第6話:教授式、時間の有効活用法

「まぁ、適当に掛けたまえ」


 そう言ってベルモンド教授は、コートを玄関脇のポールに引っ掛けると、すぐさまキッチンへと向かった。

 本当にコーヒーを御馳走してくれるらしい。


 エディとグレーズは顔を見合わせた。


「今日の教授は、えらくご機嫌だね」


「あぁ……なんか、嫌な予感しかしない」


 ひっそりと話していると、奥から慌ただしい音が響いてくる。


「踊ってんのか、ってくらいバタバタしてるね」


「うん」


 怪しむ二人はそろりと居間へ向かった。

 こじんまりとした教授の部屋は、書類や服が散乱している。

 あまり手入れのされていない革張りのソファ(下着や靴下を床に投げて)に腰を落ち着けて、とにかく彼の帰りを待っておく。


 程なくして、教授はトレーに3つのカップを置いて現れた。


「いやぁ、楽しくってね。踊っていたら、少し湯を沸かしすぎてしまったようだ」


「ほんとに踊ってた!」


 この陽気さは異常だ。

 普段の教授は確かに常人よりはテンションが高めではあるのだが、ここまでくると熱にうかされているか、何かに寄生されているのか、はたまたアルコールか薬物か、不安要素がどんどん浮かび上がり、心配になってくる。


「グレーズはシロップ多めだったかな? エドガー、君はブラックだったね。さ、どうぞ。最高級の品を先日、手に入れてね。専門家の君は舌が肥えているから、良質なものを仕入れようと思って。あの手この手でようやく入手したんだよ」


「はぁ……それはどうも」


 怪訝な顔ながらも、エディは真っ先にコーヒーを手に取った。

 マイルドで甘みのある、しかし、やはり湯が煮えすぎており、更には抽出の手順が荒々しくて味が僅かに劣っている。


 一方、隣のグレーズは味に頓着がない。

 むしろ甘めのものを好むから、立ち上る湯気までがシロップの甘さを帯びている。ごくごくと喉に流し込み、ぷはーっと息をつく。


「ごちそーさま!」


「うむ。それでは、話をしようか」


 向かいの席にふんぞり返るように足を組んで座った教授は、不敵な笑みを浮かべて二人を見た。


「私が君たちを呼んだのは他でもない。助けてほしくてね。困っているんだ」


「とてもそんな風には見えませんけど。あんな、満面の笑みで『ヘルプ』って書いた紙を見せるし。まず、俺が今日、教授の部屋を見ることが大前提だった。一体、何を企んでるんですか」


 先手を打っておこう。エディは静かに教授を見返した。

 その鋭さに眉をピクリと動かす教授は「ふむ」と唸る。


「確かに、企みはある。とっておきのだがね。最も、それは私のためである。時というのは儚く、有限だ。効率的に、要領よく使いたいものだね」


 教授は素直に白状すると、唇の端を横へと伸ばしてにっかりと笑った。そして、気障ったらしく人差し指をすっと伸ばす。


「さて。私は、明日の大学を休みたいのだ。所用でね。どうしても休みたい。しかし、明日は学生にとっては大事な大事な進級試験があるのだよ。本来ならば休めない。だが、休みたい。というわけで、君たちに手伝ってもらいたい」


「まぁ、休みたいなら休むしかないよね」


 簡単な単語だけを頭に入れたグレーズが率直に言う。

 すると、教授は嬉しそうに笑った。


「さすが、グレーズ! 君は話が分かる人だ。クッキーもあるが食べるかい?」


「食べる!」


「あの、餌付けは後にしてもらえませんか。ちょっと、まだ不明瞭な点があるので先にそっちを」


 膝を叩いて喜ぶグレーズを制してエディは眉を寄せて言う。


「明日、進級試験よりも大事な用事があるのは分かりました。でも、それならただ休暇届を出せばいい、はずです」


「その通り。しかしだね、私は今日も休みを届けている。今日はたまたまだったんだが……2日連続で休暇を取ると学長から大目玉だ。特に、私の業務態度はあまり、芳しくない。そんなわけで、私は考えたのだよ」


