第16話 返礼 2


 メルフェの姿をしたナニカ・・・が部下と戦い始めた頃、ドランは即座にデスク下の非常用脱出口から逃亡を試みていた。

 三回転程回って、清々しく感じる程の逃げっぷりである。


 滑り台の様になっているエリアを抜け、五つある分かれ道の中から正面の道を選択する。

 数秒ほどで選んだ道の全行程を駆け抜けると次は小部屋に出た。

 その小部屋の中には穴が四隅と中央に開いており、それがまた何れかの部屋に繋がっていた。

 ドランは数瞬、逡巡し左手前の穴に飛び込んだ。


 再び、滑り台を滑る感覚があり、今度は勢いよく空中に投げ出される。

 瞬間、鍛えられた身体能力を駆使してドランは的確な受け身を取る。綺麗な態勢から行われる受け身は身体への衝撃が最低限であり、大きな音を立てる事も無く静かに床へと着地した。

 ドランはすぐさま体を起こし逃走を再開する。

 そんなタイミングで――


「ぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアア嗚呼アアアアアアアア嗚呼嗚呼アアあゝアアアアゝアアアアアア!!!!!!」


 置いてきた部下の絶叫がドランの元まで届いた。

 地獄の怨嗟でも引き摺る様な声に思わずドランの体が強張る。

 暗殺者とは裏の世界に潜み、その闇の中で生きる者達の事だ。

 裏の世界とはルール無用の殺し合いの世界だ。敢えて言うならそれこそがルールだろうか。

 当然、そのような世界で生きる者達は薬への耐性も拷問への耐性も身に着けている。

 そんな中でも先程、執務室に残してきた部下はドラン選りすぐりのエリートだ。それが、十数秒で絶叫を上げる。

 何をすればそのような状況になるのか想像もつかない。


 だが、それでも絶対にドランは足を止めない。

 当然だろう足を止めれば待っているのは部下と同じ末路だけだ。


「――糞がッ……」


 あと少し走れば郊外の倉庫に抜ける。

 ドランは全身を走り回る悪寒を意図的に無視しながら全力で道を走り抜けた。

 もっとも、その行為は――



――その先に待つ絶望に自身から文字通り全力疾走で飛び込むのと同義だった。


「逃がしませんわよ?――狂え≪狂想劇場≫」


 気がつくとドランは荒果てた土地の上に一人ぽつんと立っていた。


「何処、だ?」


 そこは、何もかもが異常だった。

 まず空気は何度も嗅いだ事のある匂いが漂っている。


――血独特の鉄錆の匂いだ。


 ドランにとって、もう嗅ぎ慣れた匂いだが、それでもいい気分はしない。


 次の異常は眼前に広がる血の様に真っ赤な空だろうか。

 その赤い空には真黒な雲と黒い月が浮かんでいた。

 そして、


「コレは血か?」


 空から降って来たのは真っ赤な鮮血。発生源はあの空に浮かぶ黒雲だ。

 鮮血が妙に生温かいのが不安と不快感を煽る。


 ドランにとって現状は理解不能な状況だが、それでもあのナニカがこの状況を作り出したという事だけは確信していた。

 その為、ドランは周囲に満遍なく注意を向ける。


「はぁ……はぁ……」


 だが、聞こえてくるのは荒れた自分の呼吸だけ。

 それから、少ししても何かが起こる事は無く、ナニカが現れる事も無かった。


「どういう事、だ?」


 ドランは思わず疑問を口にした。

 しかし、周囲には人影一つ無く、ただ無情に雨音が返ってるだけだった。




 それから、五分程が経過した。

 始めの予想に反し、依然として何も起こりはしていない。


 そこで、流石にこのまま一か所に留まるのは不味いと思ったドランは素早く移動を開始する事に決めた。

 手始めに無限ループ対策でスタート地点の地面に魔法で巨大な穴をあけ、その横に仕込み棒――多管機構の棒。ラジオの電波を受信するアレの棒版だ――を突き刺しておく。

 穴をあけただけでなく、仕込み棒まで突き刺したのは、穴がダンジョンの壁の様に自動で修復される可能性を考えたからだ。

 もっとも、少しの間観察していても修復はされなかったので修復は無いと思われた。

 あとは距離間の偽装対策で仕込み棒に紐を括り付けて、準備完了だ。


 そこからはトラップなどを警戒しながら一方向に向けてただ走る。


――10分が経過した。

 依然として地平線には何も変化なし。

 一度、逆走してみたがそちらも変化なし。

 距離間の偽装も見られない。


――20分が経過した。

