにかく、この男は真面目なのだ。なんでもかんでも真に受けてしまう。


「悩んじゃったら駄目だよ。こういうのは勢いでやるものだから」


 こうも流れが悪いと、いちいち躓いて進まなくなる。

 グレーズは腕を組んだ。警部も倣って腕を組むと唸る。ついでに、アリスも真似をする。


「――やっぱり、僕ら以外にちゃんとした人を加えないと駄目なんじゃないかな」


 しばらくの沈黙後、グレーズが投げやりに言った。


「ちゃんとした人……それってつまり、この流れを勢い良くテンポよく運んでくれる人ってことかしら」


「そうそう」


「ちゃんとした人か……困ったな。テキパキと話を進めてくれる人、がいいんだよな? 誰が適任か……」


 ツッコミを意識していたはずなのに、警部も緩い空間に溶け込んでしまっている。今や脳内では誰を派遣してくるかで手一杯だ。


「うーん……誰か、テキパキ、ハキハキとこの状況をさばいてくれる人……あ、そうだわ」


 唸る音と寝息と隙間風が鳴る部屋の中心で、アリスが名案を思いつく。彼女はにっこり微笑んで言った。


「コゼットを呼んできましょう」

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