2 別れ

 ルーナとウルタは、それからしばらく二人で暮らした。同じ家の同じベッドで寝て、同じご飯を食べて、二人一緒に外を歩いて、いろんなことをお話して……。

 ウルタはどこへ行っても、不思議そうな目で景色を眺めていた。「どうして僕はここにいるのかな?」って何度も頭をひねっていた。「ねえ、この星には本当に、君と僕しかいないのかな?」って、何度も聞いてきた。

 ルーナはいつも、「そうよ。私とウルタの二人だけ」と答える。

 ウルタは小さく肩をすくめて、「そうなのか」と呟くだった。

 やがて探検できるような新しい場所も少なくなって、ウルタも思い出せることが無くなってきた頃に、彼は少しずつ元気がなくなり始めた。

 それからは、家の周りでゆっくりと過ごした。ルーナがお茶をいれて、話すことも少なく、ただゆったりとした時間を噛み締める、そんな日々。

「……僕、君を昔から知っている気がする」たまにぼんやりと、ウルタは言う。「この星じゃなくて、僕のいた星で、君にあったことがある気がするんだ」

「でも、私はずっとここにいるわ」

 ルーナが答えても、ウルタは目を閉じて微笑むだけ。

 ウルタが朝、起きる時間はどんどん遅くなる。夜眠る時間も、同じように早くなっていく。ルーナ一人だけで、彼を見つめる時間が増えていく。

 ある夜、寝ていたはずのウルタがふと目を覚まして、小さな声でささやいた。

「ねえ、ルーナ……僕はずっと、君に逢いたかった気がするんだ」

 ウルタの隣でルーナは微笑む。「私も、あなたに会えてよかった」

「僕も……逢えて、よかった」

 そして……。

 次の朝、ウルタは動かなくなった。

 目を覚ましたとき、肩に触れた温度で、ルーナはお別れのときが来たことを悟った。

 ルーナは動かなくなったウルタのことをギュッと抱きしめながら、静かに涙を流した。ウルタが生きている間は、ずっと我慢していた涙だ。

 ……ありがとう。

 おやすみなさい。

 ルーナは気が済むまで、ウルタの体を抱き続けた。触れていないところがドンドン冷たくなるのが悲しくて、泣き続けた。

 どれくらい、時間が経ったのかなんてわからない。

 ルーナは起き上がって、干した果物を無理に喉に流し込んでから、小屋の中にまで荷車を引っ張ってきた。

 できるだけ優しく、ルーナはウルタの体を丈夫な荷車に乗せる。動かないことも呼吸をしないことも知っているけど、でも、苦しそうな姿勢にしてしまうのはどうしても嫌だった。

