第7話:予知の先にあるセカイ

 翌朝。

 灰色の空は分厚く濁っており、一雨きそうな悪天候だった。都市を覆うほどの雨雲は動きが早く、宙を見上げたエディは眉をひそめた。


「本当、腹が立つほどあの人の予知は正確なんだよな……」


 小さな折りたたみ傘をコートのポケットに仕舞う。その後ろではグレーズがコートのフードをかぶって外の様子を窺っていた。


「……俺、今日行くの嫌だなー」


「はぁ? この期に及んでまだそんなこと言ってんの?」


 エディの陰鬱な空気に、グレーズは素っ頓狂な声をかぶせた。


「いや、だって雨だしさ。お前、一人で行ってこいよ」


「やだよ。なんで僕だけなのさ。教授が言ってたろ、三人で万歳するって」


 依頼達成の万歳はさぞ気持ちが良かろう。その時には雨雲だって晴れているはず。

 しかし、エディはやる気がなく、そんな希望は持ち合わせていない。


「それが本当だといいんだけどな」


「本当に決まってる。さ、行くよ! もう、しょうがないから僕が運んであげる」


 そう言うと、グレーズは返事も待たずに彼の腰を持ち上げた。頭上に掲げる。


「おい! 待て待て待て。ちょっと待て! 降ろせ! このクソ馬鹿力!」


「うるさい、クソ眼鏡! 行くったら行くよ」


「分かった! 分かったから、せめて、それだけはやめろ!」


 金髪の上でバタバタと慌てるエディに、グレーズはにんまりと笑みを向けた。

 いつもは物静かな彼が慌てふためく様は至極、愉快である。

 昨日といい今朝といい彼の調子はいつもとは違う。なんだか緊張しているような。いや、浮き足立っているような。とにかく調子が悪い。


「じゃあ、おんぶして連れてくよ。しょうがないなぁ、まったく」


 そうして有無を言わせず、彼を背負ったままで足を踏み出した。背の高い男一人くらい、易々と持ち上げられる。そのままジャンプするのも勿論のこと。

 それに、エディはこの空中爆走に慣れていた。寝坊をした時は基本、グレーズに送ってもらうのだ。


「ねぇ、エディ」


「なんだ。脇見運転はあぶねーぞ」


「僕はタクシーじゃあないんだけどね! いや、あのさ、エディがなんか調子悪そうだから……教授が言ってたのって……」


 そう。コゼットがどうとか言っていた。それは一体、誰なのか。


 あんなにも取り乱すのだから、何かその人物に弱みでも握られているのだろうか。

 しかし、どうにも(今朝まで忘れていたこともあったが)言い出せずにいた。教授には何も聞くなと言われたが……もやもやとむず痒くて仕方ない。

 風に晒した金髪の向こうで、エディは苦虫を噛み潰したように渋い顔をさせていた。


「なんでもねーよ。別に」


「ふうん?」


「ほら、もう着くぞ。お前、次、壁ぶっ壊したら頭叩くからな」


 背の高いアパートが並ぶ1番街。その奥には木で囲まれたレンガ造りの大学が大きくどっしりと構えている。


「わかっ、てる、よっ!」


 タン、タン、タン、と僅かに力の加減をイメージして石壁に足を付ける。そして、そこから一気に駆け下りると、グレーズはようやく地面に着地した。その金髪をエディが、くしゃりと撫でる。


