第15話 返礼 1

 

 陽が沈み、夜が来る。

 そして、そこから更に夜は深け、深淵の時が訪れる。

 そんな真夜中にて一人の少女が目を覚ました。

 少女は掛かった布団をゆっくりと押しのけ伸びをする。

 その動きによって長い青髪が宙を泳いだ。


「ん――ふぁ……」


 少女は眠け眼を擦り、胡乱な表情で虚空を見つめる。

 すると、そこに少女のみが見る事の出来る画面ウィンドウが現れる。


「あらーむ……煩い……」


 まだ完全に意識が覚醒していない少女はポツリと他人には理解できない事を呟く。

 如何やら完全覚醒にはまだ少し時間が必要なようだ。


「ぁ~……。時間ですか……」


 約1分。

 それが目が覚めて少女の意識がしっかりと冷めるまでに掛かった時間である。


「≪狂歌乱舞≫」


 常人なら精神が崩壊しかねないスキル。それを少女は自分に使う。

 正気を疑われるような行動だが、使用の理由はさらに常軌を逸している。


――ただ、眠気を飛ばす為


 本当にただそれだけの理由で少女は人を簡単に殺せるスキルを自分に使ったのだ。

 それはもう朝起きて、顔を洗い、うがいするのと同じようなノリだった。色々な意味で自殺行為にしか思えないが少女は案外ケロッとしている。


「何時も思いますがコレ、アドレナリンでも出ているのでしょうか?」


 少女は可愛らしく小首を傾げる。

 自身が今行った常識の埒外の行為を放置してだ。

 小憎たらしい事に、人形めいた容貌と合わさって非常に見栄えがする。

 もっとも、その容姿や世間の常識との齟齬からしてすでに少女は普通ではないのかもしれない。というか普通ではない。


「ふぁ……。むぅ、コレでもまだ眠いですね。

 ……足りないのでしょうか?」


 更に有り得ない事を言いだした。

 そして、そのありえない事は、あり得てはいけない事は平然と二度、三度、四度と繰り返された。

 結局、少女には五重の『狂化』のバットステータスが掛かる。

 だが、少女は何事も無かったかのように平常運行だ。

 まさに理不尽を体現した存在である。


「よしっ!あとは身支度を整えるだけですね♪」


 平常運行ではあるがやはり少しは異常をきたしていたようで、ほんの少しテンションがいつもより高い。


「ふふ、あはっ♪悪い子にはお・し・お・きですわね?」


 訂正、かなり高くなっていた。


「さあ、楽しい、愉しい復讐劇の始まりですわ!」


 その小柄な体躯に似合わぬ闇を抱えた表情を艶に染め、頬を上気させながら少女は――ルナルティア・Cクラウン・ノートネスは窓を開け放った。



     ◆  ◇  ◆



 現在は真夜中、一般人が寝静まり混沌が這い出して来る時間帯。つまりはこの闇ギルドが一番活発になる時間帯だ。

 その日、闇ギルドのギルドマスター――ドランは執務室で部下の報告を受け取っていた。


「で、イージストの所の【神童】はどうなった?」


 イージストというのはノートネス家と同じ辺境伯爵家の一つで東の一帯を担っている辺境伯爵家だ。ちなみにノートネス家は北領地の国防を担っている。


「はっ、任務途中に問題が発生し失敗致しました」


 ドランは部下の報告に眉根を吊り上げる。


「問題?どういうことだ」


 ドランの最近の機嫌は非常に悪い。

 ノートネス家に放った腹心の部下の一人が未だに帰っていないからだ。

 かれこれ四ヶ月、間違いなく任務に失敗したのだろう。

 そして、その任務から帰ってこないという事は恐らく殺された可能性が非常に高い。少なからず、生き延びている可能性はあるが、それなら帰ってこない理由が分からない。

 ……何方にしろ帰ってこないならば使えないという意味で死んだと同義なのだ。


「【女教皇(Priestess)】と遭遇しました」

「【女教皇】か……」


 部下の報告を聞いたドランは苦々し気に失敗の原因となった女の名前を口にする。


「その【女教皇】から伝言がありますがいかがいたしましょうか」

「伝えろ」

「『極力、貴方に干渉するつもりはありません。ですが、彼は大成する器を持っています。そして、それはこの国にこれから訪れる苦難の――それこそ、存亡にも関わって来る事です。苦難を乗り越えたくば彼に手を出すのは控えなさい』との事です」