 重たくなった荷車を引いて、ルーナとウルタは家を出て、森の中を進んでいった。

 出会った林を抜けて。

 湖のほとりを歩いて。

 二人で星を見た丘を越えて。

 一人で、ウルタを引いて歩いた。

 汗が流れても涙がこぼれても、ずっとずっと歩き続けた。

 小さな星の、反対側まで。

 この星の、ルーナの家のちょうど真反対にある土地はいつも木が生えていない。柔らかくて、温かくて、少しだけ湿気っている土が広がっているだけ。

 やがてその土地にたどり着いたルーナは荷車を止めて、持ってきたスコップを取り出し、土をゆっくりと掘り返し始めた。

 汗が雨のように地面に落ちても、喉の奥から熱い息が吹き上がっても、細い腕で力いっぱい土を掘った。

 悲しくても。

 寂しくても。

 辛くても。

 ずっと同じことを繰り返す。

 夕暮れの赤が空を覆い、涼しい風が頬を撫でた。

 掘り返した穴は、もう十分に広い。

 ルーナは荷車を引っ張ってきて、しびれた腕でウルタの体を必死に抱きかかえて、掘り返した穴の中に彼の体を寝かせてあげた。

 寝そべったウルタの白い体と、茶色い土。

 安らかに眠っているようにしか見えなくて。

 その体に、ゆっくりと土をかけていく。

 スコップは使わず、自分の手で、優しく体を覆っていく。

 ウルタの顔が見えなくなるまで。

 丁寧に丁寧に。

 繰り返し繰り返し。

 平らになった暖かな地面。

 見えなくなったウルタの上で。

 最後に、ルーナは胸に手を当てて、何かをお祈りする。

 それが何かなんてわからない。

 わからないけど、ちゃんと祈らないと、この場所を離れられない大切な何かだ。

 ずっとずっと、繰り返さなきゃいけないものだ。

 強く、強く……。

 それが、ウルタとルーナの約束なんだ。

 ルーナは振り返り、疲れ果てた体を引きずって、来た道を戻っていく。

 誰もいないベッドを目指してお家に帰る。

 ひとりきりで。


 ルーナが家にたどり着く頃、星空を雲が覆って、やがてポツポツと雨が振り始めた。最初は優しく、しだいに激しく、強く、けたたましい音を鳴らして。

 ルーナは雨を見つめながら、自分のためだけにいれたお茶を飲む。

 体をほぐして、最後に残った少しの涙をお湯に溶かして。

 最後には、冷えたベッドで眠りにつく。

 そうして……。

 朝、目が覚めたら、きっとまだ雨が降っているだろう。

 だから明日は、一日中ずっと家の中で過ごして。

 明後日には、素敵に晴れた朝日が私を迎えてくれる。

 いつもそう。

 ずっとそう。

 星が晴れたら、もう一度、ウルタを埋めたあの場所へ行こう。

 きっと若い木が、新しく芽を出している。

 森がまた、始まっている。

 そこはもう、星の反対側じゃなくなっていて。

 星は、私がウルタを埋めるたびに、少しずつ大きくなっていく。

 きっとウルタが種となって、力強い根となって、一つの大きな森になるんだ。

 ウルタ……。

 ルーナはこの星で、何度もウルタを埋めてきた。

 何度も生まれ変わる彼を、土に埋めてきた。

 ウルタは出会うたびにどこか違っていて。

 顔も、声も、性格も、ささやかに運んでくる思い出も。

 同じウルタは一人もいなくて。

 だけど、あの目は変わらない。緑色に光るつぶらな瞳は、ずっと同じ。

 ウルタという名前も変わらない。

 だからルーナは、いつも最初に名前を聞く。

「ウルタ」って、ちゃんと返ってくるのが嬉しいから。

 また会えたってわかるから。

 ウルタは死んでいなかったって……思えるから。

 ルーナは目を閉じて、ゆっくりと思い出に浸る。

 ウルタ……私は、あなたが私のために生まれ変わってくれているって信じてるの。 

 私のことを覚えていなくても。

 大好きなウルタ。

 あなたはいつも私に新しい物語を運んでくれる。一人きりの私を楽しませてくれる。

 新しい景色はいつだって、あなたを埋めた場所から始まる。

 だから私は、あなたがくれた景色を見ている。あなたがくれたご飯を食べている。

 何度も、何度も。

 私はそれをあなたに伝えたい。

 ありがとうって、叫びたい。

 でも……それはできない。

 ……もう、ずいぶん昔のこと。ルーナはウルタが何度も生まれ変わっていること、ちゃんと話してみたことがあった。元気がなくなってしまうと、そんなに長くは生きられないということも伝えてみた。

 あの日のウルタは泣いていた。

 死ぬ前に、ウルタは泣いていた。

 忘れるのが寂しいって。

 死ぬのが口惜しいって。

 次の僕には、それを教えないでって言ってから、ウルタは静かに動かなくなった。

 きっと二人が、一番泣いた日。

 悲しい一日。

 あの湖は、あの日ウルタを埋めた場所。

 星空を映す空っぽの湖。

 だからルーナは何も言わない。

 辛くても、隠し続ける。

 ウルタがいない時間はとても長く、ウルタと過ごせる時間はほんのわずか。

 悲しいのは、ルーナだけになるように。

 生きていく。

 そうやって、ルーナはこの星にウルタを埋めてきた。

 これからもきっと、埋め続ける。

 何度も繰り返す。

 ずっと繰り返す。

 きっと、あなたが繰り返してくれているって、そう思うから。

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