 東西南北(仮定)に向けて5kmずつ程走ってみたが変化なし。


――30分経過した。

 穴の横に土を積み上げ、それが見えなくなる位置まで走ってみたが変化なし。

 これにより、物質のリセットは無いと思われる。


――1時間経過。

 30分程、ひた走ったが何れとして変化なし。


――1時間半経過。

 1時間の地点で確認がてら腹いせに地面を何度も攻撃。

 地下に行くほど地盤は固くなる様だ。


――2時間経過。

 一度、スタート地点に帰還した。

 そこでようやく魔力が回復していない事に気がついた。


――3時間経過。

 警戒しながら用をたした。

 隙を見せれば何かがあるかと思ったが、特に変化なし。


――4時間経過。

 空間内が少し赤く見える様になってきた。

 周囲を徹底的に探索してみたが何れの方向も地平線まで何もなし。


――5時間経過。

 頭痛が酷い。眩暈がする。気分が荒む。そんな症状が目立ってきた。


――6時間経過。

 独り言が増えた。ずっと、ぶつぶつと何かを呟き続けている。


「いい加減出てきやがれ!!」

「糞がッ!何でこんな面倒な事になった!!」

「ふざけんなよ、死ね死ね死ね!!」

「ぁぁあああああああああ!!イラつく、ムカつく、腹が立つぅぅうううううううううう!!!!!」


 兼ねこのような様子だ。


――7時間経過。

 ドランの目は真っ赤に充血し、瞳の色は赤く染まっていた。

 そのまま、叫びながら地平線に向かい走り続けている。


――8時間経過。

 顔をひっかく、爪を噛む。肩をかき抱く。地団太を踏む。といった行動を取る回数が増えた。


――9時間経過。

 理解不能な絶叫を上げ、頭を掻き毟り始めた。

 そして、奇声を上げながら走り回り……倒れた。

 倒れた後、ドランはついに一歩たりとも動かなくなった。


――9時間と約15分経過。

 それまで何もいなかった空間が揺らぎ、そこからドランの呼ぶナニカが現れた。


「9時間18分。思いの外、時間が掛かりましたわねぇ」


 ナニカ――基、≪虚飾の仮面≫でメルフェに化けていたルナはドランの死体を蹴って仰向けにする。

 倒れてから出て来るまでの時間が遅かったのは、確実に息の根が止まるのを待っていたからだ。

 <管理神の祝福>で常にHPと状態異常をモニタリングし続けていたのだ。お蔭で、ありがたい機能も追加された。

 まあ、それは置いておくとして。


 今回、ルナが直接手を下さなかった理由は二つある。

 一つは≪狂想劇場≫の試運用兼レベル上げの為だ。

 狂化の状態異常の倍率がどの位で適応され、どの位まで無効化されるのかを確認したかったのだ。

 検証結果は比例で無く、二乗で上昇する事が判明した。

 ちなみに≪幻想劇場≫も≪狂想劇場≫も同スキルなのでレベルが別れているという事は無い。熟練度のようなモノはあるみたいだが、それも今はおいておく。


 さて、二つ目だが……ドランを一度、確実に殺しておく為だ。

 ≪幻想劇場≫や≪狂想劇場≫の機能の一つに『事象改変』というモノがある。

 そして、それを使って死んだものを生き返らせる方法は主に二つある。


 一つは死んだという事を無かった・・・・事にする方法だ。

 脱出ゲームなどでよく使われる死亡やフラグ回収前のデータをロードする。と言ったら伝わるだろうか?

 コレを使えば死んだ事自体が無かった事になるので、≪狂想劇場≫を解いても死ぬ事は無い。ファンタジー系のラノベでよくある闘技場の効果に似ている。


 もっとも、今回ルナが使うのは二つ目。

 死んだ者を事象改変で蘇らせる・・・・方法だ。

 セーブ&ロード以外の方法で行われた事象改変は≪狂想劇場≫解除時に無効化される。

 つまり、蘇りの効果は消え、また死体に戻ると言う訳だ。


 劇場内でルナが死んだ場合、自動的にルナが死んだ事が無かった事になる。

 そして、劇場スキルが維持できなくなり自動的に解除されるらしい。

 死ぬとか普通に怖いのでルナは試していないが、スキルテキストに書かれているので事実だとは思っている。


 さて、もう理解して貰えただろうか?

 ドランが生きて戻れるのはルナがセーブ&ロードを使って生き返らせた場合のみだ。

 そして、ルナはその様な事をするつもりは無い。




――つまり、ドランはもう詰んで・・・しまったのだ。

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