「ちッ、あいつが言うんなら事実そうなんだろうよ。糞が」


 彼は同じ部隊の一員として【女教皇】の事をよく理解していた。

 だからこそ、今回の件から降りる以外の選択は無かった。腹立たしいことこの上ない。


「それと、もう一つ伝言が」

「なんだ、まだあるのか早く言え」


 不機嫌丸出しで部下を急かすドラン。


「『貴方にこれまで見た事が無いほどの死相が出ています。本当ならば少しは助言を示したい所なのですがその道さえ見当たりません。私の力不足を嘆くべきなのか、それとも貴方の凶運を嘆くべきなのか……。ただ、一つ私に言える事があるとすれば――死は目前に迫っています。生き延びる事だけを考えなさい。さもなくば、すぐにその魂を刈り取られるでしょう。死は――』」


 【女教皇】による不気味な予言が最後まで語られる事は無かった。

 執務室のドアが力強く叩かれたからだ。


「誰だ!」


 話を遮られたドランが更に不機嫌になりながら問う。

 だが、望んだ答えは返ってこなかった。いや、ある意味では望んだ答えが返って来た。


「――ギルドマスター!!メルフェさんが戻ってこられました!」


 扉越しに伝えられた言葉の衝撃にドランとその部下は目を見開く。


「何だと!?すぐにココに――」


 通せ。

 そう言いかけてドランは言葉を止めた。

 そして、思い出すのは先程部下から伝えられた【女教皇】のこの言葉。


――『死は目前に迫っています』


 ドランはその可能性・・・・・に思い至った瞬間、反射的に叫んだ。


「絶対に通すな!」


 その言葉の返答とばかりに扉が吹き飛ばされる。

 いや、正しくは扉の前の部下がメルフェのフリをした何者か・・・に吹き飛ばされて来たのだ。


「あはぁ、酷いんじゃぁないのぉ?」


 間違いなくメルフェの口調にその立ち振る舞い。

 だが、長年培われたドランの警戒心は激しい警戒を促していた。


「お前は何者だ?擬態……いや、身体の乗っ取りか?」


 ドランは思い至る可能性を幾つか口にする。


「あはっ、偽物だと簡単にバレてしまいましたの。ショックですわぁ」


 メルフェと思わしきナニカ・・・は自身をあっさりと偽物だと認めた。

 ドランはその様子に冷や汗を浮かべる。

 このナニカが自分をあっさり偽物だと認める理由そんなものは簡単だ。

 相手がただの馬鹿。または、彼我の力量差がそれこそどうしようもない位、偽物だとバレても問題ないレベルで掛け離れているかだ。

 今回の場合、ほぼ間違いなく後者だろう。


――勝てる見込みはまず無い。


「命令だ。少しでも長く時間を稼げ」

「――ッ……。了解、致し、ました」


 ドランの命令の意味を正しく理解した部下は唾をのむ。


――自分はココで命を懸けてこの怪物を足止めしないといけない。 


――怖い


――怖い怖い


――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!


「はっ……ハッ……ハァッ!!」


 ドランの部下は自身の息遣いが荒くなるのを自覚した。

 それでも歯を食いしばってナニカに向かう。


「まあ、まあまあまあ。素晴らしいですわ。やはり殿方は勇ましくあるべきですわよね?」

「ひっ」


 ナニカは過分な闇を孕んだ表情を浮かべて部下に視線を向けた。

 そして、その表情を向けられた部下の心はあっさりと折れた。


「ふふっ、もう少し肩の力を抜いてはいかがです?そんな様子では肩が凝った上に固まってしまいますわよ?」


 そういって徐々に近づいてきたナニカは部下の肩に手を乗せた。

 その間、部下は蛇に睨まれた蛙のように一歩も身動きが取れないでいた。

 部下に出来た事はただガタガタ震えあがる事だけだった。


「ほら、もっと肩の力を抜かないと発狂して死んでしまいますわよ?ほら、狂い乱れて踊りなさい――≪狂歌乱舞≫≪狂歌乱舞≫≪狂歌乱舞≫」

「へ……えっ?あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアア嗚呼アアアアアアアア嗚呼嗚呼アアあゝアアアアアアアアアア――」


 十秒にも満たない時間で部下の男は事切れた。

 もっとも、これが正常な反応である。

 むしろ少し気分が高揚する程度で済んでいるルナの方がおかしいのだ。


「さてと、逃がしませんわよ?狂え≪狂想劇場≫」


 前にも述べた様に≪幻想劇場≫には幾つもの種類の舞台がある。

 そして、条件はあるもののその各種舞台に切り替えが可能である。


 この舞台≪狂想劇場≫の使用条件はただ一つ。

 状態異常『狂化』に掛かっている事。それだけである。

 まさに≪狂歌乱舞≫と組み合わせて使う事を前提としたようなスキルだ。


 そして≪狂想劇場≫の舞台効果は長時間この舞台にいるほど精神が狂い病んでいくというモノだ。

 完全に精神攻撃特化な舞台ステージである。


「さあ、ココに狂った舞台を始めましょうか♪」

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