「ご苦労さん。さて、と。教授をお迎えにいきますか」


「行きますかー」


 コートをはためかせ、そびえる門を眺める二人。三角屋根の天辺には、暗雲が広がっていた。



***


「やぁ、待ちわびたよ。エドガーが駄々を捏ねているのではないか、と心配していたんだがね。どうやら杞憂だったようだ」


 そう前置きをしながら、ベルモンド教授はにこやかに二人を研究室へ迎え入れた。

 エディの顔がみるみるひきつる。


――絶対見てやがったな、このおっさん……。


 しかし、そうは言えないエディは顔をしかめるだけだった。すると、傍らのグレーズが軽々しく口を開く。


「ちゃんと連れてきたよ! まったく、エディったら今朝から変なんだ」


「グレーズ!」


「ははっ。なんだ、大当たりだったようだ……さて、エドガー。君はまずこちらの仕事をしてもらわなくちゃ困るのでね。私情は慎みたまえよ。何、きちんと報酬は払うさ」


 教授は細長い指をびしっと突きつけてきた。思わず仰け反る二人。


「さぁ、始めようか。至極最高の悪巧みを」


 教授は口ひげの下から真っ赤な舌を覗かせて笑った。




 さて、手筈はこうだ。

 とにかく教授が「被害者」を装う必要がある。

 それには、教授をがんじがらめに縛り上げて、さながら強盗の如く探偵の二人は猛威を振るわなくてはならない。


 教授が持つ電磁波誘導体のスイッチを押せば、水槽の水が噴射し、辺りに巻かれたマグネシウムが化学反応を起こす。すなわち、発火だ。

 こうしてあたかも爆発が起きたように見せかけられ、小さなボヤ騒ぎが出来上がるわけだが……


「とにかく、君たちは悪さながらの不良学生を演じていればいいのだよ。それくらい出来るだろう? なんて言ったって、4番街一の探偵なのだから」


「あー、はいはい。やります。やれます。やりゃいいんでしょ、やりゃあ」


 適当な承諾をするのはエディ。どうにも彼はやる気が見られない。対し、グレーズはやる気満々。


「おっしゃー! 頑張るぞ! えっと……不良ってどうしたら出来るかな? こう? おりゃー、ガラス割ったろかい、おりゃぁー」


「グレーズ、無理しなくていい。自然にしろ。ただ窓ガラスでも破壊しときゃいい」


「いや、窓ガラスを破壊されたら困るのは私なんだがね。ボヤだけでいいんだよ……そこまで頑張らなくていいから」


 これでは膨大な資料と研究材料と成果が全て破壊されそうだ。教授は冷や汗を浮かべたが、今更それらを犠牲にするのは致し方ない。

 そうまで成し遂げなくてはならないのだから。


「よし。時間まであと1分を切った。君たち、準備はいいかね?」


「はーい」


「おーう、かかってきやがれ!」


 何の装備もしていない二人に対し、教授はゴーグルをしっかり装着。柱に括りつけられたままで検討を祈るのみ。


 爆発まであと……


「――アン……ドゥ……トロワ!」


 !!!!!


 途端、エディの近くに置いてあった水槽が大きな音を響かせて爆発した。思わぬ爆破の威力に、エディは顔を袖で覆う。


「わーお! 壮大だね!」


「馬鹿! 言ってる場合か!」


 水槽は粉々に砕け散り、電気に充てられて眩く光を放つ。すぐさま煙塵と化し、舞い上がった。

 その塵を吸い込まぬよう、エディはコートでグレーズを覆った。

 水が噴射し、辺りに散乱したマグネシウムに溶け込んでいく。教授との間に火の壁が出来上がる。


 エディはグレーズの頭を押さえたまま、火の奥にいる教授を見やり舌打ちした。


「クソッ、めんどくせぇ」


 指先を教授に向けると。そうすると、あっという間に教授の縄が解かれた。


「教授、大人しくしとけよ!」


「はーい」


 間の抜けた返事を無視し、彼は手の平を天上に向ける。そして強くと、教授の体が浮き上がり火の壁を飛び越した。


 瞬間。


 発火、よりも爆破が正しい。化学反応を起こした物質は予想外に大きな反応を表した。

 大きな音を轟かせ、研究室は瞬く間に炎に包まれる。


「おい、ベルモンド教授! これがお前が予知した結果か!」


「うーむ。おかしいなぁ……私の予知ではここまででは……」


 しかし、逃げる方が先決だ。教授のとぼけた言い訳は後回しにし、エディは引き寄せた教授をそのまま部屋の外へ放った。


「グレーズ、教授を抱えて外に出ろ」


「分かった! でも、エディはどうするの?」


 コートの下でもごもごとグレーズは言う。今や、部屋は火の海だ。特に、この研究室はこの時世には珍しく紙が多い。あっという間に火の餌食となっていく。


「ギリギリまでなんとかする。いいから、ほら、さっさと行け!」


「うわっ!!」


 思い切り突き飛ばされ、グレーズは教授と共に廊下へ転がった。エディのコートを脱ぎ、傍らの教授を引っつかむと、言われた通りに窓から飛び出す。

 上空を飛び、とにかく校舎の屋根まで行く。研究室の場所を振り返ると、炎の赤が手を伸ばすように揺らめいていた。


「教授! ねぇ、あれ、どういうこと!? エディはどうなるの!?」


 着地するなり叫ぶ。すると、教授は気まずそうに頬を掻いた。


「いやぁ……君たちってば、毎度毎度、私の予知を軽々と飛び越えてしまうねぇ。あれほどの威力とは思わなんだ」


 しかし、グレーズはそのターコイズの瞳を僅かに潤ませていた。それを見れば、さすがの教授も狼狽えてしまう。


「大丈夫だ。大丈夫。彼が死ぬなんてことはないから、絶対に」


「本当? 本当だよね?」


「あぁ、本当だ。なんなら、見せてあげよう。少し先の時間を」


 そう言うと教授は、グレーズの額に人差し指を当てた。


 瞬間、目の前が赤に塗られる。

 その中で動く人影。みるみるうちに収縮する炎。その真ん中に、エディの涼しげな顔が……


「どうだい? 無事だったろう。私の見立てでは、もう間もなくだよ。彼の才能は確かに一流だね……本当に、抑えているのが勿体無いくらいだ」


 グレーズは目を瞬かせて、眉をきりりと立たせた。


「うん。僕なんかよりも凄いんだ、エディは」


「そんなことはないさ。君もいい力を持っている。炎が消えたら迎えに行くといい」


 言っているうちに、階下が騒がしくなってくる。すると、あんなにも猛威を奮っていた炎が徐々に沈下していった。

 グレーズの顔がパァっと明るくなる。


「教授!」


「うむ。それではグレーズ、迎えに行ってきたまえ。私は学内から先に出て門の前で君たちを待っておこう」


「分かった!」


 言いながらすぐに宙へと足を踏み出すグレーズ。ふわりと飛ぶと、その緑色のコートは素早く壁を滑った。

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