cap.2-過去と現在のこと-

「こんにちは、篠崎さん……美希さんも、こんにちは」

ドアの鈴を鳴らし事務所に入ってきたのは女子高生、石森彩月だった。いつもの制服姿とは打って変わってノースリーブの白いセーターにジーパン、黒いスニーカーというラフな出で立ちだ。すらりとした長身とクールな顔が地味というより清潔な印象を他人に与える。

「やあ、石森ちゃん、こんにちは。早速だけど今日は依頼人のデータベースの整理、事務所の掃除、美味しいコーヒーを僕に入れてくれる等の雑務をお願いするね。」

「私の話相手もお願いね、彩月ちゃん」

美希はひらひらと手を振って笑う。石森も笑顔で返す。

真弓は手に持っているウィスキーのグラスを所在なさげにゆらゆらと揺らしていた。

「あれ、篠崎さん、もうお酒飲んでるんですか?まだ夕方なのに」

「ああ、いやこれはね、ちょっとした休息だよ。汚れてしまった大人だけに許された、ね」

石森は返事の代わりにため息をし、事務所の奥のコーヒーメーカーを起動する。

「彩月ちゃん、今日は学校だったの?」

「はい、午前中だけでしたけど。あの事件が発覚してからここ二週間はずっと」

「……そっか。そうだよね、うん」

美希が黙り込む。真弓はグラスに口をつける。

石森彩月は最近巷で話題になっているニュースの中心人物である。8月に朝霧灯という女子高生が自殺をはかり、死亡してしまったというショッキングな事件。彼女は朝霧と最後に会話をした重要参考人なのだ。朝霧の最後の瞬間を目にしたのも、また彼女。もっとも、この事件がお茶の間を騒がせるようになったのはここ最近のことで、学校は節操のないメディアや行き過ぎた野次馬から生徒を守るという名目で授業を午前中で切り上げている。

「……世間にバレてしまうような事後処理なんて、探偵としては失格かな。申し訳ない、石森ちゃん」

「いえ、いいんです。死人が出た事件が発覚しないなんて、私思ってませんでしたから」

「そうか」

篠崎は空になったガラスを見つめ、朝霧灯の顔が底に見えたような気がしてハッとする。彼はもともと根っからの悪人ではなかった。仕事が終わってから一ヶ月は強い酒に走る傾向があり、そうやってなんとか精神的均衡を保っているに過ぎない。

「彩月ちゃん、佐沼くんはどうなった?まだ付き合ってるの?」

「……佐沼くんは学校を辞めました。今何をしているのかもわかりません」

淡々とした口調で語られる事実が、場の雰囲気を少しだけ暗くする。

真弓は石森の目を見つめる。クマができている。少しだけやつれたかもしれない。普段からあまり喋らない彼女ではあるが、関係者である佐沼が学校を辞めたという事実と、普段より暗い雰囲気から察するに学校で肩身の狭い思いをしているのだろうと察する。彼氏と彼女という二人の関係者がいなくなってしまったのだ、奇異の目に晒されるのは必然かもしれない。真弓はぼんやりと考える。

事務所には場違いなバラエティの明るい声がテレビから響いていた。

「そっか、残念だね。まあ事件が事件だししょうがないよね。別れちゃったならいっそのこと兄さんと付き合ってみたら?顔だけはいいし」

石森は真弓の横顔を見る。コーヒーメーカーから真弓が座っているソファーから少し距離はあるものの、それでもハッとするような美形であることがわかる。

黒い肩出しのTシャツに、黒いパンツが細身の体によく似合っていて、ソファーに体を投げ出すようにしてだらしなく腰掛けている。目は酒精の所為か少し潤んでいて、見ようによっては女性に見えないこともない。石森は少しだけ見とれた後、ハッとして言い返す。

「男の人には興味ありません。佐沼くんとは成り行き上仕方なく交際という形をとっていただけで、そういったことも一切ありませんでした。」

ふーん、と含みのある返事をして、美希は石森が入れたコーヒーに口をつける。

「相変わらずおいしいね、彩月ちゃん。お兄ちゃんはコーヒーの好きな女の子は好きかな?」

「しつこいぞ美希。ごめんね石森ちゃん。こいつの悪い癖だ、許してやってくれ」

真弓は石森の目を見て謝る。気のせいか、石森の頰は少しだけ赤くなっていた。

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