 このお気楽で自分至上主義な教授である。よくも、この性格で大学に残っていられるよな、とエディは内心で毒づいていた。


 そんな中、教授の口ひげがふさりと揺れる。


「実は明日、学内でちょっとしたボヤ騒ぎが起こるんだ。恐らく、進級が危ない学生たちが働いた悪事なのだろうが。その場所が、なんと、私の研究室でね……いや、参ったよ。そんな事件に巻き込まれてしまえば、とても試験どころではない。休むしかない、だろう?」


 さらりと言ってのける教授。エディは頬を引きつらせた。


「要するに……その『学生』というのが俺たちで、騒ぎの最中に教授を外へ連れ出せ、と」


「ご明察♪」


「………」


 殺意までとはいかないが、面倒事を押し付けられて激しく苛立ちを募らせている。エディは頭を抱えた。


 一歩、間違えば犯罪者ではないか。


 そんな大事を目の前の自分至上主義者はご機嫌に笑みを浮かべている。楽しげであるのが余計に腹が立つ。


「まぁ、君の心配は分かる。最悪の場合、逮捕されかねない。だが、エドガー、君の遠距離感覚とグレーズの身体強化、更には私のという素晴らしい才能をもってすれば、全て丸くおさまるんだ。私には、三人で万歳している姿がね、ありありと浮かんで見えているのだよ」


 確かに、この予知能力者は自分至上主義であり、時間に関しては有効利用する男だ。利益にならない非生産的な思いつきはしない。


 本当に見えているのだろう。この馬鹿げた計画の後に起こりうる平和的な未来を。


 エディは額を抑えて天井を見上げた。

 未来が見えるのならば、自分が次に発する言葉も分かっているはず。何せ、勝算のない賭けはしない男だから、そうせざるを得ない状況を既に作っているだろう。


 それは一体、なんなのか。


 隣にいるグレーズを見やるも、答えになりそうな材料は見当たらない。

 グレーズはただクッキーを待っていた。だが、一向に話が終わらないので足をぶらつかせて窓の外を見ている。


「そうだ。エドガー」


 おもむろに教授が声をかける。いたずらっぽい笑みを浮かべていた。


「君が何故、今日に街を見渡していたのか知っているよ。確か、今日はコゼットが帰ってく……」


「あぁぁっー! もう、分かりました! 分かりましたよ! やりますから! それ以上は何も、言わないで、もらえますか!」


 慌てて声をかき消そうと、エディは立ち上がった。

 その狼狽えぶりに、横にいたグレーズは驚いて縮こまる。一方、教授はニヤリと口の端をつり上げて笑った。


「それじゃあ頼むよ、探偵諸君。あぁ、そうだ。明日はどうも通り雨が降るようだから、傘を忘れずにね」



***



 まんまとやり込められたエディは、よろけながら教授のアパートを出た。その後をついていくグレーズは、じっと相棒の様子を窺っていた。


「グレーズ。待ちたまえ」


「なあに?」


 呼ばれればすぐに立ち止まる。玄関先で、教授はにこにこと笑みながらポップなパッケージの箱を見せてきた。


「クッキーを君にあげよう。明日は存分に働いてくれよ」


「りょーかい! この天才な僕に任せなさい!」


「それは実に頼もしい。期待しておくよ」


 グレーズは手渡された菓子を嬉しそうに抱いて高らかに笑う。つられて教授も笑う。


「あぁ、あと、エドガーには何も聞かないでやってくれ。彼、意外と気にするタイプのようだから」


 ひとしきり笑った後に、教授はひっそりと耳打ちする。

 グレーズは首を傾げたが、なんとなく意味は分かる気がしていた。


 エディのあの取り乱し方は、普段が物静かな分、新鮮だった。でも、あまり触れてはいけなさそうだ。機会があれば探りを入れたいところだ。

 ここは神妙に頷いておく。しかし、口元はどうしても緩んでしまった。


「分かった」


「グレーズ、本当に分かってるかい? 私には君が彼に怒られている未来が見えるんだが……」


 少し心配そうな顔を見せる教授だが、口ひげの下は笑っているに違いない。


「だいじょぶ、だいじょぶ! 僕、こう見えても物分りはいいほうなんだから」


 言いながらウインクをし、グレーズはクッキーの箱を振った。


「じゃあね、教授。また明日!」


 そう元気よく言うと、エディの背を追いかける。

 思わず力を込めすぎて階段を全部飛び越えたら、彼の背中に思い切り激突した。

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