cap3-冤罪と天秤-

真弓たちはたわいもない話に興じた。

恋愛話、面白いスマホゲームの話、真弓のどうでも良い薀蓄、トレントサイトで効率よくファイルをダウンロードする方法等、およそ仕事内容とは関係ない話に熱中した。

石森は前回の依頼の報酬において払えない部分を真弓の事務所での労働で補うという形をとっているものの、事務所での仕事はおよそ一般的なアルバイトの労働内容とは程遠いものだった。そもそも篠崎探偵事務所は事務員が必要なほど顧客がいるわけでもなく、ではなぜ石森を雇ったかというと妹である美希の話し相手が欲しかったという側面が大きい。2年前にとある事件をきっかけに一年時の春休みで大学を中退してしまった妹には、同年代の女の子が必要だという真弓の親心ならぬ兄妹心からの採用だった。

「あれ、もう10時近いですね。それではそろそろ失礼させて頂きます」

「本当だ。さっきの番組から夜のニュースに変わってるや。ねえ、今日泊まっていかない?彩月ちゃん」

「すいません、明日も学校だし、親が心配するので」

「そうだぞ美希。それに男の俺と一つ屋根の下一夜を過ごすなんて年頃の女の子からしてみれば嫌だろ。石森ちゃん、明日は来れるのかな?」

「いえ、明日は家で中間考査の勉強をしたいので……」

「そうか、わかった。もう夜中だし、そこまで送っていくよ」

「いえ、親が迎えに来てくれるので」

「すごい親だね。私たちのとは大違いだ」

「余計なこと言わない。じゃあそれまで待ってなよ」

石森はコクリと頷き、それから少しの間沈黙が流れた。ニュースでは最近起きた冤罪事件の続報をアナウンサーが淡々と告げる。

「これ、かわいそうな話だよね。なんだけ、くし、くし、串間……」

「口間冤罪事件。10年目に配偶者を保険金目当てで殺したとされ逮捕された75歳の口間さんという男の人が獄中で自殺して、それが最新のDNA検査で冤罪だったことがわかったっていう痛ましい事件さ」

「ここ最近ずっとこのニュースですよね。なんでも現状の法律の不完全性を象徴する事件だとか」

「この事件のせいで私の見たかったお笑い番組がつまんない報道番組になっちゃってさぁ」

「不謹慎なこと言うな。……でもまあ、酷い事件ではあるよな。でもさ、この事件の面白いところはこの人が信仰してたって言う宗教さ。天秤教とか言う胡散臭い新興宗教で、この人が獄中死してからは信者たちが毎日のようにデモ行進してる」

「今日私がここに来る間にも見ましたよ。宗教っぽい服装はしてませんでしたけど」

「宗教なんて大体そう言うもんさ。深度が深いものほど世間に馴染みやすく擬態するんだ。……しかしここまでこの手の新興宗教がお茶の間に流れるのは珍しい事態だ。もっとも世界三大宗教とも全く関係がない、突発的にこの日本で信仰されだした宗教なんてお茶の間受けするに決まってるからな、メディアも有る事無い事言ってやがる。もっとも大体の宗教だと迫害っていうのはその教えに箔をつける試練だし、本人たちにとっても好都合かもな」」

「はあ。まあどうでも良いけど。……エンジン音だ。迎えに来たみたいだよ、彩月ちゃん」

「では今日はこれで失礼させて頂きます。お疲れ様でした」

「お疲れー」

「お疲れ様。次もよろしくね」

笑顔で石森を送り出した後、事務所には再び沈黙が流れた。

「兄さん、本当は私のために彩月ちゃんを雇ったんじゃないの?」

「何言ってるんだ。雑務その他諸々の処理を手伝ってもらうために決まってるのだろ。自惚れんな」

「……そうだね。うん、きっと私の勘違いだ」

美希はひどく嬉しそうな顔でMacをいじり始めた。事務所にはテレビから流れるバラエティの音声だけが響く。

美希の横顔をそっと盗み見て、真弓は少しだけ満足した。

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